ふさわしいって、誰のこと?
「──でさ、氷室さんって、今誰か気になってる人いるのかな?」
放課後の教室、女子たちの雑談が耳に入る。僕の席のすぐ斜め後ろだ。
「え〜、いないわけないでしょ。だって、あのスペックでしょ? モデルもやってるんだよ?」
「ね、普通に考えたら、生徒会の副会長とか、あの辺りが釣り合いそうじゃない?」
「わかる〜。逆に氷室さんが地味な男子と付き合ってたら、びっくりするかも。漫画かよってなる」
誰も僕の名前を出したわけじゃない。
でも、そんな言葉の端々に、棘がある。
それが僕の胸に、静かに突き刺さる。
何気ない会話。悪気は、きっとない。
ただ、“ふさわしい”かどうかを、みんなが自分の物差しで測ってる。
──ふさわしい、って、誰のための言葉なんだろう。
帰り道、沙耶と並んで歩いていた僕は、その言葉を飲み込んだまま黙っていた。
「……今日、元気ない?」
沙耶が、僕の顔をのぞき込む。
さりげないようでいて、その目はまっすぐだ。
「いや……うん。ちょっとだけ、考えごと」
「うん、そう見えた。話してくれなくてもいいけど、聞くことはできるよ」
その言い方が、なんだか優しすぎて。
僕はつい、少しだけ本音をこぼした。
「……沙耶が、僕といることでさ。ほんとは、もっと“ふさわしい”人がいるんじゃないかって、そんな風に言われるのが……つらい」
沙耶は、しばらく何も言わなかった。
ただ歩きながら、僕の言葉を嚙みしめるように、前を見ていた。
やがて──小さな声で、ぽつりと。
「それ、つらいね」
僕の方じゃなく、道の先を見つめたまま。
まるで、誰かに語りかけるような声だった。
「私もさ、小さい頃から何度も言われたんだよ。“なんでもできて、完璧すぎて、近寄りがたい”って」
「……うん、そんなこと言ってた人もいた」
「でも、だからこそなの。私は、“誰といたいか”を、自分で決めたい。
誰に選ばれるか、じゃなくて。誰を好きになるか、は自分で決めるんだって、そう思ってる」
沙耶が僕を見る。
その瞳には、強さと、揺らがない意志が宿っていた。
「だから、私は碧斗と一緒にいるよ。“ふさわしい”かどうかなんて、他の誰にも決めさせない」
「……沙耶」
言葉が出なかった。
彼女は、自分の“好き”に対してこんなにも真っ直ぐだ。
それに比べて、僕は……。
「焦らなくていいよ。碧斗は、ちゃんと向き合おうとしてくれてる。
それって、簡単なことじゃない。だから、私にとってはもうそれだけで、十分“ふさわしい”の」
さらりと言って、沙耶はふっと笑った。
その笑顔に、また少しだけ、救われた気がした。
でも。
──それでも、僕は変わらなきゃいけない。
僕は、まだ“選ばれる”ことに怯えている。
だけど、いつか僕も、自分の“好き”を選び取る人にならなきゃ。
それが、彼女の隣に立つための一歩なんだと思った。
その日の帰り道。
初めて、自分から沙耶の手を握った。
ほんの少し震えていたけど、彼女は何も言わずに、その手を握り返してくれた。