149:スノボ
出発から五日目の朝、ド早朝トレーニングと朝食を済ませたレイは、ホワイトライノのコクピットに乗り込んだ。独りでの運転は寂しいからと、ナビシートにはミレアを座らせている。もう殻化できるから魔力制御の自主練はいいだろ、との思考である。
ここまでバラクやゴンツェの街道関をまるっと無視し、エレスト山をランドマークに道なき道を進んで来た。エレストの南側へ迂回するルートを取っているため、現在はディオーラ王国の領土を侵犯している状態だ。
とはいえ、エレストの三合目辺りを走行しているとあって人影などあるべくもなく、アンセストとディオーラの国境付近で山小屋を見かけて以来、人工物らしき物は視界に入っていない。
天候は基本的に重苦しい曇天で、時折り顔を出す晴れ間よりも、猛烈な吹雪に見舞われる頻度の方が高い。
積雪深度が何メートルかすら判らない場所でド早朝トレーニングを敢行しているため、実のところはレイもそれなりに疲労している。のだが…
「お、あの森も魔獣領域っぽいな」
「駄目よ」
ミレアが即座に釘を刺した。この四日間でかれこれ一〇本くらい刺している。
「魔獣領域っぽい言うただけじゃん」
「駄目って言わないと寄るくせに。顔に〝寄りたい〟って書いてあるわ」
(ガチで母さんみたいになってきたな)
声に出すとミレアがキレるので言わないレイであった。
エレスト山はアンセスト、ゴンツェ、ドブロフスク、ディオーラの国境線かつ緩衝地帯になっているため人の手が入っておらず、手つかずの魔獣領域が点在している。レイとしてはひと狩りしたいところだが、明日まで強化を封印すると明言した手前、この数日は死力を尽くし我慢している。
尤も、隣に座るミレアを含む全員が無強化の雪中トレーニングで地獄をみているため、「ひと狩りしようぜ!」と言っても乗らないだろう。
加えて、日中の移動時間を座学と魔力制御訓練に充てているため、今もキャビンではゴートとルジェが指導官としてアレコレを教示している。
「ねえレイ、皆も殻化できるようになるかしら」
問われたレイが、融雪装置で溶けていく雪へ目を向けたまま答える。
「ルルとロッテは夏までに出来るんじゃね。一番厳しいのはイリアだな」
「年齢の問題?」
「んや、戦闘内容っつーか体験回数の問題? なぜミレアは殻化できるようになったのか、みたいな。何にしろ魔術師チームは時間がかかる。その辺はゴートとルジェの指導に期待だ」
ミレアは〝戦闘時の生死を分かつ体験〟だと理解した。
言われてみればその通りで、レイは誰に教えられた訳でもなく魔力制御技能に傾倒し、脅威的存在への対処法として、いつの間にか殻化まで辿り着いている。
心情的にはミレアも同様で、生き延びてもっと強くなるため専心した結果、レイの助力はあったものの殻化を修得できた。
片やで、イリアは拉致体験などの事情からルルとロッテ、特に子供がいるロッテにより過保護なくらい守られてきた。それを批判するつもりは毛頭ないが、殻化という自己防衛手段に対する強い欲求をイリアからは余り感じない。
要するに、渇望しない者が新たな技術や技能を会得する可能性は低いとレイは考えている。
「心構えも含めてレイが教えれば良いのじゃなくて?」
「心構えなんて人に言われてどうこうなるモンじゃないだろ。つーか単純にムリ」
「どうして?」
「ジンとユアもだけど、魔術師チームって何だかんだで先に理屈を知りたがるじゃん?」
そういう意味でゴートとルジェの指導に期待しているとレイは続ける。が、冥界生まれのルジェは天然の化け物であり、誰かを指導したことなどないと予想している。その観点ならゴートに期待したいところだが、何気に常識人ぶった脳筋なので怪しいとも思っている。レイが自分のことを棚に上げている点は言うべくもない。
「まぁジンが殻化できるようになんのが一番早いんだけど、個人的にはミレアが指導すればいいんじゃねぇかなって」
「私が?」
「そう。自分で思ってる何倍もミレア隊はミレアを信頼してるし、尊敬もしてる。そういう奴の言葉ってのは案外すんなり響く、と思う」
どことなく嬉し気な表情を浮かべるミレアを視界の端に置きつつ、「イリアには荒療治が必要かもな」とレイは考える。
言ったとおり、本気の心構えというのは、人に言われてどうこうなるものではない。例えば、「勉強しないと将来後悔する」と何度言われても、自ら固く決意しなければ専念できないだろう。大事だと頭では解かっていても、本心が伴わなければ本物にはならない。
そんな彼是を一頻り考えたところで停車し、ランチ休憩を取るべくキャビンへ入った。今日も物凄く眠そうなルルが目に付く。隣のロッテは意外と真面目なので、ゴートが教示する近接戦闘術の内容をノートに纏めている。
シャシィ、ノワル、イリアは術式解体の実践訓練を行っているらしく、ルジェが浮かべる怪しげな色の光球を、一人ずつ順番にパキパキと壊していた。術式解体は範囲展開なので、複数が同時展開すると干渉するらしい。
ともあれ、レイのチョイスでチキンのトマト煮込み、黒胡椒たっぷりの温野菜、ソフトバゲットをワンプレートに山盛りし、別皿にキーンエルクのローストを切り分けてフードファイトさながらの昼食を摂った。
コクピットに戻ったレイとミレアは、何を話すでもなく白一色の景色をボーっと眺めている。時が止まっているような感覚に襲われ、非常に眠くなる苦行だ。
「ホント進まねぇなぁ…体感的に」
「この雪の中を進めるだけで大したものだと思うわよ? 特に融かして固めるという発想が凄いわ」
「俺じゃあ思いつかねぇな」
融雪装置は進行方向の雪を融かすだけではなく、融け出した車体下の雪に【極凍】の魔法式をかけてアイスバーン化し走行する。言わずもがなジンのアイデアであり、『固めないと車重で沈むから進めないだろ?』と。
融かして固めながらぐるぐる旋回すればアイススケートリンクも斯くやといった広場を作れるため、午後第二部の模擬戦はそこで行っている。
レイ以外は外付けのスパイクをブーツ底に装着して模擬戦を行うのだが、二日目の初回模擬戦では転倒者が続出し、シャシィの【治癒】とルジェの【再生】がなかったら訓練どころではなかっただろう。
「ちっと早ぇけど広場を作るか」
「体を動かさないと眠くて仕方ないわ」
小一時間をかけて直系五〇メートル程の円形広場を造ったが、どうやら早すぎたようで座学が続けられている。キリのいいところで終わらせるから待てと言われたレイは、「ちょうどイイ!」といった風情でミレアに向け顎をしゃくって車外へ出た。そして【格納庫】からギア一式を取り出す。
「それ何?」
「スノーボード。略してスノボ。セシルとメイに造ってもらったんだわ」
「雪板? もしかして、それを足につけて滑るのかしら?」
「正解。超楽しいぞ。エレストの頂上から滑ろうぜ」
「普通なら正気を疑うところだけど、楽しそうね」
出発前夜に思いついて頼んだため三セットしかないが、ひとつをミレアに渡してバインディングの装着方法と、基本的な滑り方と止まり方をレクチャーした。
流石は肉体派シーカーと言うべきか、ミレアは転ぶことなくキャッキャ♪と新雪の上を滑り始める。
「すごく楽しいわ♪」
「だろ? んじゃ頂上に行くけど、止まれず木に激突する時は殻化な」
「たぶん大丈夫よ! 早く行きましょ!」
二連山のエレスト南側は、北側より低いといっても八〇〇〇メートル級だ。
それを嬉々として問題にしないミレアのメンタルタフネスが凄まじい。
レイはミレアの手を握ると【空間跳躍】で山頂へ跳び、【宙歩】で空に留まる。
「自分のタイミングで手を離して落ちていいぞ。追いかけっから」
「了解よ! いくわっ!」
言うや否やミレアは手を離してダイブした。着雪したミレアが新雪を巻き上げ滑り降りて行く。腰をかがめ体勢を低くすれば速度が上がると感覚的に判るのか、レイの予想を超えるスピードでヒャッハー!と叫んでいる。
「マジですげぇな。こりゃ負けてらんねぇぞっと!」
【空間跳躍】で加速度をつけたレイが着雪し、直滑降でミレアを猛追する。
横に並んだ瞬間に目配せしたレイが、更に速度を上げて先行すると――。
「しゃ!」
斜面のコブを利用してジャンプするレイが、180スピンを連発して盛大に雪を巻き上げる。
「っ!? すごいすごい! それどうやるの!」
「あ!? なに言ってんか分かんねぇ!」
インカムつけるべきだったと思いながら、360や520をレギュラーとグーフィー、グラブやノーグラでキメていく。傾斜がきついため滞空時間が長い。
大差をつけたレイはフロントサイドスリップでミレアを見上げながら、両手で雪を削り速度を落としていく。ミレアも見様見真似でサイドスリップになり、レイを少し追い越したところで止まった。とても初めてとは思えない。
「ミレアすげぇな。天才?」
「レイの方が凄いわ! でも、レイの故郷は雪が積もらないと言ってたわよね?」
「雪山トレーニングのついでにスキー場でバイトしてたんだわ」
「すきー?」
ミレアの横で腰を下ろしたレイはミレアの疑問に答えようと思ったが、ホワイトライノから降りてキョロキョロし始めたシャシィたちが目に留まる。すると、ルジェがスバっと視線を上げレイを指差した。
「あ、見つかった。あいつどうやって俺の魔力感知してんだろうな」
「謎が多いわよね。取り敢えず戻りましょうか、楽しかったわ」
転移で戻ったレイが、シャシィたちに「ミレアだけズルイ!」と責められたのは言うまでもない。