96:稀代の天才
ギルドの窓口で職長アレン・ベスタを指名して待っていると、洋物の波平さんが真面目な顔でやってきた。その美事な一本毛と表情にレイが笑死寸前だ。
「職長のベスタです。…どこを見てるのですか、笑ってますね、抗議します」
「ぶふぅっ! 濃すぎる! カトちゃんかよ!」
「私のどこが濃いのですか」
「あ、怒ってる? 鬼薄いけど濃いなぁって」
「瑠璃の皆さん、何なんですかこの人は」
「ご、ごめんなさいね? レイは後ろにいなさいよもお! 推薦状かして!」
「いやこれ笑わなきゃ失礼案件だろ! てかミレアも笑ってんじゃうお!?」
ロッテに腕を引っ張られたレイが、女性の胸でしかない部位へ後頭部が当たったのにドンっと音がした。
レイが「えぇ…」という顔で見上げると、ロッテがイイ笑顔でバチコン!とウインクする。
その様子に間違った対抗心を芽生えさせたのか、イリアが『ん~~~』と呻りながらレイを腕を引っ張っている。
そんなイリアに『奪うならもっと腰を入れるのだ。こう、こうだ!』とレクチャーしているルルも、思考回路が絡まっているか断線していそうである。
「ノワルって平均的な部類だったんだな」
「悩みは全員揃うと影が薄くなることです」
「イヤな悩みだな?」
「イリアはなにしてるの?」
「シィにも手伝って欲しいですか!」
ギルドホールが局所的に混沌とした様相を呈しているが、さておき。
推薦状を受け取ったベスタは、『十席会の推薦状ですか、久々に見ました』と言いながら内容を確認していく。
ミレアが腕前だけは文句のつけようがないと伝え、ベスタもディナイルが欲しがる程ならそうなのだろうと納得した。
推薦状には筆記試験の免除と早急な戦闘試験実施に加え、レイに関する情報の秘匿を要求すると書いてある。詳細は同行者に聞いてくれ、とも。
読んだベスタは書面から視線を上げ、『談話室へ行きましょう』とミレアに告げた。
「時間を取らせて悪いわね」
「いえ、大凡は察しがつきましたので」
二階の談話室に入ったベスタは、開口一番『勇者じゃない方ですね?』と言い当てた。
ギルドの職長は一階ホール業務の統括責任者なので、メイズとシーカー関連のみならず、幅広い知識を要求され情報収集能力も高い。
じゃない方と言われたレイは不満気だが、ベスタはディナイルとアンスロト王家の繋がりを把握していたようだ。
「遅かれ早かれ勇者一行は特定されると思いますが」
「そうなのだけど、もう一つの方は秘匿する必要があるのよ」
「もう一つの方とは?」
「アレジアンス」
「っ!? 勇者が工房主とは……いえ、むしろ得心のいく話ですね」
ブラックライノが頻繁に目撃されており、シーカー界隈でも大きな噂になっている。アレジアンスは商会ならぬ新進気鋭の魔導製品工房だと認識されており、少なくない人数が興味を持っているようだ。
「アレジアンスを知られたらマズイのか?」
「正確にはアレジアンスとの繋がりを、よ」
確かにそうだと頷くベスタを横目にミレアが説明する。
先ず第一に、レイが戦闘試験で圧勝するのは目に見えており、その噂は瞬く間に拡散し、クランによる勧誘合戦が始まるだろう。何しろ、大手クランには勧誘担当の人員がおり、ギルドも戦闘試験の実施概要を即時公表する。
レイはライセンス取得と同時にクラン瑠璃の翼に加入するため勧誘はどうでもいいのだが、ボロスに拠点を移すのは約一年後になる。この〝ボロスへの引っ越しは一年後〟という点が問題だ。
シーカーには個人主義、つまりソロでメイズに挑む者もいるが、そういうキワモノは極々一部でしかない。
初期は気の合う者同士で仲良しパーティーを組みクランに所属しない者も少なくないが、生きるか死ぬかの試練を課すメイズはそう甘い場所ではない。
シーカーを生業にするならば、誰しもが遠からず行き詰まる。
結果、少しでも上位のクランに加入したいと欲する者が大勢を占めていく。
腕に自信はあれど上位クランに加入を認められない者の大半は、本質的な物事の考え方や価値観に問題がある。故ドルンガルト公より悪辣なシーカーなど、ボロスには吐いて捨てるほど存在するのだ。
そういった連中が名を上げるには、勇名を馳せた者を倒すという手段が最も簡単で早い。何ならレイの首を手土産にして、大手悪徳クランに売り込もうと考える者が出てくるだろう。
有望な修練生として知られている訳でもないレイは、面倒な悪党シーカーどもにつけ狙われる。これは確定的な未来と言ってもいい。
もしそいつらがアレジアンスとの繋がりを知れば、社員やその家族、ユアやセシルを拉致ってレイを呼び出すくらいのことは躊躇なくやる。
何より厄介なのは、下手に命のやり取りに慣れているため、自身の死を厭わない阿呆が多い点である。
「ユア様とセシル様とメイは特に目を惹くからね」
「攫うのが簡単なのは職員の家族なの」
「レイ様を呼び出すことが目的なので、人質を生かしておく必要もありません」
シャシィ、シオ、ノワルの言葉を聞いたイリアが、上着の裾を握り締め俯いた。
攫われた時の恐怖が蘇ったのだろう。
「心配いらないよイリア、今はあたしらが付いてるだろう?」
「そうとも。もうイリアが怖い目に遭うことなどない」
「うん、ありがと…」
感傷的になっていたレイが半目に変わった。
語尾の「か」は天然じゃなく自作自演かよ、と。
「どうレイ、これで理解できたでしょう? ブラックライノを見かけても下手に近づかないようにね」
「よーく分かった」
「あと、ボロスにいる時は武装の方がいいわ。一級品の武装は――」
「断る!」
「どうしてよ!」
「何となく堅苦しい。殻化でどうにかなるし」
「殻化!? ドルンガルトで先代獣王に打ち勝った人物とは貴殿なんですか!?」
ミレアが眉間を摘まんで頭を振った。コイツ理解してねぇし、と。
ミレアが仕方なく秘匿を条件に説明したところで、話題は戦闘試験に移った。
ミレアたちは瑠璃の翼の修練生だったため、対戦相手が所属クラン以外からギルドにより選出されることしか知らない。
「推薦枠の場合は〝相応の手練れを選ぶ〟という要件が加わります」
「それは、難しいわね」
「そのとおりです。先代獣王と同等以上は実に難しい。最低でも十席会の三番手以上を選ぶことになります」
ミレアは「殻化を口にしなければ早く済んだのに…」とレイを見遣り、対戦相手を思い浮かべているのだろうベスタへ視線を戻す。
「臥竜の槍聖を当たってみますか」
「「「「「「「っ……」」」」」」」
臥竜とは、十席会の第二席を長らく保っているクランの名称だ。
十席会の中で最も所属人数が多く、貢献度は第一席に迫るという。
臥竜の二番手パーティーには、三年ほど前に彗星の如く現れた小柄な槍術士がいる。小柄なのは当然で、彼は齢一三歳の少年だ。
所謂、稀代の天才である。
今でこそ槍聖の異名を欲しいままにしているが、ミレアたちがボロスにいた三年前は「子供の皮を被った殺戮者」と陰で呼ばれていた。
一般試験の筆記・戦闘で史上最高得点を叩き出した彼は、臥竜に加入した。
その直後から名を上げようと襲いかかってきたシーカーたちの尽くを、一〇歳だった彼は躊躇なく殺害したという。
「ルル、ロッテ、槍聖の近況を教えてちょうだい」
「三月ほど前に四〇階層守護者を単独討伐し、個人で三ツ星になった」
「ガタイも成長して長物の槍に替えてるよ。今の背丈はノワルと同じくらいだね。新しい得物はミスリル鍍金だろうさ」
「風魔術については判らない。我々と臥竜の険悪な間柄は変わっていないのでな」
稀代の天才が天才たる所以は、槍術と風系統魔術の両方に天賦の才を持つから。
一三歳での四〇階層守護者単独撃破も、ギルド史上の最年少記録に違いない。
近い将来、槍聖がトップパーティーメンバーに入るのも凡そ間違いない。
ミレアたちがレイに目を向けると、レイは暢気に欠伸をしていた。
不安気なシャシィが、レイの袖を摘まんで口を開く。
「レイ聞いてる? 簡単に勝てる相手じゃないかもだよ?」
「話だけで分かるワケない。つーかな、勝てるかどうかじゃなく、強ぇヤツがいるってのが大事なんだよ。じゃなきゃボロスに来る意味ないだろ?」
「レイはそうだろうけどそうじゃなくて、レイが死んじゃヤダよ…」
「え、戦闘試験って殺しアリなん?」
ミレアたちがベスタへ目を向けた。
彼は至って平静に口を開く。
「推奨するものではありません。しかし、ギルド規定や自治法には触れません」
「おぅふ、流石にイカレてんな。で、いつ戦れる?」
「豪胆ですね。両クランの間柄からして、一時間四〇分もあれば整うでしょう」
「潜ってはいないのね」
「四日前に下層から帰還したばかりです」
「んじゃのんびりメシ食ってからまた来るわ」
「分かりました、手配しておきます」
「ヨロシク。行こうぜ」
レイは正確な腹時計の指示に従い、ノワルに「消化がいい料理で美味い店」とリクエストしながら談話室を出る。
ミレアは溜息をつき、シャシィとシオとイリアは心配の色を目に浮かべ、ルルとロッテは全く気負いのないレイの胆力に感心して顔を見合わせる。
レイは「熱くなれればいいな」と、薄く笑みながらギルドを後にした。