01:召喚理由
ジンに指を差された女性が、傍らの老人と共に歩み寄って来る。
緊張を隠せない面持ちのまま適当な距離で足を止めた彼女は、僅かに逡巡した後にジンへ視線を向けた。
「勇者様方のご無事なるご顕現に感謝を。私は…」
強かに驚いたレイたちが、女性から視線を切り顔を見合わせた。
ジンはなぜかほくそ笑んでおり、女性の斜め後ろで控える老人が、会話を中断させた三人を不満気に見遣る。
「どうだレイ、やっぱり勇者召喚だったぞ」
「あーうん、今そこ重要じゃねぇからドヤ顔すんな」
「私もそこじゃないと思うよ?」
驚くなり感心すべき言語理解仕様をまるっと無視したジンが、『動機は重要だろ?』と返しながら視線を女性へ戻した。
「ゆ、勇者様方、名乗らせて頂いてもよろしいでしょうか…」
「どうぞ」
「ありがとうございます。この身はアンセスト王国第一王女、フィオネリア・リィン・アンスロトと申します」
国名と氏名以外の音が、唇の動きと一致していない。
ジンは良く出来た仕様だと思いながら口を開いた。
「俺は鏑木仁泉。いや、ジンセン・カブラギと名乗るべきか?」
「勇者様方の故郷では家名が前にくるのですね。こちらにも同様の地域がございます。出来れば腰を落ち着けてお話ししたく存じますので、場を移しても構いませんでしょうか」
敵対的ではないと判断したしたジンが一つ頷くと、王女は手振りで促しながら身を翻した。
案内された部屋は存外に狭いが、調度品はどれも一見して上等だと判る。
先程の石室は広大な敷地の一画に建てられた円塔の地上階で、渡り廊下から見たこの建物は、正しく西洋の宮殿を彷彿とさせる建築様式である。
(うっはー、本物のメイドかよ。くっそ地味だけど)
(もっと可愛いメイド服にすればいいのに)
レイとユアが其々の所感を心中で呟いていると、妙に場慣れした雰囲気を醸すジンが二人へ目を向ける。
「確認したいことはあるか?」
「ジンに任せる。なあユア、コレ何だか分かんねぇけど美味くね?」
「うん、ちょっと甘すぎだけど濃厚で美味しいね。キャラメルっぽい?」
微塵も警戒せずに出された飲み物と菓子を頬張るレイとユアに嘆息しつつ、ジンはチャコールグレーのハーフコートを脱ぎ、ブラックスーツの前ボタンを外して質問を始めた。
イベント事で外出する際には必ずブラックスーツで身を固めるという、妙な拘りをジンは持っている。古流剣士で高三のくせに。
「最初に確認したいのは、そちらの行為が拉致犯罪以外の何物でもないという自覚の有無だ」
強めの口調で問えば、王女に随伴する老人が眉根を寄せて身を乗り出した。
すると、王女が小声で『控えなさいレパント』と老人を制して返答する。
「重々自覚しております。逆の立場であったなら、この身は恐怖に慄き震えが止まらないものと」
「それでも敢えて勇者召喚に踏み切った理由は?」
「この身を贄として勇者様に差し出そうとも、国の民草を守れるならばと考えたが故の仕儀です。姫巫女として生を享けたこの身の宿命でもあります」
嘗て大陸中央から南岸一帯を版図としたアンセスト大帝国は五〇〇〇年の国史を誇り、存続する中で二番目に古い国家でもある。
されど国史が永いからこそ、暗君や暴君が王権を持つ時世もある。結果、アンセストはこの一〇〇〇年ほどで幾度も繰り返された内乱と侵略により国土を縮小し続けてきた。
現在では六つの敵国に囲まれる小王国へと成り下がり、いつ滅亡しても不思議ではない状況に陥っているという。
アンセストが存続している所以は、世界最大のメイズを保有している点にある。
メイズが大陸規模の戦略級資産という側面も大きいが、メイズを創造せしめた魔王が、アンスロト王家を庇護すると約した史実が広く知られている点が大きい。
初代アンセスト大帝にして建国帝でもあるドベルク・ヴァン・アンスロトこそが、史上初にして唯一のメイズ踏破者との伝承がある。一介のシーカーとしてメイズを踏破したドベルクは、その最奥で古に語られた魔王との邂逅を果たした。
魔王はアンスロトの家名とヴァンの称号をドベルクに授け――
『メイズを試練の場として子孫に研鑽を積ませ、未来を切り拓く真なる強者の育成に励め。その対価として、我はアンスロトの庇護と繁栄を約す』
そう告げたという。
「勇者召喚の話が出てこねぇんだけど、ユアわかる?」
「わかんない。ジン君わかる?」
「話の流れから推測すれば、ドベルクが召喚された勇者だった、だろうな」
「ご慧眼に感服いたしますカブラギ様。ご初代様の回顧録には、ご自身が異界から召喚された勇者であると記されておりました」
「今日もジン君が冴えてる」
「流石だなジン。ところで姫さん、さっきのお菓子もっとくれない?」
「そういえば試合後のラーメンに行けなかったな」
「それな。今ならカップ麺でも大喜びできるぜ」
試合後のラーメンをこよなく愛すレイの前に、ユアとジンが自分の菓子を並べた。一方、〝仕合い後〟と翻訳された言葉を耳にした王女は、衣服の上からでも鍛えられた肉体が判るレイを観て得心した。
「この国の状況は把握したが、庇護と繁栄を約束した魔王は何をしている?」
「恥ずかしながら、我ら王家の者は長らくメイズへ赴いておりません。必然的に魔王陛下の庇護を享けることなど叶わず…」
正確には先々代の国王が号令し、アンスロト王家に生まれた第二王子以降の男子はメイズに挑み続けている。
しかし最奥どころか下層へ至ることさえ出来ず死亡し、姫巫女たる王女が現国王に勇者召喚の実行を持ちかけ許可された、という経緯であった。
彼女はアンスロト直系に生まれた、巫女の〝神性紋章〟を宿す王女。
俗に〝神紋〟と呼称される神性紋章は神々、もしくは神々の眷属神から与えられる〝権能の欠片〟であり、与えられた神紋は身体のどこかに刻印される。
「タトゥー的な?」
「そんなニュアンスだね」
「迷惑なマーキングだろ。参考までに王女殿下の神紋を見せて頂きたい」
唐突に王女殿下と呼び始めたジンをレイが茶化すと、ユアが止めなさいと窘めた。ジンは王女の受け答えが一貫して丁寧なため、少し歩み寄ろうと考えただけなのだが。
一方、見せろと言われた王女は、半ば狼狽えるようにモジモジし始めた。
そこで――。
「僭越ながら、殿下に代わりその儀は容赦願いたく申し上げる」
レパントなる老人が口を挟んだ。
初めて言葉を発したレパントの声は、見た目に反して若々しく張りがある。
彼と目線を合わせたジンはその意図をくみとり、「おそらく見せられないような場所にあるのだろう」と判じて話を変えた。
「俺たちの誰かに勇者を示す神紋がある、という認識で良いだろうか?」
「仰るとおりです。回顧録には〝失意の中に在りながらも、強い心と力を持つ者を神々は勇者に選定する〟とあります」
ジンとユアの視線が、ゆっくりとレイに向けられる。
レイはそれを受け流すように、誰もいない隣へ視線を向けた。
(やべぇ、やることなくなってかなり凹んでた。マジで俺のせいかよ…)
最早確定的となった〝レイに巻き込まれた事案〟に本人は冷や汗を流し、ジンとユアは小さく溜息をついた。
元の世界へ帰る手段、もしくは条件の有無をジンが尋ねようとしたところ、先んじて王女が口を開いた。
「アンスロト王家に伝わる〝鑑定のレリック〟を使えば、神紋の種類や内容、刻印箇所を確認できます」
「ちょーっと待ってくんね? もし俺が勇者認定されてるとしてさ、独りでメイズに行けって話になるカンジ?」
レイが問うと、王女は穏やかに首を左右に振った。
自分たちが強要できる立場にないことは承知している。そう前置きした彼女は、ドベルクが残した回顧録の内容を掻い摘んで語り始めた。
ドベルクが召喚された際も彼は独りではなく、後に皇后となったアレティという名の女性が傍らにいたという。アレティにも〝聖者〟を示す神紋があり、彼女は聖系統と呼ばれる癒しや浄化に特化した魔法の資質を宿していた。
このことから、レイたちが何らかの神紋を宿している可能性が高いという。
「素朴な疑問だが、なぜ神はこの世界の人を勇者に選ばない?」
「ご初代様も確証はないと記されているのですが、勇者をはじめとする特別な神紋が宿る条件は、世の境界を越える事象にあるのではないかと」
言わんとする処は解らなくもないが、釈然としない理由だ。勇者の何が特別なのかさえ不明だが、今回はレイたちが選ばれたという一方的な話である。
「拉致同然に勇者を召喚して自国を守らせる。つくづく身勝手な論理だな」
「他に妙案もなく…誠に申し訳ありません…」
「カブラギ殿、その言葉は殿下に対し余りにも不敬と存ずる」
「本気で言ってるのかご老体。俺たちは臣下どころか国民でもないんだが?」
「控えなさいレパント。カブラギ様のお言葉に反論の余地はありません」
一気に険悪な空気が増す中、小腹を満たしたレイが口を開いた。
「なあ、取り敢えず俺らの神紋ってやつを鑑定しようぜ? 話ばっかじゃ飽きる」
「さんせーい! どうせなら色んな場所も見学したい♪」
「ったく、レイとユアはいつも見切り発車だな?」
比較的にロジカルなジンは嘆息しながら、「ホントお似合いだよ」と内心で苦笑するのであった。