31:北方二国
流石にさっくりと通行許可を出しただけあり、レイたち一行は何のトラブルもなくバラクの王宮に辿り着いた。
驚いたことに、バラク王都ではアンセストの王太子が友好を結びに来ると噂になっていたらしく、王都民の大歓声で迎えれらるという一幕もあった。
迎賓館という名の小綺麗な屋敷で一泊した一行は午後イチで王宮へ上がり、謁見などもないまま会議室らしき部屋へ通された。
待ち構えていたのはバラク国王、宰相、軍務卿、財務卿の四名と、高級官吏だろう二名の男たちであった。
机には事前に送付しておいた条約案が並べられており、円筒形書筒の癖が緩んでいるため、バラク各位が熟読したことを伺わせる。
二国会談の開始から一時間ほどが経過した現在、質疑応答は勇者ジンの進行を以て妙な方向へと展開されている。
「各品目の参考価格も、アンセスト国内相場に対して三割増しに抑えました」
「我は六割増しが妥当と言ったのだがな。貴国は勇者殿の厚情に感謝すべきだ」
「だから殿下は静かにしてろって言ってんだろ?」
「レイ、言葉遣いが荒くなってるよ」
「あぁ悪かった。殿下、申し訳ありません」
「うむ、許す!」
茶番劇のヴォルテージが鰻登りである。
バラクの軍務卿と内務卿は蟀谷に青筋を浮かべているものの、国王と宰相はポーカーフェイスを崩さない。むしろ、国王はクリスとレイのやり取りを楽しんでいる観さえある。
「財務を預かる身としては有難く思うところなれど…」
「軍務を預かる身としてお尋ね申す。物品の運搬に際する守備は、国境関にて責務が我が国に移譲されるとの認識でよろしいか」
「いいえ、貴国王都までアンセストが責任を持ちます。実質的には我々が戦力を譲渡するケンプ商会ですが、そのコストも含めて最大三割増しです」
「「おぉ!」」
「貴国にとっては夢のような話であろう? 我が貴殿等の立場であれば、アンセストへ足を向けては寝られまいよ」
「「っ…!」」
「チッ、いい加減にしとけよ殿下コラ」
「またレイったら(もうやだぁ…めっちゃ恥ずかしいよぉ!)」
ユアは羞恥死しそうな勢いだが、この茶番劇を仕込んだジンは、王太子を使ったあからさまな茶番だからこそ後腐れなく完結できると考えている。
当代のバラク国王は賢王として有名であり、極寒の地にある鉱山開発を成功させた最大功労者でもある。
小さいながらも魔獣の領域を一つ潰し、剣を鶴嘴に持ち替え鉱夫たちの先頭に立ち振るったとの逸話も聞こえてくる。
遠い過去に何だかんだあっても隣国であり、大きな戦いをした訳でもない。
ケンプ商会がバラクの政商として認可を享けている事実に鑑みれば、アンスロト王家の情報を少なからず得ていても不思議はない。
実際、現アンセスト国王は可もなく不可もない中庸王と囁かれているが、クリストハルト王太子は秀王の器だと誰もが口を揃える。
それは東のディオーラ王国が使者を寄越して降伏を勧告した際、国王の名代としてクリスが応対した逸話に端を発す。
クリスは毅然とした態度で降伏を拒否しながらも礼節を以て使者に応対し、『侵攻を控えて頂く対価が私の首一つで済むならいつでも』と言い切った。
それを聞いたディオーラ国王は、『今は東帝国の相手で忙しい。貴殿の首で喜んでいる場合ではない』と、皮肉めいた賛辞を親書で返したという。
この逸話をバラク国王が知らないはずがない。
「こちらの要求は多くありません。相互不可侵と共栄の盟約だけです。共栄という言葉には、貴国の鉱石や特産物を購入するという意味も含まれます」
「誠でありますか勇者様!?」
「財務卿殿、利益の一方通行に信頼が生まれる道理などない。違いますか?」
「正しく仰るとおり! 正直なところ、一方的な搾取を懸念する声もありまする」
「軍務を預かる某としても、勇者様方と事を構えるは控えたいところ」
「軍務卿殿、その言葉、実に有難く思います」
クリスが「痛い目に遭わなくても良くない?」と傍観し始めた時、隣に座るレイが彼の足を踏んだ。「デレっとしてんじゃねぇぞゴラァ!」の合図である。
「(くっ…)貴殿等の煮え切らぬ言葉にはもう飽いた。結ぶのか結ばぬのかを明言する胆力すらないと見える。腑抜けという言葉は貴殿等バラクの――」
「大概にしとけやクリスてめぇーーーっ!(よっしゃー!)」
一気に強化したレイがクリスの腕を掴み、往年のトルネード投法を彷彿とさせるモーションで投げる!
ブチィイイイッ! ドゴォッ!
(ヤベーーーッ!)
(ウソだろ!?)
「「「「「「「っ!?」」」」」」」
リリースをしくじったレイの手には、肩口からぶっちぎれたクリスの左腕が。
部屋の壁に放射状の亀裂を生んだ隻腕血塗れクリスの無残な姿に、相手方六名にユアを加えた七名が「なんてこった!?」と目を剥いた。
「腕をよこせバカ! 行くぞユア!」
「あっ、うんっ!」
レイから腕を引っ手繰ったジンが走り、ユアが追従する。レイが二人を追う。
壁から引っ剝がしたクリスの肩に腕を当て添えたジンがユアと目を合わせた。
「いくよ!【聖天再生】っ!」
その光景は、ユア本人でさえ目を見張るほどに劇的であった。
クリスの肩と腕の付け根が蠢き、白金の光が関節や筋繊維を再生していく。
永遠にも感じられる刹那に起きた事象は、クリスの古傷までも消し去った。
紛うことなき完全再生である。
「すっげ…」
「ここまでとはな…」
「すごーい!」
「いやユアがやったんだからな?」
「分かってるけど…って! 何で千切っちゃうの!?」
「わざとじゃねぇし! ちっと放すタイミングがね?」
「レイのバカ! 心臓止まるとこだったんだから! もぉバカバカ!」
「うっ…ん…ん? 私は、どうなったのだ…?」
ビタっとフリーズしたレイたちは、目覚めたクリスからスッと目を逸らした。
「ククク…クハハハハハッ! どう落ちを付けるのかと思えば、余の想像を蹴り飛ばす結末であるな! しかし美事なり! 勇者ジン殿の知勇、愚者レイ殿の武勇、聖者ユア殿の慈勇、三者共に勇者と見受けた!」
「真に以て陛下が仰せのとおり。されば陛下、合意でよろしゅうございますな?」
「無論である! 我らバラク王国はアンセスト王国の盟友となろうぞ!」
「「「「「御意に!」」」」」
当初から用意されていたと思しき調印式の道具が並べられ、バラク国王とクリストハルト王太子による条約調印が執り行われた。
響き始めた祝賀鳴鐘を耳にバラク国王の先導でバルコニーへ出ると、王宮前には王都民が犇めき合いながら歓声を上げている。
「静粛なれ! これより陛下のお言葉を賜る!」
王都民が少々ざわつきながらも、次第に静寂が支配していく。
「親愛なるバラクの民よ。ジーク・ロフト・バラクの名において、余はアンセスト王国の盟友たる約を交わした。この決断が皆々の幸福に繋がることを切に願う」
叫ぶでもなく抑えるでもない国王の声が響き渡った。
控えていた軍務卿が一歩前へ進み、大気を吸い尽くすかの如く肺に空気を送る。
「バラク王国に栄光あれ! 盟友アンセスト王国に栄光あれ!」
一拍の後――。
『わあああああああああああぁぁぁあああああああぁぁあああああああ~~!!』
『バラク王国に栄光あれーーーっ!!!』
『盟友アンセスト王国に栄光あれーーーっ!!!』
王都が歓喜した。
会談の二日後に開催された宮廷晩餐会は大盛況であった。
レイとジンは大勢の淑女に囲まれ、ユアはそれに倍する紳士に囲まれ。
クリスもバラク国王と終始笑顔の絶えない会話を交わし、まるで数百年前からこの日を待ち侘びていたかのようなひと時となった。
晩餐会の翌朝に王宮を辞した一行は、その足で隣国ゴンツェへ向かう。
クリスはレイに聞こえるか聞こえないかの声量で未だに恨み節を歌っているが、レイは結果オーライとゴキゲンだ。
ジンも単日で調印までこぎ着けるとは思っていなかったらしく、結果に満足している風情で北方の夏景色を眺めている。
ユアは子供の頃以来になるレイとの旅が楽しすぎて、傍らで飲み物や軽食を差し出し世話を焼いている。恋人というよりお姉ちゃん、いやお母さんだ。
「今回もすんなり終わるといいんだが」
どこかフラグ染みたジンの呟きで始まった会談は、フラグを圧し折る形であっさりと調印へ至る。
どうやらバラク王がゴンツェ王に親書を送っていたらしく、盟約を結ばねば餓えて死ぬかディオーラに侵略されるかの二者択一だと、予言染みた文面を送っていた。
「クリストハルト殿、泰平の世を築きたいものだな」
「我々三国が手を取り合えば実現するは必定ですとも」
「うむ、今日は実に善き日となった」
「陛下も是非アンセストへ起こしください。されば此度はこれにて」
北方二国と盟約を結んだ一行は、一七日間の外遊を終え王都に帰着した。
宮廷にはバラク、ゴンツェの両国王から親書が届いており、帰着即で呼び出されたクリスは大層褒められた。これもジンの仕込みであり、両国王に「締結した今となっては次代が重要。クリスの功績として頂きたい」と耳打ちをしていた。
これはクリスも承知しており、和平の維持に意気込むのであった。