僕と彼女と腕輪Ⅱ
「ふゥ…悪かったな手間を取らせちまった」
「何とか無事に瓦礫をどかすことが出来たけど…怪我とか痛みは?まさか時間差で来てくれると思わなかった」
「はは、自分でもまさかこんな入り方があるとは思わなかったぜェ」
”落ちてきた”と聞いたときは驚いたがきっと一番驚いているのは仮想空間に接続している作業をした久坂だろう。あの冷たい目線に見られながらこちらに来るのは焦ったに違いない。まさか、体験前の感情や心理がこの世界にも影響があるのだろうか。そう考えながら東島はふうとため息を吐く希世に視線を移した。その視線に一度頷くと、顎に手を当てながら今後の事について希世は冷静に立案していく。
「さて、藍澤君も来てくれたことだし、改めて検証と行きましょう。東島君、何か気分が悪かったりしたら言ってね」
「ありがとうございます、今のところは何ともないです」
「それは良かったわ、藍澤君はとりあえず肩に挟まっている枯れ枝を取りましょうか」
「お?そんなんついてたかァ」
落ちてきた割にピンピンとしている藍澤に呆れた視線を向けながらも、この世界に初めて来た時を思い出しながら進む。確かこの後は…
「私が案内する場所は覚えている?」
「確か、窓が割れた喫茶店…」
「そう、そこへ向かうわ」
ベルが鳴ると懐かしい気持ちになるそこは、感覚が研ぎ澄まされたように静かな場所に建っていた。
「ここで確か希世さんに、”チームに選ばれた”って言われました」
「この世界へ入ってからの流れ的なものにはしっかり記憶があるようね」
不思議な感覚だ。今の希世より幼い印象の記憶と、今目の前にいる大人びた冷静な希世。朧げな記憶の中にあるのは親しくなっていけばいくほど離れて行ってしまうような言葉に表せられない不安の正体。
「どうしたの?」
しまったと思った。思わず希世の顔を見続けてしまっていたようだ。
無意識な感覚は自身の思わぬところでボロを出す。自身の記憶についてハッキリさせたいがために仮想空間へ入ったのに見惚れている暇ではない。
「おーい、こっちから入れそうだぞォ」
先に進んでいた隆大が声を掛けてきてくれたが、どこから声を発しているのか姿が見えない。
「勝手に先に進むのは止めてくれないかしら?何かあってからじゃ遅いのよ」
案内役であるはずの希世は先を行った隆大に苦言を呈しながら進んでいく。声の方向を確かめようと喫茶店へ近づいた時だった。
グラリと地面が突然歪んだ。どういうことだろうか。ここは仮想空間で災害が起きた後の環境と希世が教えてくれた。災害が起きるはずがないのだ。ましてや地面が揺れる地震なんて。
「…ッ、は…」
苦しい、揺れはそこまで大きくないがぎゅうと締め付けられるような苦しさで息がしづらい。
立っていられなくて揺れる地面に膝をついてしまう。
「東島君?!」
「どうした航大…!!」
遠くから二人の声がするけれど、返事をしようにも掠れて声が発することが出来ない。
「ッ、はあ…っ」
歪んだ地面は少しずつ落ち着いて何事もなかったかのように止まった。積まれた瓦礫はパラパラと欠片を落とし、バランスが崩れればすぐに落ちてきそうな危うさが増した。
「だ、だいじょうぶ…落ち着いてきました…」
ついた膝の土ぼこりを払いながら立ち上がると、眉を寄せながら二人を見比べる。
「東島君、モヤついている原因の記憶をこれ以上調べるのは止めた方がいいと思うわ」
「え…?」
「間違いねェ、これ以上精神に負担掛けるのはお勧めしねェよ。」
「まだ喫茶店に入ってもいないよ…ここからあの希世ルームに行くんでしょ…?!」
ここに来て分かった。
東島がモヤついて記憶の曖昧さに拍車をかけているのは、現実の東島が抱えている症状”PTSD(心的外傷後ストレス障害)”だった。
「一旦腕輪からヘルプを押して避難しましょう」
「…無理に進めてお前のメンタルがぶっ壊れちまったら俺は俺を許せねェ…頼む航大」
希世と隆大が気遣って声を掛けてくれたが、納得できない。この悔しさはどこからきているのだろうか。自分の事なのにモヤついた記憶はさらにぎゅうと肺を締め付けてくる。
「思い出せないのはなんなんだろう、二人が支えてくれて思い出せそうだったのに…ごめんなさい」
「すぐでなくとも…体調と相談して来ましょう。まひるさんや優太くんもいれば少なくとも寂しさは無くなると思うわ」
「難しく追いつめすぎるなよ、どれがトリガーになるか分からない以上、自分たちが出来るとこがどこまでか分かる必要がある」
「うん…ありがとう隆大くん」
「おい先輩だぞォ」
「あれ、あ…仮想空間だと”くん”付けしてたから間違えました…」
「冗談だ。別に、好きなように呼べェ」
「腕輪からヘルプを押せるかしら?」
「はい、押します。すみません」
腕輪の小さな液晶画面から立体に浮き上がってきたメニューの中から”ヘルプ”を探す。
「あ、あれ…?」
「どうしたの?」
「何だァ?」
「ヘルプが…見つかりません…」
入ってくる前に久坂が言っていたメニュー画面からスライドしてみても、触れる範囲の画面の中には”ヘルプ”の文字が見つからない。
「こんな言葉、言うことになると思ってなかったわ」
「それは俺もだ」
「僕たち…閉じ込められたんでしょうか…」
落ち着いたはずの心拍数が上がりだした。
苦しくなる前に一度深呼吸で事態を受け止めようと努力しなければならない。そう必死になればなるほど肺がぎゅうと締め付けられていく。
「今はただ外部とのやり取りが出来ないか諮ってみる必要があるわね」
「じゃあ向かうか、希世ルームのある研究棟に」
改めて浮かび上がる画面を確認してみると、画面の端から横向きに”接続エラー”と流れてきた。
「外で何かあったのかな…」
仮想空間に突如ぽつんと置かれてしまった三人は、喫茶店のカウンターの向こう側に行くことを決意した。