65:信用証札
西方遠征から帰着して四ヵ月、対ドルンガルト戦までの猶予は最長二ヵ月。
ジンが対ドルンガルト戦を晩夏ないし初秋に設定した所以は、麦の収穫前に農地を荒らしたくないからだ。
ジンたちだけで対処できるなら、農地を荒らさないよう動くことも出来る。
しかし、共闘する聖宮騎士が旅団規模で進軍すればそうもいかない。
何しろ従士は主家である聖騎士に絶対服従するが、だからと言って従士が漏れなく品行方正かと問えば、答えは否である。
「よし、最終チェック完了。どうにか間に合いそうだ」
「ジン君お疲れ様。はい、冷たい果実水だよ♪」
「ありがとうユア。ん、美味い」
ラブラブな二人を横目に、真顔のレイがガチムチ技師グループに歩み寄る。
「ガンツ君お疲れ様。はい、冷たいプロテインだよ♪」
「あ、ありがとうレイさん……いや意味分からねぇんだが!?」
ジンのジト目とユアの睨みも何のその、今日もレイはアホである。
工場内には完成した五基の多重結界装置、一二基の魔力充填装置、五〇門の三連装超長距離無反動魔導砲、王宮に収めるパールホワイトのコンバーチブルが所狭しと置いてある。工場前の敷地へ目を向ければ、アンセスト軍務院から受注した二台のブラックライノと、自家用に新造したホワイトライノが並んでいる。
ホワイトライノは大量の荷物を積む必要がないため、後部は旅客機のファーストクラスをイメージした、一二席のブース型フルフラットシート仕様だ。
「レイ、バカなことやってないで格納してくれ」
「おい、バカって言われてるぞガンツ」
「俺じゃねぇと思うんだが…」
楽し気なレイが視点を定める度に納品物が消えていく。
【格納庫】と【食料庫】は収納物の質量と物性的情報量を基準に魔力消費を要求するため、レイはゲートを開け魔力をガンガン供給していく。
その量たるや、並みの魔術師に換算すれば一万人分を軽く超えている。
質量起因で消費する魔力よりも、物性的情報量起因で消費される魔力の方が圧倒的に膨大だ。
特に極鋼と魔晶の収納で要求される魔力量が尋常じゃなく多い。
例えば、拳大の魔晶六個を搭載するブラックライノを一台収納すると、魔術師換算で三〇〇〇人分を要求される始末だ。
唯一の救いは、魔力消費を要求されるのが収納する時だけという点だろう。
ジンは収納している限り常時消費すると予想していたが、もしそうであったらレイは見る見るうちに瘦せ細っていくに違いない。
体内で魔力を循環させると、細胞レベルで肉体エネルギーを消費する。
これは強化、覆魔、殻化にも共通する現象で、レイの肉体エネルギー消費を重くみたジンは、ユアとメイに協力を頼んで吸収が早いゼリータイプのプロテイン飲料を開発した。
プロテイン飲料の主原料は、危険種指定されている魔獣の母乳だ。
定期的な搾乳を依頼された戦闘系ギルドの職員が、暫し混乱したことは言うまでもない。因みに、味はレイが大好きな某乳酸菌飲料に寄せてある。
「ジン部門長、納品用の帳票類をお持ちしました」
「ありがとうアイゼン。明朝から数日空けるがよろしく頼むよ」
「承知しております。どうかお気をつけて」
ホワイトライノに乗り込むのはレイ、ジン、ユア、そしてメイの四名だ。
メイはいずれユアの後継として執行役技師長に就任するため、この機会に王家や宮廷の重鎮各位と正式に顔合わせをしようという話だ。
セシルも行きたいとせがんだが、レイは『コンドームを造れるだけ造っとけ』と説き伏せた。ミレアたちは生ゴムの調達に出かけている。
第一内郭門に続いて王宮正門を抜けて表玄関のロータリーへ進み、事前連絡を受けたとおり王宮脇を通って離宮の前で停車。離宮前にはクリスとフィオの姿が。
「よく来てくれた。三人共に久しく感じるな」
「よぉクリス、四ヵ月ぶりだっけ? フィオは一ヵ月ぶりだな」
「はい、あの折は驚きました」
レイの神紋が禍ツ神こと死神に由来し時空を司る云々については、ジンが秘匿を条件に書面でクリスにだけ報せている。クリスは転移を目撃したフィオにだけ明かしたそうだ。たった四つの魔法ではあるが、噂レベルでも軍事的に世界を揺るがす内容であるため、クリスは最高機密に指定し書面を禁書庫へ放り込んだ。
現在は空き家になっている離宮の裏庭に面したテラスルームへ入ると、ユアが促すようにメイの背へ手を添えた。
「両殿下のご尊顔を拝しますは身に余る栄誉と存じます。改めまして、錬金術師サリュメイ・ホーソンにございます」
「うむ、ブラックライノの譲渡式典以来であるな。其方の功績はフィオネリアからも聞いておる」
「兄上、メイはユア様の後継となるそうです」
「ほぉ、であれば我々と見える機会も増えよう。期待する故に励んでくれ」
「畏まりました。粉骨砕身務めさせて頂きます」
西帝国出身で錬金術師のメイにとっては、アンセストの王族よりも神匠セシルの方が畏れ多い存在に映る。
次代を継ぐクリスに気安く接するレイの影響も大きいが、メイも今や堂々としたものだ。立場が人を成長させた見本と言える。
実のところ、セシルはメイの生家ホーソンを知っていて、メイの父親と浅からぬ縁があるのだが、それはまた別の物語である。
「そろそろお披露目すっか?」
レイの言葉にジンが頷き、レイがスッと腕を持ち上げ裏庭を指差す。
クリスとフィオが視線を移すと、純白のコンバーチブルが出現した。
「おぉ! 素晴らしいっ!!」
「神遺物を想わせる美しさです…」
クリスが思わず立ち上がり、フィオは頬に手を当て感嘆の吐息を漏らす。
ジンたちが最も苦労したのは、クリスタルパール色の塗装だった。
アンスロト王家の紋章は金の縁取りで絵柄に青と赤が配色されているのだが、その三色が映える塗料の開発も困難を極めた経緯がある。
「満足してもらえたようで何よりだよ」
「満足どころではないぞジン! これは国宝にせねばならん!」
「嬉しい言葉だが、オーバーホールや全塗装も可能だから使ってやってくれ」
「もちろんだとも!」
「なあジン、これ値段決めてねぇんだろ? 幾らにすんだ?」
「正直なところ、込み込みの原価は二億ちょいなんだよ」
ジンが続けてぶっちゃける。
現王勇退という慶事に使う車輛であり、クリスの王位継承は自分たちの思惑の一つでもある。従業員に祝儀という名目の特別ボーナスを一人頭二〇〇万も支給できれば十分なので、利益度外視の二億六〇〇〇万くらいで構わない。
「馬鹿を申すなジン、国宝にする王室専用車がブラックライノより安価などあってはならん。アンスロト王家の威信に係わる」
「私も兄上のお言葉に賛同いたします。せめてブラックライノの倍でなければ」
「うっわ、一六億かよ」
「間違いなく取りすぎなんだが、いいのか?」
「いやならぬ。二二億だ」
「「「え…」」」
「名案ですわ兄上、二は慶数とのお考えですね」
「慶数か……にしても太っ腹だな。じゃあ魔力充填装置はプレゼントするよ」
「それは嬉しい申し出だ。遠慮なく受け取らせて貰う」
レイとユアは「頭のおかしいゲン担ぎだ」と半目になったが、メイは「なるほど!」といった風情でウンウン頷いている。
クリスは空白になっていた譲渡証明書の金額欄に、二二億の数字を記入して署名し、数名の近衛を呼びつけた。取り扱い説明と運転教習の始まりだ。
一点物のためリアシート中央は豪奢な高座になっており、近衛が恭しく開けたドアからクリスが現王役として乗り込み、フィオが一段低い隣に座る。運転者は選出されており、助手席に乗り込んだジンがオートマ車教習を実施した。
最終的には「運転させて!」と目をキラキラさせるクリスにも一通りを教え、離宮の東側に新築されたガレージに入庫し、魔力充填装置を設置して終了。
「軍務卿と財務卿に通達してある。足労をかけるが外廷のサロンへ向かってくれ」
「了解した。それとドルンガルト、キエラ、ヴェロガモは来月後半に対処を開始する予定だが、勇退パレードはいつ頃を予定している?」
「晩秋の収穫祭に合わせたいのだが、支障はあるか?」
「問題ない。戦闘自体は三日以内に片付ける。戦後処理の期間は予想できないが」
「僅か三日で三国を落とすのか……明日は我が身と心せねばならぬな」
「その気構えには敬服するよ。クリスなら名君になれるさ」
ジンたちは「賢王の器だ」と感心してホワイトライノに乗り込む。
外廷は王宮の西側で棟続きになっているため、表玄関前のロータリーを抜けて外廷玄関に横付けする。
ジンとユアは外廷各院の重鎮諸侯と面識があるため、手厚くもてなされながらスムーズにブラックライノ二台の譲渡を終えた。実際に進行役を務め、クリスが記入署名した譲渡証明書などの手続きを執るのは、四名の高級官吏である。
「次に移らせて頂きます。多重結界装置が一基、魔力充填装置が五基、三連装超長距離無反動魔導砲が四〇門で間違いないでしょうか」
「間違いない。事前通達のとおり魔導砲の演習を五日後に行いたいんだが?」
「要員の召集は完了しておりますので問題ございません。場所はブラックライノを収めて頂く東軍用地を予定しております」
「飛竜がいる所か、了解した。あぁそうだ、今から結界装置を中央広場の中心に設置するつもりだが構わないか?」
官吏が軍務卿に『如何でしょう閣下』と指示を仰ぐ。
「無論である。勇者様のお考えに異を唱える余地などない故に」
「ありがとうございますダレン軍務卿。設置は今日中に完了します」
「勇者様、代金の支払い方法について相談申し上げたいのだが、よろしいか?」
「もちろんですシャロン財務卿」
「総額二九八億シリンの支払いを〝証札〟にしたいのだが如何だろうか」
「願ってもない。今日にも独立商会化するので、登録は五日後でお願いします」
「おぉ、重畳にして誠に有難い。当日は内務卿殿にも同席してもらわねば」
通称で証札と呼ばれる信用証札は、大陸共通の有価証券、つまり小切手だ。
「証札で支払う」の言葉は、「国が財務信用を保証し、証札振り出しと換金の権利を与える」と同義である。
要するに、今後はジンも証札での取引が可能になるということだ。
諸々を終えて宮廷を辞した一行は、納品場所へ向かった。