41:ミデア湖への道行き
代官屋敷に二泊した三日目のド早朝、レイたちは今日も日課のトレーニングを実行した。
三連チャンともなると、顔を覚えた自警団員や住人がレイたちに声をかけるようになった。レイのトレーニングウェアが風変りで目立つのも要因だろう。
早めの朝食をガッツリ食べたレイは、中庭に放し飼い状態の走竜たちに集合をかけた。レイが『全員集合!』と叫べば本当に集合するのだから不思議である。
「さて誰にすっかな? よし、俺を乗せて風になりたいヤツは吼えろ!」
「「「「……」」」」
「バカな!?」
四頭の走竜が一斉にスッと目を逸らし、ガチでショックを受けたレイが劇画調のショック顔で膝から崩れ落ち天を仰ぐ。プラトゥーンのポーズである。
「バカなはお前だ。いいから早く選べよ」
「目を逸らす走竜なんて初めて見たわ」
「日頃の行いだよねー」
「レイ殿は実に愉快な方ですな」
聖騎士然とした白銀の重装に青いマントのコステルは、昨日から「ジン殿」「レイ殿」と呼ぶようになった。
初日の夕食を共にした際、レイにせっつかれたジンが「略称呼びにして欲しい」と頼んだのだが、コステルはこれを固辞。
業を煮やしたレイが模擬戦でミレアに負けたら要求を飲めと言ったところ、一考したコステルは、ミレアが従士長アデリンに勝てたら受け入れると返答した。
そして翌日の朝メシ前、ミレアとアデリンが戦り合った。
結果は秒殺でミレアの完勝。しかもレイ仕込みの蹴り技と関節技でだ。
コステルは唖然とし、アデリンは愕然としていた。
コステルが『今後は私も名で』と言ったのは、精一杯の意趣返しかもしれない。
「じゃあオマエで」
「グルゥ…」
「嫌がんな! 焼肉にして喰ってやろうか!」
「グルッ!? グルルゥ! グルルゥ!」
「よしよし、最初から喜んどけっての」
走竜たちは決して人語を理解している訳ではない。
その証拠に、レイ以外が話しかけても目をパチクリして小首を傾げる。
レイは「心が通じ合ってるから」とアホなことを言うが、シャシィに言わせれば、真竜の血が濃い亜竜ほど魔力感受性が強いため、レイの馬鹿気た魔力の動きから感情を類推しているんじゃなかろうかと。
ともあれ、三頭の走竜に乗鞍を装着した一行は、残りの一頭を代官ジュウザに預け進発の準備を整えた。
「代官殿、明日の昼には戻る」
「畏まりましてございます」
「うむ。さればジン殿、我々が先導いたします」
手綱を握るコステルの後ろにアデリンが跳び乗ると、走竜がスッと立ち上がり歩き始める。次にミレアとジンを乗せた走竜が立ち上がり、最後にレイとシャシィを乗せた走竜が歩きだした。
ミレアは大商会の令嬢だけあって乗竜もお手の物だが、シャシィは乗った経験がない。ここでも『大型二輪免許持ってるからイケる』と意味不明なことを言ったレイが手綱を握っている。
「よろしく頼むぜ…って、名前がないと不便だな。ん~~そうだなあ……よし、お前の名前はトワイライトにしよう。よろしくなトワイライト!」
「グルルゥウッ!」
レイの肩に顎を乗せたシャシィが『どうして黄昏なの?』と尋ね、レイは『鱗の色のイメージ』と答えた。シャシィは『ステキ♪』と絶賛するが、その論理なら四頭ともトワイライトになる。
秘密裡に行う会談とあって、先導するコステルは道なき道を往く。
コステルたちがオルデ入りしたのは二ヵ月近く前で、アデリンと密使役の従士を除いた十一名は、ライハウス伯爵から会談承諾の返答を得た時点で先行しているという。
「この走竜たちは特段に速いですな。この辺りがバラクとドルンガルトの国境線になります。この足行きであれば、ミデア湖までちょうど五〇分ほどでしょう」
「了解です。(やはり時間は世界的に五〇進法か)」
王宮に居候していた頃、ジンたちは「五〇分」とか「一時間四〇分」といった、半端な時間を頻繁に聞いた。
ジンが自転周期を観測しようと思った切っ掛けであり、この惑星の一日が二六時間半くらいだと判り、正確には二六時間四〇分くらいだ。
今しがたコステルは『ミデア湖までちょうど五〇分ほど』と言ったが、アデリン、ミレア、シャシィには『ミデア湖までちょうど一時間ほど』と聞こえたはず。
アンセスト王国だけの基準という可能性もあったが、コステルの発言により、こっちは五〇進法を用いて五〇秒を一分、五〇分を一時間と定めているようだ。
六〇進法を使う地球なら二六時間四〇分は九六〇〇〇秒になる。それが五〇進法になると、九六〇〇〇秒を五〇秒で割って更に五〇分で割れば三八.四時間。
この世界は、端数を切って一日を三八時間制と定めている。実にややこしい。
因みに、都市で暮らす庶民が時計代わりにする鐘の音は、スマホのストップウォッチアプリで凡そ一七〇分おきに鳴る。一七〇分を五〇進法で換算すれば、鐘一つ分は約四時間になる。レイは全く気にしていないが、社員の労働時間を考慮するジンとユアは未だに混乱することがある。
ジンが「五〇進法の一九時間時計を造ろう」と決意を新たにしたところで、前方から黒塗りのゴーレム馬が現れた。騎乗している男はアデリンと同じ意匠の軽装で、ゴーレム馬から降りると片膝と片腕をついて俯いた。
「この者は我が従士の一人、ヒューゴなれば」
従士たちへの声掛けは不要と言われているため、ジンとレイは軽く頷き二人の会話に耳を傾ける。
連絡役のヒューゴはライハウス伯爵家に不審な動きがなかったことと、昨日午後に伯爵が正妻と侍女五名、料理人二名、護衛兵七名を伴い別荘へ入ったと報告した。
護衛兵の一人はコステルの従士で、伯爵はドルンガルト公に「病気がちな正妻を別荘で静養させたい」と上申し、許しを得た上で公都を発ったらしい。
「ライハウス伯爵様は既にご決心召されたものと。これがその証でございます」
ヒューゴが懐から出した書状に目を通したコステルが走竜から降りると、ジンの傍らへ歩み寄り文面を見せた。
「血判状ですか…………………今後の構想まで詳しく書かれてますね。逆に疑わしく感じるのは勘繰りすぎでしょうか?」
「ご懸念ご尤もなれど、昨今の公国はライハウス卿なしに国政が立ちゆきません。ドルンガルト公が税収を蔑ろにした徴兵と練兵を推し進めるため、彼の卿が宮廷を長々と空けるは困難との実情があります」
ライハウス伯爵は明朝に公都への帰路に就かねばならず、今後の段取り詳細を相談するには時間が足りない。そこで意志を示す血判状を持参した。
書状には「公国民のために」という文言が幾つも書かれており、文面からは藁にも縋る想いが伝わってくる。
「おいジン、会ったこともねぇのにアレコレ考えんな。迷わず行けよ、行けば分かるさ。ありがとー! 1、2、3、ダァアアアーーーッ!!!」
「プフッ…んんっ、分かったから叫ぶなよ」
「「「……」」」
「前半は心に響いたけれど、ありがとうから後は意味が判らないわ」
「あたしは好きだよ! なんだかやる気が出てきた! やることないけど!」
不覚にも笑ってしまったジンが再び咳払いをし、唖然とするコステルたちを促してその場を後にし、道行きを進めた。
「唐突にて少々驚きましたが、確かにレイ殿の言われるとおりですな」
「無駄に愉快なヤツですが、レイの言葉にはいつもハッとさせられます」
「ふふっ、今も愉快なことをしてるわよ?」
ミレアの言葉で振り向くと、レイがトワイライトの頭上で逆立ちをしている。
手綱を渡されたシャシィはアワアワしており、トワイライトは半目だ。
その後もひょっこり現れた鹿を追いかけたり、強化をしてまでアクロバティックなトワイライト乗りで遊び続ける。
動いてないと死ぬのかもしれない。
「丘の先がミデア湖です」
「レイ! もう着くからウロチョロするな!」
「勇者がウロチョロとか言いやがった。何か言ってやれよシィ」
「あたし疲れたよ…レイがウロチョロするから」
「コノヤロ」
「ひゃ!? 何これ何これ!? ローブが脱げるよ! 落ちるよぉおおおおお!」
ローブの首元を鷲掴まれ腕を水平に伸ばされたシャシィが、宙吊りになった。
ジタバタするほどローブが脱げると気づいたシャシィは自分を抱きしめ、トワイライトの歩調に合わせてブランブランと揺れる。
「ったくあのバカは。というか、なぜシィは笑ってるんだ?」
「レイが虐めてくれるからに決まってるでしょう?」
「何だよそれ」
揺れながらニヘラと笑むシャシィはとても幸せそうである。
丘を上りきった一行の目に、湖面を輝かせる美しい湖とログハウスが映った。
湧水湖なのか、南東へ向けて小川が流れている。
ログハウスの横には黒いゴーレム馬が整然と並び、その前では焚火を囲む従士たちがマグカップを傾けている。
コステルを見定めた従士が他に声をかけると、全員が整列して片膝と片腕をつき俯いた。
コステルは誰に声をかけるでもなく、従士たちの前を通り過ぎる。
走竜から跳び降りたアデリンは列の前で片膝をつき、ゴーレム馬を降りたヒューゴも列に加わり片膝片腕をついた。
玄関前には護衛兵が立っており、走竜を降りたコステルが玄関ポーチに立ったところで片膝片腕を床についた。彼が護衛に扮した従士のようだ。
「状況を報告せよ」
「伯爵閣下は直ちに会談を始めたいと申され、応接室にてお待ちでございます。玄関ホールには案内役が控えておりますれば、万端整ってごいます」
案内された応接室には、憔悴した様子のライハウス伯爵が待っていた。