146:四〇〇キロメートル走
夜明け前にルルとシオの故郷を廻り、全員でアレジアンスへ転移した。
ゴートは見送りのアンテロープと既に待ち構えている。
レイは第一工場前のお立ち台に上がり、ミレア隊とゴートに訓示っぽい口上を述べ始めた。
ド早朝トレーニングを行うべく出て来たジンとユア、見送りに来たセシルとメイがレイの言葉に耳を傾ける。
どうやら往路はのんびり進んでトレーニングに時間を割くという内容で、ルジェによる魔力槽の初期化は、バラク王国の国境辺りで行うという妙なプランだ。
「テーマは超集中強化トレーニング旅行だ。目的は戦力のボトムアップとアベレージング。近接戦チームはゴートとタメ張るくらい、魔術師チームはルジェとタメ張るくらいになる。これが東の帝都に着くまでの達成目標だ。だいたいさ、悪魔一匹とミレア隊が互角とか許されねぇだろ? ってことでルジェ」
言ったレイが【格納庫】からノートとボールペンを取り出し、ミレアを基準とした魔力量を感知しながら書き込む。レイに促されお立ち台に上がったルジェは、魔力槽の初期化に関する概要を話し始めた。
魔力槽は幼少期の魔力枯渇と回復のサイクルで最大容量を増すが、実際には回数に上限がある。上限回数には個人差があるものの、ルジェのような特異種でない限り大差がないため気にする必要はなく、気にしても意味がない。
ユーグルが残したゼイオン真書によると、上限回数が最も多かった者で一八回、少なかった者は一五回であった。盟主であったユーグル王国は全臣民に計測を義務づけていたとあるため、統計学的な信憑性は疑いようもない。
「レイが〝のんびり〟と表現した所以ですわ。わたくしの見立てでは〝古い血〟が濃い者ほど回数は多いはずですの。この場ならシィ、シオ、イリアが該当しますわ」
現代人と三万年前に滅亡したユーグルの民を対照すれば、ユーグルの民は総じて古い血、つまり種族的純血が多かった。その観点でシャシィとシオ、イリアは古い血が濃いと予想される。ミレア隊の中で比較しても三人の魔力量は突出してい多い。
片やでミレア、ノワル、ルル、ロッテは多いと言えない。四人を種族で大別すれば人間族であり、言い換えれば、異種族交配の回数が多いと人間族になる。
ノワルについては人間族の割りに魔力が多く、魔術師であるが故に修練過程で魔力枯渇を幾度も経験した結果、最大量が400まで増えたのだろう。
「人間族の四人は一〇回程度を上限と考えるべきですわ」
「ロッテは人間だったんだな」
「レイ様あんたいい加減におしよ?」
『いやだって…』とレイが呟きながら目を逸らした。失礼な男である。
「シィ、シオ、イリアも高望みは禁物ですの。一五回いけば御の字ですわ」
「あたしね、お師匠の御伽噺を思い出したよ」
「あー、リュオネルは知ってそうだな。あいつ何気にユアより魔力多いし、月森で精霊と契約してる連中はどいつもこいつもイリアより量が多い」
ジンが「そういうこと言えし!」と心中で絶叫した。
「月森のエルフは口伝が多く残っているから物知りですの」
「ねえルジェ、一回で増える量も判ってるの? また古い血が関係したりする?」
「血との関係性は未知ですの」
ゼイオン真書には、回数を追うごとに増大割り合いが低下するとある。初回から五回目までは漏れなく初期値が倍増するものの、以降は九割増し、八割増しと低下していく。しかし、血統や純血度との相関に言及した記述はない。
「ま、やってみりゃ分かるだろ。明日から二〇日間くらいのんびり行って、全員の量が上限にいったらペースを上げて帝都に殴り込むカンジな」
ジンとユアが、内心で「おちおちしてられない」と呟いた。
普段と同じトレーニングを熟すだけだと、帰って来たミレアたちに戦力で劣ってしまうかもしれないとの焦燥に駆られ始めた。
「でだ、今日の早朝トレーニングはペース走にする。今の個人差を俺が把握したいからだ。ペースはいつもの時速五〇キロをキープ。ゴールはバラク国境な」
「「「「「「「え…」」」」」」」
「ククク、この歳で己を高める機会が得られるとは。望むところだ」
ジンが仕事納めの日に問われたことを思い出した。
レイに「ここからバラク国境までの直線距離はどれくらいか」と訊かれたため、『真っ直ぐ北上すればざっくり四〇〇キロメートル』と答えた。時速五〇キロなら八時間の耐久ペース走になり、多少方角がズレても昼頃には国境へ辿り着く。
こちらの一時間は五〇分で、もっと言えば一分も五〇秒だとかで時速五〇キロどころではないのだが、何にしろ、強化を八時間も継続するなど尋常ではない。
「初っ端からとんでもないな」
「朝ゴハン食べないのは良くないと思う」
ユアの心配を他所に、レイは【食料庫】から一六パックの高濃度プロテインゼリー飲料を出した。
「体が重く感じ始めたら走りながらこれを飲め。二つで足りなきゃ幾つでも出してやるから言ってくれ。んじゃ荷物を預かる。持って走ってもいいけど」
全員がレイの前に荷物を置いた。持って走る訳ないだろ、と。
「んじゃ行ってくるぜ」
「俺も行きたくなってきたよ」
「私も」
「お前らにしか出来ねぇ仕事が山ほどあんだろ。一年後にゃ超詰め込み鬼の強化合宿を企画すっから心配すんな」
「鬱りそうだ…」
「私も…」
ジンとユアが半目になった。
一年後にはレイという名の羅刹か修羅が出現することだろう。
「レイきゅんハグして?」
「おう、ウェイト頼むぞ」
「うん、イイの造る。ジャージとスニーカーも造っとく」
「そりゃ楽しみだ」
ニカっと笑んだレイは、セシルの頭をワシワシ撫でた。
「ちゃんと帰って来てくださいね? あと、私も抱きしめて欲しいです…」
「おう、メイにはジンたちのことを頼む。ほっとくとぶっ倒れるまで寝ねぇしメシも食わねぇからよ」
「はい、私も精一杯お手伝いします。レイさん…」
離れようとしないメイに苦笑していると、アンテロープが口を開いた。
「レイさん、ゴートのことをどうかよろしくお願いします」
「こっちが面倒みてもうらうくらいだし心配いらねぇと思うけど、了解だ」
「あなた、無茶しないで…なんて言うだけ野暮ね」
「うむ、子供たちのことを頼む。ベスティアの土産を楽しみにしておけ」
其々が其々の別れを済ませると、ジンとユアから確認が入る。
「通信基地局の設置を忘れるなよ?」
「お醤油も忘れちゃダメだからね?」
「分かってるっつーの。ジルとシシリーのこと頼むぜ」
「了解した」
お立ち台から跳び下りたレイが、ミレアたちに視線を巡らせた。
「最後に一つ、楽しんで行くぞー!」
「「「「「「「おー!」」」」」」」
「俺がペーサーでゴートはケツ持ちな」
「承知した」
「あ、ゴートに抜かれたヤツは罰ゲームで」
「イリアですか!?」
「あたしもマズイったらないよ、ったく」
「んじゃヨーイドンだ!」
レトロな号令をかけたレイが駆け出す。
瞬時に加速したレイは一同を牽引し正門を抜けて行った。
「今日からペースを上げて少し長めに走ろう」
「うん、私たちも頑張らなきゃね!」
「みんないてらー。メイちゃん、もうひと眠りしよっか」
「そうですね。レイさんとの約束は破れません」
「そっち?」
「皆さんの生活は私が管理します。レイさんとの約束ですから!」
「えぇ…」
図らずも、鬼の生活習慣維持管理官メイが誕生した。
この日以来、メイがジンたちに説教する場面を目撃する社員が多々出るのだが、それはまた別のお話である。
農地へ向かう農民たちに唖然とされる速度で走り続けるレイたちの道行きは、極めて順調…という訳でもない様子だ。
日々のランニングが三時間前後だからか、一五〇キロメートル地点を過ぎた辺りから、自己申告どおりイリアとロッテの足取りが重くなり始めた。
客観的に、強化状態での運動を三時間継続できるようになっただけでも大したものだが、イリアは筋量が少なく、ロッテは自重が大きいので魔力制御技能の熟練度が何より物を言う。要するに、熟練度不足ということだ。
熟練度についてはルルも同様なのだが、ミレアと同等に前衛アタッカーとして必要十分な体格を持つ彼女のハードルは比較的に低い。ルルが人一倍に負けず嫌いで、ミレアに追いつき追い越そうとしているメンタル要因も大きいだろう。
「やっぱ気温が下がってくな」
「珍しく汗をかいているけど、なぜ覆魔をしないの?」
「強化レベルを0.8にしてっから。まだ身長が伸びてるもんで、少し筋量を増やそうと思ってさ」
「水準四なのだけど、私も下げるべきかしら?」
「どうだろな。ミレアは筋量増えると敏捷下がるかもしれん。タダでさえ重そうなのが二つあんだし」
「……なぜ胸だけ大きくなるのかしら。分かる?」
「知るか。んや、前にユアが、胸の大きさは乳腺の太さ依存だとか言ってたな。生活習慣と食生活が良けりゃ、女性ホルモンの分泌が促進されて大きくなる的な」
「言われてみると、メイズに潜っていた頃に比べればまともな生活をしているわ。シィたちも胸が大きくなっているし。ねえレイ、嬉しい?」
「アホか」
アホかとは言うものの、否定はしないレイであった。