120:vs白亜
連続的な【空間跳躍】でカチ込んでやろうかと思うも、得体の知れない相手に開幕から手の内を晒すのは上手くない。
レイはシャシィが波動を読み取れなかった原因に気づいている。
ここにいる何かは魔力が小さく弱いのではなく、極めて高度な技術で感知しようとする者の魔力を相殺している。
おそらく、ユアの波動変調や同調に近しい特殊技能だろう。
しかし、レイが研鑽を怠らなかった魔力制御技能と感知能力は、相手が使う特殊技能に競り勝った。
難易度はかなり高くギリギリであったが、既知の波動をレイが読み違えることなどありはしない。
レイが照合した波動は、ボロスの路地裏で邂逅した白い老婆に一致した。
デオクリュスタを買った時は「珍しい波動だ」としか思わなかった。
買ったといっても代金は払っていないのだが、さておき。
しかし翌日に再訪してみれば、老婆はアンティークショップごと消えていた。
今日は今日で空き家に忍び込んでいる。
おまけにレイが感知したと気づいていながら、逃げようとも隠れようともせず佇んでいる。
それが意味するところは余裕だろう。
(来るなら来いってかコノヤロー)
中々に精巧な造りの鍵で玄関を解錠し、魔力と併せてスキャンした建物構造を脳裏に浮かべて迷いなく廊下を歩き、階段を最上階まで上がる。
王宮を彷彿とさせる長い廊下を最奥まで進み、サムラッチハンドルと呼ばれるドアノブに手をかけた。
カチャ、キィ……
僅かなヒンジの軋みを聞きながら扉を押し開けた。
「フフ、意外に早い再会ですの。宿星の導きは絶対ですわ」
うっとりするような甘い声でそう言ったのは、真白で若い美貌の女であった。
老婆の面影は皆無で、特徴的な語尾や口調も全く違う。
同一なのは魔力波動だけだ。
「やっぱ見間違いじゃなかったか。あの婆さん偽装どうやってたんだ?」
「紳士が女の秘密を詮索するのは感心しませんわ?」
「紳士とは相性が悪いもんでな。まあ、察しはついてっけど」
「そうですの? 教えて欲しいですわ」
扉を開けてからこっち、レイは何らかの術式に抗っていた。
感覚的に生死を分ける類じゃないが、食らえばどうしようもなくなると本能がガンガン警鐘を鳴らしている。
「お前、白亜って呼ばれてた悪魔だろ」
女がとびっきり妖しい笑みを露わにした。
レイをして押し倒したくなる程に美しく煽情的なその笑みは、正しく悪魔的。
確定と判断していいだろう。
「レイは召喚されし者ですわ?」
「名乗った記憶はねぇんだが?」
「わたくし何でも知ってますの。例えばセシルは神匠、ジンは勇者、ユアは聖者。でも、レイの神紋だけは聖皇宮の地下にあるレリックでも判りませんわ?」
(コイツ好き勝手に使えんのか?)
神紋持ちが生まれるか召喚された時に、束の間だけ起動できる告報のレリック。
それを自在に使えるなど、それこそ神か悪魔かという話である。
聖皇が知ったら卒倒するのではなかろうか。
「まぁいいや、ここは俺が買った家だから外に出ろ。ぶっ飛ばしてやる」
「嫌ですの」
一度プイと顔を背けた白亜だろう悪魔は再び妖しく笑むと、ススっと移動してベッドに腰を下ろして傍らをポンポンと叩く。どうやら寝技をご所望らしい。
レイは「ノワル二号と呼んでやろうか」と思いつつ半目になり、部屋の全壊を覚悟してフルボッコにすると決めた。
先ずはご機嫌伺いを兼ね、レベル4の強化で真正面から行く。
パパパンッパシィィィイ!
「マジかよ…」
「フフ、中々ですの。でもこの程度では永劫に届きませんわ?」
右ジャブ二発から左フック右ショートアッパーと繋げたが、いとも容易く掌で受けられた。おまけに最後のアッパーは拳を受け握られている。
(今のは動体視力じゃねぇ……こっちの魔力の動きいっ!?)
ドンッッッ!!
「くっ…」
レイがクロスガードで受けたのは、骨まで響く掌底打ち。
瞠目すべきは、白亜が半歩に満たない踏み込みから放った事実。
体格と加速度からして有り得ない衝撃荷重だ。
両碗を殻化したにも拘わらず、痺れで拳を握り込めない。
思考をフル回転させながら跳び退いたレイが口を開く。
「クソ重すぎる……重力操作か?」
「驚きですわ。初撃で看破されたのは初めてですの」
つい最近、ジンに『レイの力場操作と重力場の操作は物理的に近しいはず』と言われたので思いついたが、あっさり認められるのは嬉しくない。
白亜にとって、重力操作は知られても構わない類なのだろう。
つまり、重力操作よりも厄介な切り札を持っている可能性が高い。
(格上相手に探り入れても意味ねぇか)
白亜という悪魔公は、レイヌスさえ比較にならない悠久を生きている。
耳タコになるほど「切り札を悟られるな」とジンが言うので気をつけているが、回復手段を持たないレイは、許容できないダメージを食らった時点で終わる。
自分らしく戦ろうと思考を切り替えたレイが、魔力炉を起動してゲートを解放。
続けて強圧縮を繰り返し循環を速度を高めていく。
レイの輪郭が薄っすらと赤を纏い始め、瞬く間に濃く鮮やかに染まる。
(フフフフッ、驚愕に値する成長速度ですの)
空間を支配する魔力圧が急上昇していき、壁や柱が軋みを上げ始めた。
白亜は今尚泰然としているが、余裕綽々の笑みは消えている。
轟ッ!
レイが鮮紅の魔力を噴き上げ、現時点で最高強度の殻化へ到達した。
殻化の強度は魔力圧と循環速度に比例して高まる。
ゴートが模擬戦に付き合ってくれたおかげで、この事実に辿り着けた。
レイがストライカースタイルに構えようとした刹那――。
ガキィンッッ!!!
凡そ三メートルの距離を刹那に潰した白亜が、床のタイルに放射状の亀裂を走らせレイの胸に超重掌底を打ち込んだ。
白亜が目を見開き、レイはニヤリと笑う。
ドゴォオッッ!!!
「っく」
胸に掌底を当てられたままグンと踏み込んだレイが、鳩尾にアッパー気味の右ブローを突き刺し、白亜はたまらず〝く〟の字になる。
「ふんっ!」
バキャアッッ!!
両手で真白の髪を鷲掴みにし、渾身の膝蹴りを白亜の顔面に叩き込む。
ゴッッ!!
白亜の顔を膝で支えたまま透かさず右腕を振り上げ、後頭部に肘を落として頭を潰しにかかる。
ゴリュッ!ドゴッ!ズチュゥッ!ガシャーンッ!
両手で側頭を鷲掴みにして頸椎を壊さんと頭部を捩じり、捩じった首へ再び右肘を落としつつ、左親指を白亜の右目に深々と挿し込んだまま握って振り捨てるようにガラス戸棚へ向けて投げた。
「フフ、フフフフフ……」
上半身を戸棚に突っ込んだままの白亜が不気味な笑い声を上げる。
まるで悦に入るかのように。
(今のはゴートでも死んでんぞ…ったく)
上半身を戸棚から抜いた白亜が、ゆっくりと振り返った。
首は歪に曲がり鼻は潰れ、右目からは鮮血が滴り落ちている。
レイが「悪魔も血は赤いんだな」と益体ないことを考えていると…
ゴキッ…ゴリゴリッ…
(うっわあ)
白亜は自らの両手で首を正面に捩じり、親指と人差し指で潰れた鼻を摘まんでゴリゴリと元に戻した。そして――。
「おいおい再生すんのかよ…」
白亜の右目が再生して流血が止まり、蠢くように鼻も修復された。
「素敵ですわ? こんなに甘美な痛みも初めてですの。フフフッ」
「このノワル二号め…」
レイは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。