わかってるけど、不安になる日もある
今日も朝から晴れていた。
それだけで、沙耶と手を繋いだ帰り道の記憶が、胸の奥で温かく揺れる。
「碧斗ー、おはよー!」
登校途中、坂の上で声をかけられた。
振り返ると、同じクラスの百瀬七海が笑顔で走ってきた。
運動部所属の快活な子で、沙耶ともよく話している。
「氷室さんと一緒じゃないんだ。珍しいね?」
「今日は先に行ってるって。生徒会、朝から集まりらしくて」
「あー、なるほど。副会長だもんね」
七海がポンと手を打つ。
それだけの、なんてことのない会話。
けれど、誰かが沙耶の肩書きを口にするとき、ほんの少し、僕の中でざわつくものがある。
その視線の先に、僕がいない気がするからだ。
──そんな小さな違和感は、沙耶にもあったのかもしれない。
放課後、図書室の片隅で沙耶と並んで座っていた。
普段と変わらないはずの沈黙。だけど、今日は彼女の手が少し落ち着きなく、ページをめくる指先が早い。
「……なにかあった?」
僕がそう尋ねると、沙耶は少しだけ、戸惑うように目を伏せた。
「ううん……ちょっとだけ、変な夢見て。朝からそのせいで、気分が曇ってただけ」
「夢?」
「うん。碧斗が、他の女の子と歩いてて。私のこと、見もしなくて」
彼女の声が、ひどくかすれていた。
冗談めかしたようでいて、どこか真に迫っている。
「私ね、強くなりたいって思ってるけど……でも、ぜんぶ平気なわけじゃないよ」
沙耶がゆっくり顔を上げる。
その目には、うっすらと涙がにじんでいた。
「碧斗と一緒にいるのは、誰かを驚かせたいからじゃないし、誰かに勝ちたいからでもないの。
でもね、時々、そう思われてる気がして、やっぱり少し怖くなる」
まるで、独り言のようだった。
僕のほうを見ていないその声は、きっと、誰にも見せたことのない彼女の本音なんだ。
「……僕は、そんな風に思ったこと、一度もないよ」
「うん……碧斗がそうじゃないの、わかってる。でもね、“わかってる”って言葉だけで、不安が消えるほど強くはないんだ、まだ」
ゆっくりと、沙耶の手が僕の手に重なる。
震えていた。
強くてまっすぐで、完璧に見える彼女の、その手が。
「ごめんね、変なこと言って。でも……碧斗といると、ちゃんと弱くなれるの。だから、こうやって甘えたくなっちゃうんだ」
「甘えていいよ、沙耶はいつだって」
その手を、僕はそっと包み込む。
「僕もね、沙耶のことで不安になることあるよ。誰かに何か言われるたびに、自分のこと、見直したくなる。怖くなる。でも、だからこそ一緒にいたい。弱さごと、ちゃんと見ていたいんだ」
沙耶が少しだけ驚いたような顔をして──やがて、柔らかく笑った。
その笑顔は、ほんの少し涙で濡れていたけど、どこまでも優しかった。
僕らの関係は、たぶん、すごく不器用だ。
でも、だからこそ手を伸ばし合えるのだと思う。
不安になったとき、迷ったとき、言葉にできなくても、そばにいられるように。
そんな風に、少しずつ育てていけたらいい。