91.5:兄妹の悩み事
ドルンガルト、キエラ、ヴェロガモにおける戦闘終結から一二日後、アンセスト王都では現王の勇退パレードが盛大に執り行われた。
国王の退位に伴うパレードという慣習がないためか噂が噂を呼び、また、勇者により平定が成された喜びも相まって、王都の大通り沿いは人だかりで埋め尽くされることとなった。
高座の国王や両脇に座ったクリスとフィオへの歓声もさることながら、パールホワイトに塗装されたコンバーチブルが新たな時代の到来を実感させ、当日の王都は夜中までお祭り騒ぎが続いた。
しかし冷めやらぬ王都の歓喜を他所に、アンセスト王宮内廷の執務室では、面倒な厄介事を抱えることとなった王太子クリストハルトが連日呻いていた。
それを心配した王太子近習のロッソ・ウェルチは、不敬と判りながらも王女フィオネリアに面会を申し入れ、後宮のサロンへと足を運んだ。
「近習として至らないことは重々承知しておりますが、勇者様方にご相談なされば如何かと愚考する次第でございます…」
「兄上はジン様方に頼り過ぎるのもよろしくないとお考えなのでしょう。とはいえ看過してもおけませんから、私がそれとなくアレジアンスに赴きましょう」
王女の外出にそれとなくも何もないのだが、フィオにもフィオなりの気掛かりがあり、お忍びの形をとりアレジアンスへ赴いた。因みにアポなしである。
唐突なる王女来訪にアレジアンスは蜂の巣を突いたような騒ぎとなりつつも、大物慣れしてきたアイゼンとメイが卒なく応対し、新社屋の応接室へ案内した。
「畏れながらフィオネリア王女殿下、ジン社長とユア技師長は少々立て込んでおりますれば、暫時お待ち頂いてもよろしいでしょうか」
「もちろん構いません。相変わらずお忙しいのですね」
「お二人の手が空くまで、私が殿下のお相手を務めさせて頂きます」
アイゼンが場を辞し、メイがコーヒーとお菓子を用意して話を始めた。
ジンの方針でアレジアンスは専任侍女を雇わないため、来客に飲み物を出すか否かは応対者が決めて良いことになっている。
「この生菓子はユア様と三人で訪れた商店の品ではありませんか?」
「ユアさんもですが、レイさんが大好きで定期購入を始めたんです。大量に…」
今回は重い生クリームでコーティングされたシフォンケーキっぽい品だが、社食と応接室の冷蔵庫には状態保存術式が付与されているため、売るほどストックしてある。
レイは一度に一〇個や二〇個はペロリと食べるのだが、買いに行くのが面倒だと半月に一度の定期購入契約を誰も知らぬ間に結んでいた。
おまけに「同じ物だと飽きるから毎回違うヤツで」とゴリ押したらしく、菓子店のパティシエは新作のアイデアを搾り出すのに四苦八苦している。
「ふふっ、レイ様らしいですね」
「最近はユアさんが菓子店の職人に新作の指南書を渡しているんです」
そんなことなど知らないレイは、新作が納品される度に『このパティシエ天才じゃね? いやマジで』と言いながら食べている。少しは考えろと言いたい。
そうこうしていると、漸くジンとユアが応接室へやって来た。
「待たせて悪かった」
「フィオさん待たせてごめんね」
「メイと楽しく過ごしておりましたので、どうかお気になさらず」
「では私はこれで失礼します」
「ちょっと待ってくれ。メイを同席させたいんだが構わないか?」
「もちろんです」
ジンが手振りで着席を促した。
アレジアンスの本拠がアンセスト王都に在る限り、アンスロト王家との付き合いは切れない。もちろん率先して切るメリットなどないため、行く行くはメイやアイゼンがジンたちの代わりを務めなければならないとの考えである。
「早速だがどんな相談事だ?」
「併合したキエラとヴェロガモの件で兄上がお悩みなのご様子でして、ジン様のお知恵を賜れればと思いお伺いした次第です」
「悩みの種は爵位と領地、旧来の既得権益を安堵しろという要求か」
「流石はジン様、ご明察です」
「その話、ジン君は開戦前にも言ってたよね?」
「私も聞いた記憶があります。王太子殿下にお伝えしたのだと思っていました」
「当然伝えた。併合は成立した後が大変だから、俺たちを便利に使ってでも早急に片付けろってな」
「兄上にはジン様方への遠慮があるものと…」
「そんな所だろうな。妙なところで遠慮するのはクリスの悪癖だ」
ジンが詳しい話を聞くと、キエラとヴェロガモの貴族連中が爵位や領地、各種既得権益を死守すべく、数百もの嘆願状を送りつけてくるのだと。
貴族家当主は国法や貴族法で身分と権利が保障されているため、嘆願状の内容も「安堵されて然るべき」と上から物を言う文面らしい。
クリスはああ見えて要不要を厳格に判断する性質だが、未だ王太子の立場にあるため、処遇を勅命という手段で下せない。端的に苦悩している。
そんなクリスに妙案を授けてはくれまいか、というのがフィオの趣旨である。
「簡単な話だ。クリスが今日にでも即位して王権を振るえばいい」
正確には〝元〟が付くキエラとヴェロガモの貴族連中が大きな口を叩けるのは、アンセスト国王の座が空位のままだからだ。
逆説的に、クリスが新国王として王権を握る前に、身分や利権を安堵する旨の証書を取らねば立ち行かなくなる。
キエラ王とヴェロガモ公は、主権と領土と国民の全部をアンセスト国王に譲り渡すという証書を自ら発行する代わりに、近親者の極刑や投獄を免除され、一定の資産保有まで認められ、ジンが指定した土地建物で隠棲している。
つまり併合は既に成立しているが、アンセスト王から何の沙汰もないという、極めて中途半端な状況が一月近く続いている。
騒いでいる貴族連中は、自分たちの権利を保障する法律が遠からず無効になると理解しているからこそ、今の内に大声を上げるしかない。
クリスがアンセスト国王の王権を以て処遇を命じれば、貴族連中には二つの選択肢しかなくなる。
一つは黙って従う。もう一つは逆賊となってでも武力抵抗に打って出る。
尤も、後者を選択するような者は過日の残敵掃討戦で戦死しているため、実質的な選択肢はないと言える。
「ですがジン様、戴冠の儀を執り行えるのはまだ先になります」
「戴冠式は即位したことを国民や他国に報せるのが目的だろう? 極論すれば、即位した数年後に戴冠したって構わない。即位と戴冠が同時でなければならないなんて法的根拠もないはずだ」
「確かにございませんが、即位と戴冠を個別にですか…」
「主要国の王様たちが来る旅程の問題なんだろうけど、メイさんはどう思う?」
「空位が長引くよりは良いと思います。貴族家の爵位継承も、継承した日と継承したことを主君や貴族院に報告する日は違います。辺境領主なら尚更です」
戴冠は得てして信仰する宗教の高位聖職者や高僧が、神の御名の下に王位を認めるという宗教的儀式の側面も強い。
王冠に付属する権力が王権というなら話は変わるが、神秘が溢れるこの世界においても、王冠自体が何らかの力を有している訳ではい。
「先王が重臣たちの前でクリスの即位を認めて、レイの転移で現地へ行って処遇を命じれば片付く。何ならゴートも連れて行けばいい。異議申し立てはレイとゴートが受け付けるとでも付け加えれば、生きるか死ぬかの二者択一になる」
「あはは、二人とも命までは取らない…よね?」
「殴り殺しはしないでしょうけど、もしレイさんを怒らせたら…」
「メイは良く分かってるな。キレたレイなら未開地に捨てるくらいはしそうだ」
イイ笑顔で「まぁ頑張って生きろ! あーばよ~♪」と置き去りにするレイをありありと想像したフィオが、おもいっきり引き攣った笑みを浮かべながらも「アリです」と考え、『その旨を兄上に上申いたします』と答えた。
メインテーマが解決をみたと判じたユアとメイが、不敵な笑顔を見合わせ「うん」と一つ頷いた。ジンは「レイがウザ絡みする直前の顔に似てる…」と内心で苦笑を浮かべる。
「ねえねえフィオさん、相談したいことって今の話だけじゃないよね?」
「そ、それは……」
「殿下、ジン社長が邪魔なら退席して頂きますが!」
「おいおい…(一瞬ノワルと被って見えたんだが)」
「い、いいえ、出来ればジン様のご意見も伺いたく…」
ユアとメイがニヤリと笑みながら確信した。
ジンも「あ~」と心当たりが脳裏を過った。
「結婚、いや婚約の話か?」
「あー! ジン君に先越されたー!」
「ジン社長は空気を読んでください! そういう所はレイさんの方が上手です!」
「地味にダメージが大きいぞメイ…」
苦笑するフィオが、敢えてジンに問い掛ける。
「ジン様は、なぜ婚約のお話だとお判りになられたのですか?」
問われたジンがユアとメイへ視線を巡らせると、二人は不承不承といった風情ながらも「喋ってヨシ」と半目で頷いた。
「前提として、アンセストとオルタニアは軍事同盟を結ぶ流れにある」
そう前置きしたジンが、話の深掘りを始めた。
アンスロト王家はもとより、アンセストを本拠とするアレジアンスとの関係もオルタニアは深めねばならない。
国力で大きく勝るオルタニアは、単純明快で太い繋がりを無遠慮に求めてくるだろう。将来的な主導権を握るために。
最も手っ取り早いのは、皇家と王家の婚姻関係になる。しかしアドルフィト三世は既に正妃と三人の側妃を娶っており、クリスは未だ婚約すらしていないが、オルタニアの第一皇女は五歳と幼い。第一皇子にしても未だ七歳だ。
となれば、格の違いを暗に示せる次善策は何か。
「イグナシオ・バルバ・デ・アレンシア公爵の嫡男とフィオの婚約しかない」
ドヤ顔で断言した。ユアとメイが「相手まで!?」とフィオへ目を向ける。
「仰るとおりです」
「「おぉ~~~!」」
「悪い話じゃないと思うぞ。初めて公爵と会った時に随行してたが、イケメンだったしカリスマ性も感じた。アレは雰囲気的にレイと同類だな」
「レイ様のように素敵な御方なのですか!?」
「「「え…?」」」
フィオの想い人が発覚した頃、当の本人はゴートとフードファイトをしていた。