133:帰郷
イルパチア公国は、エルメニア聖都から北へ凡そ一二〇〇キロメートルの寒冷地にある小国である。緯度がバラクやゴンツェと変わらないため冬の寒さは厳しく、幹線街道から外れているので経済的にも厳しい。
そんなイルパチア南端に位置する第二都市ラキアに、レイの姿がある。
傍らには、レイと手を繋ぐシオの姿も。
ラキアは第二都市といっても人口は一〇〇〇人に満たず、公都周辺で伐り出される銘木の輸出中継地として開発された。イルパチア公国内でみれば天干に最適な地だが、銘木の端材を使った工芸品くらいしか独自産業はない。
あばら家と呼んで差し支えない民家の扉を叩くと、「今時期にいったい誰だ」と訝しむ中年女性が扉を開けた。継ぎ接ぎだらけの衣服が家計の苦しさを容易に想像させる。
「そ、そんな…ルルなのかい!?」
「お久しぶりです養母様、思ったより元気そうで良かった」
両手で口元を覆った養母の目から涙が零れ落ちる。
瞬く間に睫毛が薄っすらと白み、涙は凍てついていった。
「こんな真冬に、どうやって来たんだい?」
「話は中でしよう養母様、紹介したい人もいる。レイ様、シオ、入ってくれ」
凍てついた地面を歩き慣れていないシオが、レイの腕にしがみついて歩を進める。レイも【空間跳躍】で着地すると同時にすっ転んだため、ブーツに換装しガントレットを装備して靴裏のスパイクを突出させた。それでもジャージを換えないことからして、ファッションセンスがこの世界に侵食されている。
玄関に辿り着いたところでコソっとスニーカーに換装し、『家の中も息が白いの…』と呟いたシオに苦笑しながら入って扉を閉めた。
「養母様、私を娶ってくれるレイ様と、手紙に書いたことがある仲間のシオだ」
養母が驚きの表情を浮かべ、ルルの奇襲を食らったレイは半目になった。
「レイ様、シオ、捨てられた私を養子にしてくれたハンナ養母様だ」
「よろしくどーぞ…」
「初めましてなの」
こんなむさ苦しい家でごめんなさいだとか、レイの特殊技能で連れて来てもらったとかの前談が終わり、ハンナは『寒いでしょう。白湯しか出せなくてごめんなさいね』と言いながらストーブに薪をくべる。
レイとシオは覆魔で全く寒くないし、ルルも未だ薄い上に覆えてない部分もあるが、震えるほどの寒さは感じていない。
「大丈夫だ養母様。レイ様、よろしく頼む」
頷いたレイが、床にポンポン物を出していく。
魔導コンロ、魔導造水器、魔導冷温庫、魔導空調機、魔導懐炉、魔導ベスト、魔導ブランケット、魔導融雪器、そして小型の魔力充填装置。
ルルは驚愕するハンナにどれが何かを教えていく。自分の金で買い揃えたと言われたハンナは身を振わせ、仕舞いにはむせび泣き始めた。
「こ、こんな大層な物もらえないよルル…うぅっ…」
「養母様が拾ってくれねば私は凍え死んでいた。毎晩暖めてくれた養母様の温もりは忘れられるものではない。今度は私が養母様を暖める番だ。どうか娘らしいことをさせて欲しい。私を育ててくれてありがとう養母様、愛している」
「ルル…ルル…うぅっ、ううぅーーーっ……」
シオの優しい色を湛えた目に涙が浮かび、レイも「やべぇ目から汗かきそう…」と斜め上に目線を上げる。
「おいルル、やることやっちまおうぜ」
手の平で目元を拭いながら言って鼻水をすすったレイに、感極まったルルが少女のような顔で抱きついた。
「私はレイ様に生涯尽くす! 身も心も、私の全てはレイ様の物だ!」
「好い人に出逢えたんだねルル…良かった…本当に良かったよぉ…」
「そうだとも養母様、私たちはこの世の誰よりも幸せ者だ」
レイが再び半目になった。一瞬にして涙は枯れドライアイ状態である。
「……私、たち?」
そこキッチリ引っ掛かるよね、そりゃそうだよねと、レイがウンウン頷きながら項垂れる。。
「シオもレイ様に娶ってもらえるの」
確定路線の追撃が放たれた。レイの体からピシッ!とヒビが入ったような音が聞こえた気がしないでもない。
「…ま、まあそうだよね、立派な殿方に嫁の二人や三人がいるのは――」
「八人だ養母様」
「おい!」
「今のところは、なの」
「ぅをい!」
「シオの言うとおりだな。あと二人や三人増えそうだ。いや四人五人か?」
「ぉぉぃ…」
レイが膝から崩れ落ち四つん這いになった。
ハンナは「超ド級のスケコマシかよ!?」みたいな顔で驚愕している。
流石に母親の前でデコピンを放つ訳にもいかず、レイはキッチンとダイニングとリビングと物置を兼ねた室内を見回し、『うるさくするけど少し我慢してくれ』と言って作業を始めた。
煮炊きする竈と調理台、寝室の古いベッドなど邪魔になる物を【格納庫】に放り込み、断熱材を挟んだ強化プラスチック製の内壁を隙間なく打ち付けていく。
ステンレス製のシステムキッチンを出してコンロと造水器と冷温庫をセットし、【宙歩】を使うまでもなく空調機を寝室にも風が届く位置の壁面に取り付ける。
システムキッチンの調理台下は、状態保存装置内蔵の食料庫になっている。
【格納庫】から高反発マットレス一体型リクライニング機能付ベッドを出して寝室に据え置き、波動認証式の魔導金庫を寝室の片隅に据え付ける。
玄関扉に薄型の融雪装置を固定し、魔力充填装置と機器類を接続して完了だ。
瞬く間に暖かくなっていく家にハンナが目をパチクリさせ、レイがルルにサムアップしながら口を開く。
「んじゃ俺ら行くわ。一月一日の夜明け前に来っから、それまでお袋さんとのんびりしてろ。でもトレーニングはサボるなよ?」
「もちろんだとも。私はレイ様の妻として恥ずかしくない戦士になる」
なんか色々おかしいんじゃねぇのと思いつつも、長居するほど被ダメが激増しそうだと、レイはハンナに『じゃあまた』と告げ玄関を開けた。シオはルルとハンナをハグしてからレイの手を握るのだった。
◆ー◆ー◆ー◆ー◆
「いや暖けぇなベスティア。常夏か?」
「夏はものすごく暑いの」
中央大陸南東部に位置するベスティア獣王国は、国土面積だけならオルタニア魔導帝国に匹敵する大国である。暑さに弱い種族は北部という風に種族特性で住み分け、多産種族が多いため総人口はオルタニアを凌ぐそうだ。
北部国境はドブロフスク帝国と接しているが、獣人は単体戦力が高い者が多いためか、過去に侵略行為を受けたことはないという。
その話をシオから聞いたからこそ、レイはゴート案件を片付けた後でベスティアをウロウロしようと考えた。
シオの生家は東部辺境の大森林にあり、昔ながらの狩猟と採取を主体とした暮らしを営んでいるそうだ。両親も黒猫人らしく、シオの家族は純血に近しい。
驚くべきは兄弟姉妹の数で、シオが知っているだけでも十三人いるのだと。
「え、知らないヤツもいんの?」
「早生まれの兄姉には会ったことがないの」
レイは「最近意識しなくなったけどやっぱ異世界だなぁ」と思いつつ、右手側の遠方に海を見ながら東部辺境へと跳んで行った。
「もうすぐ夫のレイ様なの。もう夫なの?」
「もう腹いっぱいなんだが?」
獣人は自立する年齢が若いため、シオの生家には両親と幼い弟妹が五人しかいない。いや、五人もいる。
父親の体格はレイに似ており、無駄な筋肉がない細マッチョだ。身長は一七〇センチあるかないかで高くはないが、見るからに敏捷性が高そうである。
シオは母親似のようで、愛らしいベビーフェイスが年齢を感じさせない。
まあ、二人ともまだ三〇代半ばらしいが。
「ほう! お前さんがシオの婿殿きゃ! こりゃまた強そうじゃけぇ! これならシオも子をようけ産めるじゃろうけぇめでたいわ!」
「アンタはそう捲し立てるように言うちゃいけんよぉ。悪いねぇレイさん、ウチのヒトは声も態度も大きゅうていけんのよ」
「全然平気だから。うんマジで」
レイは「広島弁?」と思いつつ、どこか恥ずかしそうなシオを見遣る。
「東の辺境の訛りなの…」
「豪快でいいんじゃね? 変に畏まった喋りより全然いい。シオは訛ってねぇなって思っただけ」
「シオはボロスに行ってから話し方を練習したの。でもレイ様がいいって言ってくれて嬉しいの♥」
家は目の前にあるのだが、シオの父親はテーブルを持ち出し外で酒を飲み始めた。母親も当たり前のように肴を持って来てカップにエールを注ぐ。
聞いていたとおりシオの両親は酒飲みのようだ。
「ここで出していいのか?」
「うん、大丈夫なの」
レイはセシルが造ったビールサーバーを出し、ビール樽にホースを繋ぐ。目を丸くして凝視する両親を横目に、セシルとミレアが主導した〝おつまみシリーズ〟の缶詰を山のように積み上げていく。
「なっ、なんじゃあこりゃあ!? 冷とぉてバリ美味いわ!」
「この肴も美味しいけぇアンタも食べてみんさいよ!」
ルルとシオを故郷へ送り届けたレイは、疲れた様子で王都へ帰った。