126:vsヴィニシウス
時は少々流れて戴冠式の翌朝。この数日でも緑竜に二五〇億の値が付いたり、一人当たり三六億近くが入金されたとか色々あったのだが、さておき。
レイの戴冠式不参加で半目になったヴィニは、ジンから『レイは調印式にも出ない』と聞いた途端に父イグナシオの許可を取りアレジアンスを訪れた。
車窓の先には、ゴートと軽く打ち合いながら打撃フォームを矯正しているレイと、それを真似ているミレア隊の姿が見える。
馬車の進入に気づいたゴートが顎をしゃくり、レイが目を向けた。
開いた馬車の扉から降りて来たヴィニは気合いのフル装備で、その傍らにはフィオの姿もある。戴冠式に先立ち婚約したという話だけはレイも聞いている。
フィオをエスコートしてゆっくり歩み寄るヴィニへ、レイが体を向けた。
「よぉお二人さん、婚約したらしいな。フィオを幸せにしろよ?」
「はい、全身全霊を懸けて」
「レイ様のお心遣いに感謝を…」
ミレアたちはどこか切なそうなフィオの心情を察知したが、レイにそういった機微を求めるのは無理である。
「ヴィニは体が温まってないだろ。関係なしに戦るか?」
「戦場であればそうですが、今回は少し時を頂きたいと思います」
「OKだ」
双剣士のミレアがヴィニのウォームアップを手伝うことになり、他の面々はフィオのために椅子と風防を用意しようと動き出した。
レイも楽しみは多い方がいいと、ヴィニから視線を切り風防の敷設を手伝いながらフィオと言葉を交わす。
「ヴィニと一緒に帝都行きか?」
「婚姻の儀はあちらで執り行われるのですが、輿入れは春を待つことになります」
春になるのはまだまだ先とあって、レイが不思議そうな顔になる。
すると、ゴートが「北方の街道は雪が降り始める頃合いだ」と旅路の難を説く。
王都に雪が舞い降りるのは稀だが、西方へ繋がる街道は邪竜のブレスで穿たれたと云われる峡谷を避けるため、バラクまで北上しなければならない。
例えば、バラクの宿場町オルデは、王都から北北西に五〇〇キロメートルほど。
オルデ辺りは既に冬支度を済ませている時期ということだ。
レイは「ブラックライノで行けばいいんじゃね?」と思わずにいられない。
しかし、再び大国の一角に返り咲いたアンセストの今代王妹ともなれば、そういう訳にはいかない。
野営など以ての外であり、少なくともバラク王、レドイマーゴ大公、エルメニア聖皇には謁見し挨拶する必要がある。
オルタニア領土に入った後も、大身領主貴族家の屋敷に宿泊しながら帝都を目指すことになるだろう。入都に際しては、歓待パレードが執り行われるのも間違いない。
「王族ってのは大変だな」
「レイ様の傍らであれば自由気ままに生きてゆけるのですが」
レイが『あーうん』と答え、ゴートは「そういうことか」と察した。
一方、滂沱と汗を流すヴィニは、引き攣り笑いを抑えられずにいる。
自身の技量にはそれなりの自負を持ち、実際、帝国近衛騎士との手合わせでも、完敗を喫するのは騎士団に二名いる副長や、総長の父イグナシオを相手にした時のみ。にも拘らず、ミレアは汗の一滴も流さず涼しい顔で受け、往なし、躱す。
名うてのシーカーだと聞いてはいたが、ちょっと意味が分からない。
(ここは化け物の巣窟かっ!)
(半年前の私といい勝負かしら。やだ嬉しくなっちゃうわ♪)
「フィオ様、ケフェム淹れてきたよ。ミルク入りで甘いの」
「ありがとうシャシィ」
「ユア様謹製のしっとりココアクッキーもお持ちしました」
「ありがとうノワル」
「さて、そろそろ戦るとすっか」
「レイ様、ご武運を」
「お、おう」
俺に言ってどうすると思いつつ、レイは【食料庫】から高濃度プロテインゼリー飲料を二つ出し、ぢゅううううう~と飲んで身を翻した。
シャシィたちが「えっ、結構ガチ? 殺る気?」と顔を引き攣らす。
見てとったミレアがススっと後退り、礼を執ってレイとすれ違う。
「大怪我させちゃ駄目よ?」
「お前ら俺を何だと思ってんだ。ユアもメンチ切って監視してやがるし」
ミレアが本社屋へ目を向けると、五階の窓辺で目を細めるユアの姿があった。
調印式の後は舞踏会なのでドレス姿だ。
「でだヴィニ、俺は個人的に政略結婚なんぞ認めねぇ。俺んことはフィオを掻っ攫う悪党だと思って戦れ。お前の本気を量ってやる。失格なら尻尾巻いて帰れ。OK?」
「……承知しました」
聞いたフィオが胸の前で手を握りしめ、一滴の涙を零す。
呆れかえるミレアたちが「それ殺し文句ぅ!」と半目になった。
「ふぅ………参るっ!」
深呼吸から吼えて駆け出したヴィニは、脇をしめ遠心力を利用しないコンパクト且つ鋭い右袈裟で大気を裂く。が、レイは右脚をスッと引き僅かに上体を反らす挙動で刃をやり過ごし、ヴィニの右手首を掴み取った。
「っ!?」
「お前の本気はそんなモンか? やり直しだ。殺す気で来い」
レイは手首を掴んだままグンとヴィニを押し戻す。
ギリと奥歯を噛み締めたヴィニはレイを睨めつけ、再び踏み込んだ。
「おぉおおおおおーーーッ!!!」
ヴィニが己の全てを叩きつけんと怒涛の剣戟を振るう。
ヴィニが振るう剣は間違いなく卓越している。
しかし、レイはその尽くを寸前かつ紙一重で躱し続ける。
「ほう、中々にやるものだ」
「そうね…」
ゴートが呟き、ミレアは呟くように合いの手を入れる。
ミレアの呟きをゴートは不可解に感じた。
「憐みか?」
「まさか。私の剣がレイに届く日を想像できないだけよ」
「そちらか。その想いがあるならミレアはまだまだ高みへ昇れる」
ミレアは「確かにそうだ」と思い、決意を新たにした。
パンッ!
レイが掌で剣腹を叩き払い間合いを取った。
鋭さを増していくヴィニの剣戟が、打ち払われたとはいえ届いた証左である。
「やった…!」
「チッ(コイツ強化上限を抜けやがった。実戦で伸びるタイプか)」
レイがヴィニのポテンシャルに瞠目する。
ヴィニの強化上限を今のレイと比較すれば、レベル2.8だった。
レイはレベル2.9で対処していたが、ヴィニの一閃は3.2に伸びた。
強化は循環と浸透の併用であり、強化上限は循環による魔力路の延伸度合いで決まる。つまり、ヴィニは剣を振るいながら無意識的に循環効率を高めて魔力路を延伸させ、ノータイムで末端に浸透させ上限を引き上げたことになる。
(どんだけ伸びるか見ものだぜ。一発煽っとくか)
薄く笑んだレイがレベル7で唐突に踏み込み、レベル3.5に下げて打つ。
ズドンッ!
「かはっ」
腹のド真ん中に真横から左フックを打ち込まれたヴィニが膝をつき悶絶する。
「デレっとしてんじゃねぇぞコラ。んなモンでフィオを守れると思ってんのか」
「ごはっ、ごほっ…………くっ、私はフィオ殿を守るっ!!!」
脂汗を流しながらも鬼の形相となったヴィニが突貫する。
こうなると大抵の者は大振りになったるするのだが、幼少の砌よりイグナシオに鍛えられてきたからか、ヴィニの剣筋は基本に忠実でブレもない。
一分、三分、五分と時間が流れてゆき、一五分が経とうかという頃、ヴィニが再び強化上限を引き上げた。内心で笑いが止まらないレイが、絶妙かつ実にイヤラシイ煽りでヴィニを奮い立たせつつ模擬戦は続いていく。
「称賛すべきはやはりレイだな。信じられんことを当然が如く成す」
「レイに練兵をさせては駄目ね。とんでもない軍隊が出来上がるわ」
「ミレア、どういうことですか?」
「レイがヴィニシウス様の戦力を引き出し底上げしています。ヴィニシウス様がフィオ様に向ける想いが本物だからこそと存じます」
「そう、ですか…」
ヴィニに視線を移したフィオが、可憐に微笑んだ。
(体格的に頭打ちくせぇな。でもまぁ大したモンだぜ)
現時点でヴィニが至った強化上限は、レイ基準の換算でレベル3.7だ。
ジンがヴィニはフィオと同年で、自分たちの一つ下だと言っていた。
肉体成長が終わる日まで鍛錬に精を出せば、レベル5に届きそうである。
今のジンが6.5である点に鑑みれば、大したものと言って差し支えない。
レイが決着をつけるべく、ストライカースタイルで構えた。
初めて構えたレイの立ち姿に、ヴィニが息を飲んだ瞬間――。
ドシュッ!スパンッ!!
踏み込むと同時に強烈な左ローキック。余りの痛さに前屈みとなったヴィニの顎先を超高速右フックが打ち抜いた。ぐりんと白目を剥いたヴィニが膝から崩れ落ちる。レイは崩れるヴィニをガシっと受け止め、模擬戦は幕を閉じた。