51:気づけなかった八年間
明けて翌朝、早朝トレーニングの時には気づかなかったが、五人揃って朝食を摂るダイニングには妙な空気が流れている。
「レイとミレア喧嘩でもしたの?」
「し、してないわよ? どうしてかしら?」
「ん~距離感かな? 目も合わせないし、話もしないし」
「シィさん、悔しいですがミレアさんに先を越されたようです」
「なんの?」
「ノワルっ! 今すぐ私の部屋へ来なさい!」
「そこまで恥ずかしがる必要はないと思います。むしろ誇るべごふぉ…」
真横から腹パンを打ち込まれたノワルが引き摺られていった。
レイは皿だけを見詰め黙々と食べている。
そんなレイにジンが囁く。
(まさかとは思うが…例の魔力制御レクチャーなんてしてないだろうな?)
(あ、やっぱバレた?)
「おまっ!? 来いクソ野郎!!!」
ガシャン!
一瞬でブチキレたジンが、レイの襟首を鷲掴みにして引き摺って行った。
レイの皿が床に落ちて砕け散り、激怒するジンに驚愕したシャシィが固まる。
「……え……え…?」
寝室へ入ったジンは閉めた扉にレイを押し付けた。
察しがついてるレイは、抵抗することなくジンの好きなようにさせる。
「どうしてだ…どうしてだっ!?」
「強くなりたいって真剣に頼まれたからだな」
「ふざけっ!」
ガシィ!
「いってぇなぁ」
「お前が! お前がそんな軽薄なクソだとは知らなかった! いつからそんなクソッタレになったんだ! おいレイ! お前は何を考えてんだよ! そんなことして! 帰った時にユアの顔を真っ直ぐ見れんのかよっ!」
レイは視線を合わせたまま何も答えない。
ジンの怒りは尤もだと思っているし、頭に血が上っているジンに言うべき言葉も見つからない。
すると、更に怒りを増したジンがレイの首を絞め始めた。
レイは強化することなく素の筋力で器官を広げ、鼻呼吸で耐える。
一分、二分、三分と時が流れていく。
十分ほどが経った頃、漸くジンはレイの眼差しが至って冷静で、クソ野郎が湛えられる眼光ではないことに気づいた。
ふっと力が抜ける。
抜こうと思った訳じゃなく、いつの間にか抜けていた。
ジンは力なく膝から崩れ、絨毯にペタンと尻を落とし項垂れる。
途端、なぜか涙が零れた。
流れ続ける涙が絨毯の色を濃くしていく。
鼻水まで垂れ始め、ジンはどうすればいいか判らなくなり両手をついた。
「ぐすっ…何でだよ…ずっ…何でなんだよレイ…ずずっ…何で……」
レイはコキコキと首を鳴らし、ジンと同じく扉の方へ体を向け、ジンの横で胡坐をかいた。
「ジンはユアが好きか? 俺は大好きだ」
ジンがスッと顔を上げ、レイの横顔を見た。
「だったら何で…何でミレアに……」
レイが首を動かし、ジンと視線を合わせた。
精も根も尽き果てたようなジンの顔が、レイの胸を締めつける。
「知ってるかどうか分かんねぇけど、俺とユアは同じ病院で生まれた。ユアの方が二日お姉ちゃんで、俺もユアも体重が少なかったんだと」
「………」
ジンは訳が判らず、無表情のままレイを見詰める。
「俺たちが寝てる部屋に毎日行ってた親同士が仲良くなった。そんでウチとユアんちの家族付き合いが始まった」
「何を言ってるん――」
「いいから黙って聞いてろ。俺ぁ話が下手だから順番に喋んねぇと分んなくなる」
レイは薄く笑むと、視線を虚空へ向けて再び語り始めた。
物心がつき始めた頃、父親と母親が二人ずついて、家は二つあると思っていた。
幼稚園に入園して初めて知った。ユアは姉じゃなく、親も二人なんだと。
小学三年生頃から苛められるようになり、いつもユアに手を引かれ逃げていた。
四年生の時に初めてジンと同じクラスになり、暫くしてレイが苛められていると気づいたジンはレイの前に立ち、悪ガキどもを睨むようになった。
教室での苛めがなくなり、ジンは『良かったね』とレイに言った。
レイは頷くことしか出来なかったが、ジンのいないところでは毎日のように苛められていた。
五年生になると、ユアとジンが同じクラスになった。
そして暫く経ったある日、ジンはレイとユアが帰り道で苛められていることに気づいた。
ただの偶然だった。
机の中に宿題のプリントを忘れたことに気づいたジンが、家の道場から袴姿で学校へ向かう途中の出来事だった。
「憶えてっか? お前があいつらをフルボッコにした公園。俺は普通にえんえん泣いてて、ユアは俺を庇いながら泣いててさ」
「……憶えてる」
「すげーカッコよかったよ。お前が『何してんだ!』って叫んでさ、あっと言う間にあいつらボコってさ」
「だから、何だよ…」
虚空を見詰めていたレイが、再びジンと視線を合わせた。
「男の俺がカッケーと思ったんだぜ? ユアがカッケーって思わないはずがねぇだろ?」
「は? 何を……えっ…まさか…」
「まさかって言うなアホ勇者。あの日からずっーーーと、ユアはお前が大好きなんだよ。それまで鏑木君って呼んでたユアが、顔真っ赤にしてジン君って呼ぶようになった切っ掛けだろうが」
「だって…レイとユアは…」
「俺とユアは姉弟だ。今は強くなった俺が兄ちゃんだ。俺は悪者から妹を守る優しい兄ちゃんだ。っつーことで、八年も気づかないドアホにユアはやれねぇな」
ジンが呆然とする。
何か言おうと唇は動いているが、言うべき言葉は思い浮かばない。
「サービスでもう一つ教えてやる。ユアが理系選択したのはお前のせいだ。受験受験言ってたのもお前のせいだ。アイツはお前と同じ大学に入るつもりだ」
「そんな………レイ……俺は…………ごめん…」
「悪ぃと思ったならユアよりイイ女を紹介しやがれ。ぶっちゃけユアが色々カワイイせいで、俺は彼女いない歴一八年なんだからよ」
「それは……自分で探せ」
「はっくじょーーーかよっ!」
漸くジンが少し笑んだ。
レイは内心「喋ったのバレたらユアがキレそうだなぁ」と苦笑する。
何しろユアは「勇気が出た時に自分で言う」と一度だけポロっと言ったから。
「八年も出ねぇ勇気が出るワケねぇか。しかも相手が勇者って神ジョークかよ」
「…何の話だ?」
「なんでもねぇよ! 言っとくけどな、お前の朝メシは俺のモンだからな!」
「あ、ああ、悪かった」
ダイニングへ戻ると、未だに独りぼっちのシャシィが泣きそうな顔をしていた。
「え、レイ…首が…」
「もしかしてアザってる?」
「すまん、かなり紫だ」
「シャシィ先生、可哀想な俺をタダで癒してください」
「いいけど……何があったの?」
「キレたアホ勇者を泣かせてきた」
「おい!」
「ガチ泣きしただろうが。シィ見てみ? 目ぇガッツリ腫れてんだろ?」
「ホントだ。レイいじめっ子?」
「ピンポイントですげぇこと言うな? 俺はいじめられっ子の味方だっての」
「だよね! いつものレイで良かったぁ」
「ごめんなシィ、いきなりでビビったよな」
「もうヘーキだよ♪」
二人を見るジンは改めて想う。
この優しいレイが、ユアを泣かせるようなことをするはずがなかった、と。
同時に、自身がユアの顔を真っ直ぐ見れる気がしない、とも。
「なあシィ、泣き虫勇者が赤くなっててキモイんだが?」
「忙しい勇者様だね」
「氷漬けにして冷やしてやれよ」
「頼むからもう勘弁してくれ…」
直後に戻って来たミレアは異様に目が座っており、涙目のノワルは額がボコボコに腫れていた。
「……何かあったの?」
「ジンにバレた。んでガチギレされた」
「うそ!? でも……あ、ユア様の想いをジン様に話したの?」
「うっわ、ミレア気づいてたん?」
「あれだけ目で追ってれば気づかない方がおかしいでしょう?」
「ユア様がジン様を好きなこと?」
「おぉう、シィも気づいてたのかよ」
「アレでしょうか? ジン様を見るユア様の目が餓えた猛獣のようほごぉ…」
ミレアのノールック肘打ちを脇腹に入れられたノワルが蹲ると同時に、全員が気づいていたのだと知ったジンも蹲るのであった。