127:暇潰しは悪魔将
意識が浮かび上がると同時に、大層寝心地の良いベッドの上だと気づく。
妙にスッキリした心持ちで瞼を開くと、少し離れた場所にフィオが座っていた。
椅子から腰を浮かせたフィオが、ヴィニの傍らに歩み寄る。
「ご気分は如何ですか?」
「フィオ殿……見苦しい姿を晒してしまいました」
「見苦しくなどありません。ヴィニシウス様は、その、素敵でした…」
頬と耳先を上気させたフィオが、愛らしく俯いた。
「フィオ殿を守れるよう、より一層精進します」
「私はヴィニシウス様をお支えできるよう、精一杯努めます」
「フィオ殿」
「ヴィニシウス様」
戦った者とそれを見守った者の熱が、有り得ない行動を起こした。
高貴であればこそ、婚姻の夜まで妄りに触れ合うことはない。
唇を触れ合わせた二人は、全身を朱に染めて微笑み合うのだった。
◆ー◆ー◆
「ねえねえ、舞踏会だけでもいいから行こう?」
「そっちの方がイヤだっての。お前らだってダンスなんか出来ねぇだろ」
「ジン君と二人で練習したもーん」
模擬戦終了から三〇分も経っていない社食では、着飾ったユアとジンを前に、レイがバクバクと料理を貪っている。
「レイは出ない方が無難だと思うぞ」
「どうして?」
戴冠式の折、ジンは各国の大身貴族から「戦争の英雄は何処に」と尋ねられた。
予想はしていたがその数は予想を超えるもので、クリスに言わせれば「レイを目当てにする来賓は多い」と。
この世界で最も誉れ高いのは、何を置いても〝戦功〟だという。
如何に内政や外交で功績を上げても、君主制国家が重視するのは武の傑物だ。
実際、英雄の存在が侵略行為を断念させた史実は多く残っている。
アドルフィト三世でさえ、未だ五歳の第一皇女とレイを婚約させようと画策している始末だ。「十年と経たず子を産める」と。
他にも年頃の娘を連れて来ている貴族は多く、レイが舞踏会に出席すれば挨拶の順番待ちをする長蛇の列が出来上がるだろう。
「んーと、モテ期突入?」
「アホか」
「地元でもレイはモテてたぞ? ユアが傍にいたから近寄れなかっただけで」
「そうなの!?」
「ユア様は妙なところで鈍いわよね?」
「え…」
「あたしもユア様はレイの婚約者だと思ってたよ」
「へっ!?」
「シオは夫婦だと思ったの」
「えぇっ!?」
「私はユア様の胸を捥ぎ取ろうかと思いました」
「それは違くないかな?」
「俺もあの日に言ったろ? ユアはその、そうだと思ってたって」
「うぅ、ごめんなさい…」
ともあれ、そういう状況ならレイがキレて暴れ出しそうだとユアも納得し、『レイはお留守番ね』と言ってメイク室へ戻って行った。なぜかジンも一緒に行く。メイクをする気なのだろうか。
そうこうしていると、彷徨っていたらしいヴィニとフィオが食堂に入って来て、「やっと見つけた」的にほっとした表情を浮かべた。
食堂は変わらず第一工場横の旧事務棟を使っているため、ヴィニが運び込まれた独身寮からは離れている。
「目ぇ覚めたか」
「レイ殿、ありがとうございました。英雄の力量を肌身で感じることが出来ました。またいつの日か挑んでもいいでしょうか」
「英雄じゃねぇけどいいぜ。来年でも十年後でも戦りたくなったら来いよ」
「ありがとうございます」
「フィオは幸せにしてもらえよ。ヴィニはイイ奴だ」
「はい、幸せにして頂きます」
美しく微笑んだフィオを目の当たりにしたミレアたちが、「何かあったな」と鋭敏に悟った。
レイはヴィニに座れと顎をしゃくって促し、模擬戦の感想を語る。
こと戦闘に関しては流暢に話すレイの指摘や助言は的を射ており、ヴィニのみならず、フィオもレイの本質を初めて理解した様子だ。
「魔力制御は知識とイメージが大事だ。帝都に人体解剖模型ってないか?」
「判りませんが、帰国したら学術院で探してみます」
「ヴィニ様、詳細な医学書をお探しになるべきかと」
「そうか、うん、フィオ殿の言うとおりですね。そうします」
レイも愛称呼びでそこはかとなく悟り、オルタニアへ行ってもフィオは幸せになれそうだと笑みを浮かべる。
その後も体術や歩法について彼是と指摘し、一年もすれば仏頂面のイグナシオに勝てるんじゃないのと締めくくった。
ヴィニは半信半疑のようだが、帰国して模擬戦の一回もしてみれば、自身の戦力向上に気づくことだろう。
「帝都へ来た際には是非とも立ち寄ってください。いつでも大歓迎です」
「おう、帝都に行ってヒマなら寄らせてもらうわ。じゃあまたな」
ヴィニとフィオが乗る馬車を見送ったレイたちは食堂へ戻り、レイが「直近のヒマな時間を有意義なものにしよう!」と唐突に言い出した。
「もう嫌な予感しかしないわ。何をするつもりなのよ」
「ゴート連れてホワイトライノでドワルスキーに殴り込む」
「ドブロフスクね♥」
「悪魔を討伐するの?」
「ちっと違う」
「ジン様はご存じなのですか?」
「もちろん知ってる。つーか、鳥悪魔はゴートの獲物だけど、残りの二匹はミレア隊の腕試しにいいんじゃねぇのって言ったのもジンだ」
ジンとルジェと三人で話をした際に、ドブロフスクを牛耳っている二人の悪魔将は皇帝と皇后に化けているはずだと彼女は言った。
位階が低い悪魔ほど混沌とした環境を好む傾向にあるが、二人の悪魔将はそれなりに知性が高いため、現状に満足しているらしい。
そもそもの話、皇帝と皇后に化けている悪魔将たちは、エルメニアの枢機卿に化けていた時代が長い。その理由は、激化の一途を辿る聖宮騎士団による悪魔狩りを抑制するためであった。
二人は入れ代わり立ち代わりしながら枢機卿に化け続けていたが、いつの頃からか祓魔能力の血統継承性が弱まり始めた。
一〇〇〇年と少し前には祓魔を成せる聖騎士が皆無となり、二人は滅殺されるリスクが解消されたと判断した。
そこで当時からドブロフスクと呼ばれていた僻地へ移り、帝国を建国した。
「別に二匹を消し飛ばそうって話じゃない。だからシィは浄光を使ったらダメな」
「話が見えないのだけど?」
ルジェは『上手くすればディオーラ王国を取り込めますの』と言った。
ドブロフスクとディオーラの戦争が長らく膠着しているのは、二人の悪魔将にディオーラを落とす気がないからだという。
しかし、公の位階と比べれば多少の混沌を欲する将の位階であるため、「平和な環境でスローライフを」などという思考には成り得ない。
とはいえ、悪魔将たちはドブロフスクが滅亡したら困り果てる。
彼の地は、数十万年の歳月を経て漸く手に入れた安住の地なのだから。
そこまで話を聞いたジンは。悪魔将の危機意識を利用する戦略を思いついた。
頻発している内戦を悪魔将たちに沈めさせ、ディオーラ戦に注力させる。
何なら皇后の方を英雄級の武官に化けさせ、軍を率いさせるのも良い。
そしてディオーラ王が「敗色濃厚…」と悟るタイミングで、アンセスト王クリスが「アンセストの一領に戻らないか?」と持ちかける。
まあ、その辺はクリスの判断になるが、最低でも和平条約は結んでもらう。
何しろ、ディオーラの南で国境を接するのはベスティア獣王国であり、ジンは一年以内にベスティアと同盟および通商条約を結ぶ方向でゴートと話を詰めている。つまりクリスの提案を無下にすれば、ディオーラはベスティアまで敵に回す。
「俺がフル装備で行けば、二匹は消し飛ばされたくないから話を聞くってワケだ」
「悪くない計略ね」
「ジン様はディオーラが片付いたらどうするの?」
ジンは『結果に応じた二者択一になる』と言った。
ディオーラがアンセストに服従するか否かで展開が変わるという意味である。
ディオーラがアンセストに服従するなら、ジンは悪魔将を滅殺する気だ。
しかし和平条約などでディオーラが国家として存続するなら、悪魔将には『内戦でも何でも好きにしてろ』と言って放置するつもりでいる。
「ディオーラが再び反旗を翻した際に、ドブロフスクをぶつけるためですね」
「お前ちょいちょい頭いいな」
「お褒めに預かり光栄です、今直ぐ抱いてください」
「やっぱり馬鹿なの」
「シオさんも一緒にどうです?」
「う、悩むの…」
シオがちょっとおかしくなってきているが、さておき。
「でだ、ミレアたちが行きたいって言うなら連れて行く。行かないならゴートと二人で行って鳥悪魔だけ始末する」
「ちょっと待って。私たちが悪魔将と戦う話が出ていないわ」
「んなもん、行った時に〝模擬戦しろや〟って言えばいいじゃん」
「あぁそういう感じなのね」
「レイにしか出来ないよねー」
「んや、一匹だけならミレアたち四人でもイイ勝負だってルジェが言ってた。だから片が付く前にシィが浄光で消し飛ばしたらジンが困る。ここ重要な」
伝説の厄災に伍せると言われたミレアたちが、驚き顔を見合わせる。
一拍置いてミレアが頷くと、シャシィたちも決然とした眼差しで頷いた。
ドブロフスク遠征が決定である。