73:調子に乗るな
「ヤバッ! 楽しっ! パラシュートなしのスカイダイブーーーってか寒っ!」
セシルが【空間跳躍】のリアルフリーフォールに嬉々と絶叫する。
「ウザうるせぇ…」
実際には落下する前に次へ跳んでいるため風の影響などなく、耳元での絶叫が鼓膜を叩き耳がキーンとなる。とはいえ、初めて跳んだ時は自身も絶叫していたため気持ちは解ってしまう。
それでも「投げ捨てようかな?」と考えるレイは鬼である。
そんなレイとセシルが向かうのは、セルベラ大佐をはじめとした護衛五名が余暇を楽しむシャンテなる辺境都市だ。
シャンテはエルメニアの北東部に位置し、知る人ぞ知る風光明媚な避暑地。
巡礼地ではなく冬は雪に覆われる牧羊地であるため、夏季には特産品の羊毛とチーズを求めて商人が集う。
裏を返せば、人知れず余暇を楽しむには打ってつけの都市という訳だ。
「レイきゅん、お姉ちゃん寒いよ? 温めて? 性的に♥」
「鼻水たらして余裕なお前は逝ってこいやぁ!」
「ひっ!? ヒギヤァアアアアアアアァァァァァァァーーーーーー……」
レイが笑顔を浮かべてセシルを遠投、いや投擲した。
仰角四五度で投擲されたセシルが、美しい放物線を描きながら墜ちて逝く。
異様に楽しそうなレイが笑いを噛み殺しながら跳び、相対速度を合わせて自身も落下しつつセシルを抱きとめる。
幾度か【宙歩】を踏んで落下を抑えたレイがセシルをひっくり返すと、その顔は涙と鼻水と涎に塗れていた。
「えへ、えへへへへ、漏らしちゃった♥」
「え…マジで?」
「久しぶりの黒歴史だお」
「まだまだ余裕だな?」
「のぉーーー! ムリだから! ホントに漏れちゃうから! レイきゅんがそっち系の性癖なら投げてもいいけどっ!」
「ドアホか!」
「クシュン! ガチで寒いお?」
「ったく…」
寒さでカチカチと歯を鳴らすセシルを見かねたレイが、【格納庫】から外套を取り出して包み横抱きにする。
「うへへへ、お姫様抱っこで暖かい♪ お姉ちゃんはレイきゅんが大好き♥」
脳裏に苛められていた頃の記憶が蘇る。
レイが苛められていると最初に気づいたのはセシルだった。
いつも目を真っ赤に腫らして帰るレイを心配したセシルは、しつこいくらいに「どうしたの?」と訊いてきた。
訊かれると苛められている場面が頭を過り、レイは泣きながら「皆に嫌われてる」と吐露した。
その日からセシルは毎晩一緒に寝るようになり、レイが寝付くまで『お姉ちゃんはレイきゅんが大好きだよ』と繰り返し言ってくれた。
ジンと同じクラスになった四年生までレイが苛めに耐えられたのは、ユアのみならずセシルの存在が大きい。
「なあセシル」
「ん?」
「俺もセシルが大好きだ」
「ん、知ってる。お姉ちゃんはレイきゅんが強くなって嬉しいの」
「そうかよ」
「そうだよ。久しぶりにチューして?」
「調子に乗んなバーカ」
「チッ、意外とガードが堅ぇぜ」
「俺の周りはブレねぇヤツばっかかよ」
セシルを抱き空を駆けるレイの顔は、雲一つない秋空を映したように晴れやかだった。夏真っ只中ではあるが。
そこそこ迷いながらも、やたらと羊が多い辺境都市に辿り着いた。
緩やかに湾曲した川沿いに造られているシャンテは、知る人ぞ知る避暑地と言うに相応しく、長閑でどこか懐かしさを感じる風景だ。
セシルは有り余る財力で小綺麗な宿を貸し切っているらしく、恰も自宅へ入るかの如くドアベルをカランコロンと鳴らし踏み込んだ。
「モ~ニカちゃ~ん! あ~そ~ぼ~~!」
無駄にウザイ呼び声が響くと、階段を踏み壊し駆け下りるような音と共に、セルベラ大佐とガチムチ四人衆が姿を現した。
ガチムチたちが片膝をついて控え、彼らを押しのけるようにセルベラ大佐がセシルに駆け寄りひしと抱きついた。
「セシル様っ!」
「よしよし、モニカちゃんは今日もカワイイね♪ のんびりできた?」
「のんびりどころか不安を募らせておりました! よくぞご無事で!」
「うん、職業病起因の不安症だね。精神科に行こっか」
「お前それハラスメントだろ」
「脂が乗ったサーモンのハラスが食べたい! レイきゅん釣ってきて?」
「お前は首を吊れ」
「ん~、ややウケ?」
「クソうぜぇ」
そのやり取りに、セルベラ大佐とガチムチたちが剣呑な眼差しをレイへ向けた。
レイが「洗脳されてやがる」と内心呟き苦笑する。
外面モンスターなセシルは、有り得ない方向から人心を掌握する達人だ。
面倒くさくなったレイが適当に顎をしゃくると、セシルは勝手知ったるとばかりに宿の食堂へ行き、五人に斯々然々と状況説明を始めた。
要はレイがレイヌスと同じ魔法を使えるようになったため、明後日に帝都近傍へ馬車ごと転移して帰都する。
その翌日にはレイたちが大勢で聖都から帝都へ転移するため、ホテルの部屋を準備万端整えようという話である。
「またアンセストへ行かれるのですか?」
「そんな寂しそうな顔しないの。明後日からまた毎日一緒だお」
「はい…」
洗脳というより狂信的依存の臭いを醸すセルベラ大佐にレイが軽く引く。
それを見て取ったのか、ガチムチの一人が目を細めて口を開いた。
「畏れながらセシル様、如何にご実弟といえど、いいえ、実弟であるからこそ、実姉たるセシル様への敬意に欠けるものと存じます」
「んーと…マンセルの言ってる意味が判んないんだけど?」
セシルは普通に判っていないが、レイはマンセルの存念が手に取るように判る。
詰まる所、「俺が勝ったらセシルをおもっきり敬え」との脳筋思考だ。
レイもレイで、帝国正規兵屈指の猛者と言われるガチムチたちの実力に興味がないと言えば嘘になる。
だがしかし、微塵も脅威を感じない四人を相手にするほど、今のレイは戦闘に飢えていない。
「セシル様、マンセル少尉は弟君と一手交えたいと申しているものと」
(言っちゃうのかよ…)
「あ、そういうこと?」
「セシル様のお許しを賜れるのであれば、是非とも!」
マンセルに乞われたセシルがレイを見遣る。
レイはセシルに決めさせようかと思ったが、かなり時間が押していることを思い出し口を開いた。
「ダラダラしてらんねぇから四人纏めて相手してやる。四対一がどうのとか言うなら大人しく部屋にすっこんでろ」
「「「「 っ! 」」」」
言ったレイが、セシルの同意を得ることなく食堂から出て行く。
セシルも手早く終わらせるには模擬戦を許可するしかないと理解した。
「じゃあ戦っておいでよ。但し! レイきゅんに負けても遺恨を残さず、私の護衛を続けるって約束してね?」
「「「「御意に!」」」」
レイが軽くイラつきながら外で待っていると、二メートル超の使い込んだ棍を手に四人が出て来た。
レイは四人の武器がハルバードであることを思い出し、休暇中も棍を使ったトレーニングに精を出していたんだなと感心する。
一方、四人はレイの戦闘スタイルを知らないため、無手で飄々と立つレイを訝しむべきか怒るべきか逡巡してる様子だ。
「先手はくれてやっから掛かって来いよ」
「……常在戦場と受け取るがよろしいか」
レイがセシルへ顔を向けた。目に「ナニソレ」と書いてある。
「ぷふ、いつも戦場にいるような気構えって意味だお」
「あー、本気で戦れってか。OK、OK、瞬殺してやる」
レイが無強化ながら刹那に殻化するという異常な技量で鮮紅を噴き上げ、獰猛に笑んでストライカースタイルに構えた。
対峙する四人は経験したことのない強烈すぎるプレッシャーに全身を震撼させながらも、戦士の矜持を振り絞り棍を握り締める。
一瞬で顔面を蒼白に染め上げたセルベラ大佐がへたり込み、セシルも顔を引き攣らせながら腰を落としセルベラ大佐の両肩を抱いた。
レイがゆらりと一歩を踏み出す。四人がビクリと震えて一歩退く。
構わず二歩三歩と踏み出せば、恐怖に駆られた四人が一斉に棍を突き出した。
バギャッ!!
「「「「っ!?」」」」
突き出された棍を四本纏めて圧し折ったレイが躍るように四連撃を放つ。
ゴゴッ! ズドッ! ドゴッ!
総じて鼻と前歯を根こそぎ砕かれた四人は、糸の切れたマリオネットが如く膝から崩れ落ちた。