61:八年越しの告白
考えるのが面倒なので馴染みの食堂へ入ったレイは、ズラッと並べられた料理を親の仇が如く食べまくる。
「もしかして譲ったことを後悔してるのかしら?」
「えっ!? そうなの!?」
「由々しき事態です」
「何を譲ったの?」
空腹でもなく話の内容も判らないシオが小首を傾げる。
口いっぱいの料理をレイが咀嚼する間、ミレアがシオに耳打ちをした。
「譲るとかじゃねぇよ。娘を嫁にやる父親ってこんな気分かなぁってだけ」
「ユア様を愛しているのね」
「そりゃあな」
「少し寂しい?」
「よく判んねぇけど、そうなのかもな」
「今夜は私ガハッ!? 早すぎで元祖は痛すぎです! うぅ…」
「皆が帰って来たっていう気がするの♪」
ノールックで弾いた中指が眉間を強打し、高速で首だけ仰け反ったノワルが涙を零す。『今夜は私』の続きが下ネタとは限らないが、まぁ下ネタだろう。
おまけに、隣のテーブルに座ろうとした客が目を逸らし店から出て行く。
シオの嬉しそうな笑顔が、少しばかりレイの気を紛らわせるのだった。
◆ー◆ー◆ー◆ー◆
竜車で竜舎へ向かうジンは、ユアにせがまれるまま旅先での話をしていた。
「何と言っても一番驚いたのは神匠の正体だよ」
「正体?」
「レイは魔力波動と皇帝の話で気づいたらしいけど、俺は全くでさ」
「セシル姉?」
ジンが物凄く驚いた顔をゆっくりとユアに向ける。
よもやノーヒント且つ一発で正解が出るとは夢にも思っていなかった。
一方のユアはさも「やっぱりかあ」といった風情で、ウンウンと納得するように頷きながら嬉しそうな表情を浮かべた。
「…なぜわかった?」
「召喚された時、御神岩の辺にセシル姉がいた気がしたの。でも…」
「あぁそうか、四〇年くらい前って話だろ?」
「うん」
ジンがセシルから聞いた彼女の経緯や賢者について話していると、いつの間にか竜舎の前まで来ていた。
ジャクロに『最高の走竜だった、ありがとう』と伝えると、彼は『良かったです』と嬉しそうに答え、東門まで竜車で送ると言ってくれた。
しかしジンは『旅の思い出話をしながら歩いて帰る』と返し、来た道をユアと並んで歩きだした。
「私もセシル姉に会いたいなあ」
「セシルさんも同じこと言ってた。二ヵ月後くらいに来るよ」
「ホント!? 嬉しい♪」
セシルが来るまでもドルンガルトやら新製品やらで忙しくなるといった話をしつつ、ジンはどう切り出したものかと逡巡していた。
近くはない工場がやけに近く感じてしまう。
「ねえジン君、何かあったの? 帰って来てからずっと変だよ?」
「うん、何かあった。俺はレイを本気で殴って、普通なら死ぬくらいの強さで首を絞めてしまった……」
ジンの顔が後悔で歪む。
そんなジンを、ユアは痛々しそうに見詰める。
二人の歩みは自然と止まり、ジンは王都の外郭に背を預け空を仰いだ。
「何があったのか聞かせてくれる?」
「たぶん俺の本心は、ずっと嫌いだったんだと思う。レイのことが」
「えっ……」
空からユアへと向けたジンの顔は、今にも泣きだそうだ。
「レイはユアのことを心の底から愛してる。ユアも同じだろう?」
「うん、私もレイを愛してるよ。でもそれは――」
「ユア、俺もずっとユアのことを愛していた。これからもずっと愛してる。鏑木仁泉は神楽宮結愛のことを、一人の女性として愛しています」
ユアが驚きの表情を隠すように両手で口元を覆う。
次の瞬間には大粒の涙が頬を流れ、手を伝って大地を濡らしていった。
「嬉しい…嬉しいよジン君…あと一〇回聞きたい…」
「え……ははっ、はははははっ、ユアは意外と欲張りなんだな?」
「私は欲張りだから、ジン君の言葉を独り占めにしたい……ダメかな?」
そう言ったユアは、花がほころびる様に可憐な笑みを咲かせた。
ジンが駆け出した。
ユアの全身を視界に収められるように。
この光景をいつでも鮮明に想い出せるように。
そして――
「愛してるぞユアーーーっ! 俺はユアが大好きだぁああああああああっ!」
「私もっ! 私も愛してる! 私もジン君のことが大好きーーーーーーっ!!」
どちらからともなく駆け出した二人は、世界中の幸せは自分たちの物だと言わんばかりに、きつく抱きしめ合い……唇を重ねた。
◆ー◆ー◆ー◆ー◆
腹を満たしたレイはご機嫌が回復し、任された用事を熟すべく走る。
食堂から走った先は王宮の正門前で、用事とは返品した魔装代金の返納だ。
走った理由は特にない。
しかし、ルールはきっちり決めた。
道行く人々を完璧に避け、強化なしで誰が一番にゴールするか。
最下位になった者は今日の夕食代を全員分支払う。
強化なしとはいえ、シャシィとノワルにとっては不利な勝負だ。
結果は一位がレイ、僅差の二位はシオ、三位に入ったのがミレア。
ミレアから少々離れた四位はシャシィ。
無表情で喘息患者のように荒い息をつく最下位はノワルであった。
「さぁて、なに食おうかねぇ」
「自分に有利な勝負に買って嬉しいのかしら?」
「お? 隊長の負け惜しみって初めてじゃね? 満足だぜぃ」
「シィが速くてシオはびっくりなの」
「ふふーん♪ あたしは走って戦う魔術師になるんだもーん♪」
「み、皆さん酷いです…また借金が増え、増え…おえぇぇぇっ」
「貴様ぁ! 王宮前で吐くとは何事だ! おい新入り! あの女を連行しろ!」
「へっ……!?」
ノワルが衛兵に連行されていった。踏んだり蹴ったりとはこのことか。
「よし、行くべ」
「そうね」
「はーい」
「臭いの」
他人のフリを決め込み王宮へ入ったレイは、『クリス呼んできて』と言ったところでシャシィとシオに腕を掴まれ後ろへ退かされた。
ミレアが斯々然々でと事情を説明し、控室で暫く待たされた後に案内される。
「よぉクリス、お久ぁー」
「久しいなレイ、ミレアたちも健勝で何より」
「「「畏れ入ります、クリストハルト殿下」」」
前置きなしに魔装五式の代金四億シリンの帝国手形をクリスに差し出す。
クリスは「何これ?」という顔をしているが、お構いなしに対ドルンガルト戦を半年以内に始めると告げバックレた。
「次はケンプ商会か」
「場所は七番倉庫よ」
追加注文を受けたブラックライノ三台は納車済みだが、ユアをはじめとした魔術師たちの限界量しか魔力を充填していない。
そこでレイの出番と相成り、三台纏めてフル充填しに行くというお仕事である。
「よっしゃ満タン、終了!」
「は、早い…」
ミレアたちが「なにその制御技能の熟練度は」と呆れるくらいなのだから、倉庫担当者が唖然とするのは当然だろう。
「だ、代金は本日中にレイ様の口座へ入金いたします」
「よろしくな。因みに幾ら?」
「三〇〇〇万シリンです」
「高っ!?」
「あのねレイ、三台分に必要な魔術師の人数は三六〇〇人なのよ? 一〇〇人で充填しても三六日かかるの。宿代と食事代まで考えれば安すぎるわ」
ということだ。実際、最大魔力量が多い駆け出し魔術師の多くは、工房と契約して魔術具や魔導器への魔力充填を副業にしている。
工場へ戻ると、ジンとユアが肩を寄せ合いコンバーチブルの制御系をチェックしている。エラー原因の対策を難しい顔で相談しているが、その難しい顔もレイは楽しそうだと感じた。
「なんだレイ、もう帰ったのか。ん? ノワルはどうした?」
「「「「あ」」」」
完璧に忘れられていたノワルは、詰め所でガッツリ詰められていた。
王都での忙しい日々が再び始まる。