君は僕を好きで、僕はそれを疑ってる
「おはよう、碧斗」
その声は、朝の空気を軽やかに揺らした。
振り向かなくても分かる。氷室沙耶だ。
僕の幼馴染で、誰が見ても“完璧な”女の子。
彼女は僕の隣に立つことを、何の迷いもなく選ぶ。
昔からそうだった。
でも今は――違う意味を持つようになった。
「今日も一緒に行っていい?」
「……いいよ」
返事は短くなってしまう。
意識しているから、じゃない。
意識しすぎて、どう接していいか分からなくなるからだ。
彼女は、僕のことが“好き”だと言った。
冗談でも、気まぐれでもない。
目をそらしたくなるほど真剣なまなざしで。
でも、僕はその気持ちを、まっすぐには受け取れない。
なぜなら――
「氷室さんってさ、マジで全部できるよな。あとは彼氏がまともなら完璧なのに~」
そう言ったのは、クラスの男子だった。
特に悪意はなかった。軽口の一種だ。
本人もすぐに「あ、ごめん、冗談」って笑ってたし。
でも、その“冗談”が、やけに胸に刺さる。
「……なあ、沙耶」
「うん?」
「……やっぱ、俺たち、目立ちすぎてるかもしれない」
言葉を選びながらそう告げると、
彼女はふっと目を伏せて、ゆっくり歩調を緩めた。
「……うん、知ってるよ」
その声には、強さも、優しさも、かすかに滲んだ寂しさもあった。
「でもね、碧斗。私は“目立ちたい”んじゃない。
“隠したくない”の。私があなたを好きなことを」
「でも、言われるだろ。いろいろ」
「言われるよ? でも……それが“正しい”とは限らないでしょ?」
彼女は立ち止まり、僕をまっすぐに見た。
「“ふさわしい”って言葉がね、最近ちょっと怖いなって思うの。
私たちの関係まで、誰かの理想に合わせなきゃいけないみたいで」
僕は言葉を失った。
沙耶はいつだって、僕より先を歩いている。
でも今、彼女の歩幅は僕とぴったりだった。
「ごめん、……俺が弱いせいだよな」
そう言うと、彼女はほんの少し口をとがらせた。
「違うよ。それって“優しい”んだよ。
周りの目を気にできるってことは、誰かを傷つけたくないってことでしょ。
私は、そういうとこも好きだよ」
「……ほんと、ずるいよな。沙耶は」
「うん、ずっとずるいよ。だって、好きになったら簡単にやめられないから」
その笑顔は、春みたいにやわらかくて、
でもたしかに、少し怖いくらいに強かった。