10:旅路
二日目の午後、街道の傾斜を上りきるとメイズ都市ボロスが見えた。
一際に目を惹くのは、中心地だろう位置にある建築物。遠めに眺めているにも拘らず、「パルテノン神殿ですか、ここはギリシアですか」と言いたくなる。
「王都と違って防壁とかないんだな」
「シーカーだけで二〇万人以上いるもの。三倍の戦力で攻められても落ちないわ」
「防壁なんて土系統の魔術師を一〇人も集めればすぐ造れちゃうからね」
「たった一〇人でか?」
「ギルドが魔晶を貸与するから魔力枯渇を気にする必要がないんだよ」
「やべぇなボロス」
ボロスは外側へ行くほど家屋が無造作に建てられている。
パルテノン神殿(仮称)を起点に何本かの大通りが延びているものの、下手に路地へ入れば迷子は必至だろう。
「ゴーレム馬車なら王都を朝出て夕方には着く感じか?」
「そんなところね。大きな魔晶のゴーレム馬を駆って直進すればもっと早いわ」
自分たちが潜る時は王都から通うのだろうかと考えもするが、まだ先のことなのでまぁいいかと先送る。
「さあ行きましょう。この先は魔獣領域が幾つもあるし、野盗も出るから気を抜かないようにね。ここからが旅の本番よ」
(お、イベントフラグか?)
「今日は一つ目の領域手前で野営だね」
「そうね。レイ様が野営に慣れてるから助かるわ」
夏休みに未成年のアマチュアが出場できるトーナメントは八月末なので、レイは父親と強化合宿という名の山籠りをしていた。食料を現地調達する野営などお手の物で、ナイフ捌きも堂に入っている。
昨夜は街道沿いにある荘園で空き家を貸してもらい泊まったのだが、レイが勘で作った夕食にミレアとシャシィは驚いていた。作った本人が「こんなに美味くなるとは…」と内心驚いていたのは秘密だ。
「あのさ、ちらっと魔獣の領域に――」
「「寄らない(わよ)」」
「食いぎみに拒否んなよ」
強化を会得した今ならイケるんじゃね?と、調子に乗っているレイを無視するミレアとシィが馬車を走らせる。率先してフラグを回収しようと試みたが、どうやら立っていなかったようだ。
レイは車体の屋根に登って腰を落ち着け、雄大すぎる景色を眺めながら魔力制御に勤しむ。身体強化の真髄は細胞単位での魔力浸透にあると確信したため、魔力路の枝分かれと延伸に注力する所存である。
身体強化の真髄が細胞単位の魔力浸透にあるのは正しいが、肉体的な強化だけでは足りないとミレアは説いた。
運動能力だけを飛躍的に向上させても、五感と思考が追従しなければ制御が適わず、とてもじゃないが実戦では使えないと。
ニュアンス的に「神経細胞とか脳細胞への魔力浸透だろう」と受け取ったレイは、朧げな記憶にある人体解剖図を脳裏に浮かべる。
大動脈を魔力路に見立てて魔力を流し、押し広げながら分岐させ延ばす。
言うは易し行うは難しを地でいく作業だが、好きな物事には無類の集中力を発揮するのがレイの長所であり悪癖でもある。
(あーはん、魔力は血液っつーより血中酸素みたいな感じか。何もしなけりゃ消費されないってのは脂質に似てる気もするな)
一方で、魔力制御の基本にして極意は〝循環〟だとシャシィは説く。
魔力はゲートから出て体内を巡りゲートへ戻るのだろうと思っていたが、どうやら違う。体内に供給した魔力は、消費されない限り体内を巡り続けるようだ。
魔力路の総延長距離が延びるにつれ、浸透が難しくなる。おそらく魔力が足りなくなっている。だったらゲートを開けて追加供給し循環させればいい。
(先は長そうだけど面白ぇ。先ずは太く長くを目指してみるか)
肉体に飽和魔力量があると感じたレイはガンガン魔力を供給し、魔力路を広げながら延ばしていく。魔力路が限界まで広がり延びきった状態で初めて、自身の強化現界が判るに違いないとの考えだ。
「もぅ嫌になるよ…」
「感知を続けてるの?」
「基礎魔力量が膨大だから、魔力路がどんどん分岐して延びてるみたい。体外への漏出魔力がないのは、体躯の大きさと構造を正確に知ってるからだと思う」
ハーフリングであるシャシィが純血エルフの魔術師に師事できたのは、人生最大の僥倖と言える。
師の口癖は『目先の技巧よりも己自身を深く理解しなさい』であった。
ついさっきまでは精神的な意味合いだと思っていたが、それだけではなかったのだと今更ながらに理解できてしまう。
「不満そうね?」
「すごく不満だよ。あたしの二〇年は何だったのかなって」
「その年齢で四等級になったシィは凄いと思うけど?」
「種族寿命が短いって言いたいワケ?」
「唇を尖らせないの。寿命だってまだ半分にも満たないじゃない。三等級になって優秀な子を産むんでしょう?」
ハーフリングは六〇年も生きればご長寿と言われる短命種族だ。
体が小さく獣人ほど俊敏でもないため、魔術適性がない限りハンターやシーカーを志す気になれない種族と言い換えてもいい。
現在二二歳のシャシィは、どんなに遅くとも三〇歳までに子を産みたいと考えている。ハーフリングは三〇歳前後が出産限界年齢と云われているため、シャシィは二〇歳になった頃から焦り始めた。そんな彼女が三等級を目指す理由は、過去にハーフリングが至った最高等級だからだ。
この世界には戦士・魔術師・商人・職人・学術者の五大ギルドが古くから存在する。一方で、メイズ探索を専門とするシーカーを管理するシーカーギルドは比較的に新しく二〇〇年程前だ。シーカーとハンターがライセンス制になったのも二〇〇年前であり、シーカーギルドはメイズ都市にしかない。ハンターは戦闘系ギルドの所管だが、魔獣領域最寄りの都市にしか専任職員はいないという。
五大ギルドは、登録者を一〇等級から一等級の一〇段階で格付けする。
但し、シーカーギルドには戦闘系、つまり、戦士もしくは魔術師ギルドの五等級以上でなければシーカー認定試験を受けられないとの規定がある。
また、戦士ギルドと魔術師ギルドが所管するハンター認定試験も同様で、こちらは六等級以上という規定がある。
これはメイズや魔獣領域での死亡者数が異常に多いため、戦闘系ギルドが最低限の戦闘力を求める趣旨で設けた規定だ。
世には冒険者もいるのだが、冒険者はどこの馬の骨とも知れない日雇い労働者、もしくは便利屋といった扱いでしかない。よって冒険者の登録と依頼管理は、五大ギルドの下部組織である冒険者協会が行っている。
「王宮より気楽だけど流石に飽きてきたわ」
「レイ様はずっと楽しそうだけどね」
「有り得ない光景なのに、見慣れるって怖いわね」
「よくあんな動きを思いつくよね。戦ってる相手が幻視できちゃう」
「命を刈り取ったことがないだけで戦闘経験は豊富なのよ」
「でもそこ問題だよね。レイ様って粗野なふりして優しいからさ」
「そうね」
ほぼほぼ予定どおり且つ順調な旅路は、十七日目を迎えていた。
レイは日課のトレーニングに魔力運用を取り入れ、お前はどこの超人だと問い詰めたくなる挙動と機動力を見せている。
高速前宙での踵落としを放った逆足でトンと地を蹴り、体を捻りながら屈身側宙へ移行しつつ後ろ回し蹴りを放つ。そのまま腰の回転でトルネードの如く着地すると、前蹴りから連携する拳撃の嵐。たまにダッキングや踏み込みからのサイドステップ、肩の動きなどでフェイントを入れるという芸の細かさだ。
筋トレを始めたかと思えばコサックダンスで馬車と並走したり、仕舞いにはプッシュアップでぴょんぴょん前進していくという変態っぷりである。
(負荷が足りなくなってきた。手足のウェイトが欲しいぜ。つーか、いい加減に風呂入って洗濯もしてぇなぁ)
紺色基調に青と白のラインが入ったトレーニングウェアなので、ぱっと見で汚れが目立つ訳ではない。が、汗臭いのは否定の余地がない。
召喚された日は私服で会場入りしたので、着替えがない訳でもない。
しかし、風呂にも入らず着替えるなんて選択肢がないのもまた事実だ。
「なあ、どこかで体と服を洗いたいんだけどムリ?」
「シィがいるから無理じゃないわよ?」
「え、マジで?」
「あたし光系統と水系統が使えるもん」
「それを早く言ってくれ!」
「発つ前に伝えたでしょう? シィは【浄化】も【放水】も使えるって」
「ん? あー、そういう意味だったのか」
常識のギャップである。
レイにとっての【浄化】は「悪霊退散!」のイメージで、道中にアンデッド的な化け物でも出るのかなぁくらいの認識だった。【放水】と聞いて思い浮かべたのは消防車だ。洗濯と洗体に繋がろうはずもない。
光系統と水系統の魔術師はメイズ潜行に欠かせない。
光系統の【治癒】については言わずもがなであり、【浄化】は既知の毒物に対する解毒効果もある。アンデッドやスピリットに対しては【浄化】ではなく【浄光】を使う。
水系統は飲料水の持ち込みが不要になるし、如何なシーカーと雖もたまには体を洗いたいと思うのが人情である。
街道を逸れて丘影に馬車を停めると、明らかに嬉々としたシャシィが
「全部脱いで♪」
と宣った。レイはジトっとした目を向けつつも、馬車に背を向け全裸になる。
「すごっ! お尻が逆三角形だよ!?」
「ここまでくると芸術的ね」
「早く水出して欲しいんだが?」
ムエタイに憧れていただけあって、体脂肪を削ぎ落したナックモエが如き肉体。
シャシィとミレアは、レイの催促を無視して暫し鑑賞する。
レイは心中で「これが晒しか…」と全裸で半眼になるのであった。