僕と彼女と面影Ⅰ
「ここに希世のお母さんが…」
希世の後を付いて、目的の庭へと着いた。植木や植物が生垣となっていて、白い石畳の先に噴水があった。溢れてくる水の流れは静かで不思議と引き込まれていきそうだ。
「本当に会いに行くの?今ならまだ…」
希世にとっては珍しくいつもの凛とした声ではない細さで、東島の背に投げかけた。そのやや後ろを見守るように、視線を外しながらもそわそわと隆大が気にしている。
「仮想空間で過ごした時間が現実世界とどれくらいのラグがあるか分からないけど、閉じ込められたままじゃ、僕の記憶も戻らないと思うので」
本当はほとんど思い出しかけてきていた。希世の母に会ったことも、途中で質問を打ち切られて、そこで臨床試験が終了したことも。その記憶の中で辿るのは、希世の母との会話だ。
噴水の前に三角の水晶が並んでいる。東島はそこへ自身の腕輪を翳して、高さの違う台座に乗せられた水晶が光りだす。ゴゴゴゴゴとけたたましい轟音を立てながら、噴水の水が溢れ、目の前が水浸しになった。噴水が真ん中から割れ、透明な扉が現れる。鏡のように希世、東島、隆大を映す不思議な扉を前に、東島はゴクリと息を飲んだ。
「なんで開け方が分かるの?」
「一度目に来た時の事、後半は覚えてることが合っているみたいです」
「俺たちの事は朧気だったのがなんか気に食わねえが、皆で出るにはこれしか方法の手掛かりがないんだもんな」
「そうね、…気をつけてね、東島君」
「はい、行ってきます」
続けて腕輪を、鏡のような扉に出てきたタッチパネルに翳すと、ピィ―――と今度はアラームが鳴った。
【部外者探知システムが作動しました!詳細を確認しております】
「びっっくりするなァこの音…!!」
「聞き慣れたくない音ですよね」
【噴水付近でマスターキーシグナルを検知、探知システム終了します】
ふつりと意識が遠いていく。ガクリと倒れた身体を隆大が慌てて支える。
「母によろしくね、東島君」
本当は自身が会いたいという気持ちを押し殺して、希世は東島の手を握りしめた。
―――水の中にいるような浮遊感とこもったような耳の違和感、はっきりと音が拾えないこの感覚は覚えがある。
「やっと来てくれたのね、待ちわびたわ」
凛とした女性の声、今までこもっていたはずの音は、急にクリアになった。
「ここは…」
「質問を中断させてしまったのを謝りたかったの。来てくれてよかったわ」
ふわりと笑う彼女は間違いなく希世の面影そのままにさらに大人っぽくした、優しい雰囲気のある女性だった。
「前回来た時の記憶を探っているうちに、こちらに閉じ込められてしまったみたいで」
「記憶を?あら、失くしてしまったのはそれだけじゃないようだけれど」
「え?」
「あなた”半分”しかいないんだもの」
「分かるんですか?!そうなんです僕の片割れ?がここの世界へとどまっていてそれで…」
ふたたびふわりと微笑みながら、希世の母は肩にそっと手を触れながらまっすぐ見つめた。
「まあまあ落ち着いて話を聞かせて。座る椅子は無いのだけれどゆっくりしてね」
「…すみません、気持ちが急いてしまって」
「ひとつずつでいいわ、きっとあの人が私に会いに行かせたがったのでしょう。あの人はここへは来られないから」
「あの人?」
「十四郎さんよ、私の夫であり、希世のパパよ」
「パパ…」
「ふふ、柄にもなくパパと呼ばせたがったの。かわいい人なのよ」
全くイメージが作られない。あの厳格な十四郎が妻の前では雰囲気が違うのかもしれないという。東島はどこか納得できないまま、これまでの経緯を話す。
「…それで、僕の片割れ、というか記憶の一部が仮想空間に取り残されてしまって、それが僕が記憶がなくなっている原因なのだと思うんですが…」
「貴方の記憶が仮想空間へ残されたからと言って、それだけじゃ記憶は失くしたりしないんじゃないかしら?」
「え・・・?」
「私の憶測があなたの手助けになるかも分からないわ、あくまで参考程度として受け取ってくれるといいのだけれど」
「それでも、脱出方法に活かせる何かが分かればありがたいので…!!」
必死だった。どうにかして皆で現実へ戻りたい。だがなくしている”片割れ”を置いていくわけにはいかないのだ。その意志で希世の母の元へ来たのだ。ただ、不安は拭えないのも確かでぐすりと燻る不思議な気持ちでいっぱいになってしまう。
「嫌な記憶ほど、心に残っていたりしないかしら」
「そう、ですね」
「それを思い出さないように、心の奥深くに隠しておいて、溢れ出てこないように封印をするの。それは自分自身を守るために。いわゆる負のループから守るためにね。防衛反応のひとつよ」
「その防衛反応が、今言った”片割れ”…」
「分離したのはそうね。その守りたいものはきっと…貴方自身の気持ちの事だと思うわ」
希世の母からは押し付けるような意見ではなく、そっと寄り添うような言葉がつづられた。
「貴方の忘れてしまいたい事こそが、求めている答えに近いものだと思う。辛いけれど、どうか負けないで心の整理をしてみて」
「…はい、できるか分からないけど、何とか話してみます。もう一人の僕と」
「ふふ、貴方ならきっと大丈夫よ。希世がここへ寄越したのもそのことも含めて私に頼りたかったのかしらね」
雰囲気から溢れ出る光のようなものが、希世の母からふわりと浮かんでいく。どうしても天使のようにしか見えないそれはだんだん大きく高くなっていく。
「ごめんなさい時間のようだわ。ここから向こうの奥へ進んでいくと突き当りがあるの。そこで彼は待っているみたいだから行ってあげて」
「分かりました…希世のお母さん、最後に一つ教えてもらってもいいでしょうか」
「えぇ、なにかしら」
「名前を教えてもらえませんか、」
「あら私ったら名乗ってなかったのね、悪気は無いのよ。私は青に空と書いて”そら”。ふふ、そうだ希世に伝えてくれると嬉しいわ」
「青空さんていうんだ、だからあの装置も…えと、何を…?」
「パパとあまり言い争わないようにって、変に素直じゃないところが似ているから二人とも。十四郎さんも言葉が足りないのよね。全体的にまとめられればそれでいいって人だから」
やはり初めに感じた希世と似ている部分には、十四郎にしか分からない包容力と理解が備わっていて、とても家族を大事に想っていることが分かる。
「分かりました…希世に伝えますね」
ぶわりとさらに多くの光に包まれて希世の母・青空は光の中へ溶けいるように消えていった。