09:感覚で生きる男の強み
「レイもジン君もすっごく楽しそうだけど、何があったの? っていうか、何でシャシィさんを小脇に抱えてるの?」
おちょくる気全開で立ち止まっては逃げを繰り返した結果、スタミナが枯渇したシャシィは『護衛なの…にぃ…』と、殉職刑事の如く呟きながらぶっ倒れた。
今夜か明日にはバリバリ筋肉痛だろう。
「魔法使いも体を鍛えなきゃダメっていうサンプルケースだな」
「実に有意義な検証だった」
「いったい何したの…」
虚ろな目でぐったりしているシャシィの頬をシオはツンツンしているが、〝例の悪癖〟を披露したのだろうと察したミレアは眉間を摘み頭を振っている。
魔術の資質は受け継がれるとの実しやかな伝承があるため、純魔術師であるシャシィは優秀な子種を求める傾向にある。
実際、この世界には血統魔術という、系統外魔術を行使する魔術師が存在する。
「因みにさ、俺とジンの下着なんて買ってないよな?」
「オジサン用っぽい下着は売ってたけどイヤでしょ?」
「「嫌だな」」
「だよね。生地を買ったから作ってあげるよ。ゴムじゃなくて紐になるけど」
ミシンが欲しいなぁと呟くユアの荷物を手分けして持ち、『ユア様の乙女力が強い…』と息も絶え絶えに漏らすシャシィの後頭部を一瞥し大通りを歩く。
レイとジンは焼き鳥っぽい串焼きを屋台で買ってもらい、ユアが右手でレイに、左手でジンに食べさせる。
「許可を得られれば明日にでもエルフの森へ向けて発つけどいいかしら? 人員はシィと私とレイ様の三人ね」
「俺だけ?」
「現地での滞在日数が判らないし、片道二十日くらいかかるのよ」
「俺とユアは武器製作の打ち合わせがあるからな」
「なーる」
「ジン様とユア様には王家を通して教会への交渉をお願いしたいわ」
「構わないが、俺たちの召喚は秘匿事項なんだろ?」
「教会…というか、エルメニアは察知しているわ。聖皇宮にはレリックの発動か召喚を感知するレリックがあるという噂よ。その点は王家も織り込み済み」
エルメニア聖皇国の建国はアンセストよりも早く、エルメニア聖教の元となったエルマ神教の発足は、数万年前の古代文明まで遡ると云われている。
初代聖皇が被召喚者であったとの言い伝えもあり、宗教団体としては紛うことなく世界最大。世界人口の八割超を信徒とする教会の組織力は大国を遥かに凌駕する。逆らって得をする事など有り得ないのがエルメニア聖教会だ。
王宮へ帰着してフィオに相談すると、彼女は二つ返事でエルフの森訪問を了承した。教会への交渉にしても、数日内にはアンセストを教区とする司教が拝謁を求めてくるだろうと。教会は遠距離通信手段まで持っているようだ。
明けて翌朝――。
「んじゃ行ってくる」
「ちゃんと帰って来てね?」
「心配そうな顔すんなって。サクッと行ってちゃちゃっと帰って来っから」
「うん、待ってる」
ユアの頭にポンポンと手を当てて言うと、彼女はレイの手が触れた場所をさも大切そうに両手で覆った。
「魔装の方は任せてくれ」
「おう、良さげならジンとユアも魔装にしてさ、異世界戦隊ごっことかやろうぜ」
「ごっこは独りでやれ。ま、あの派手派手しい装備より魔装がいいけどな」
「それな。勇者の後に〝かっこ笑い〟が付く勢いだわ」
見送りに出て来たフィオと王太子の苦笑など気にせず、二人は言いたい放題である。あわあわするユアは、今後も度々あわあわさせられることだろう。
「王太子殿下、王女殿下、明日にはクランから補充人員が参ります。何卒よろしくお願い申し上げます」
「うむ、レイ殿を頼むぞ。決して気を抜くな」
「畏まりました。肝に銘じます」
今回はハンターを装うべく、側面を鉄板で補強した板屋根の車体に、些か老いた軍馬が二頭という仕立てである。ゴーレム馬車なら夜通し走れるため十日程で着くのだが、高価なゴーレムが牽く馬車は野盗に狙われるので致し方ない。
軽く手を挙げるジンと、大きく手を振るユアに見送られてレイが旅立った。
レイは余りにも酷い乗り心地に「ケツが割れる!」を連呼していたが、道行きは順調そのもの。それも当然といえば当然で、王都から南へ延びる街道沿いにはメイズ都市がある。この辺で強盗でも働いてシーカーに出くわそうものなら、野盗団など瞬く間に拘束されて売り払われる。いわゆる犯罪奴隷というやつだ。
「馬車も昨日が初めてだったのよね?」
「おう」
「上手くなるの早いね。御者で食べていけるんじゃない?」
「こういうのは何となく判るんだ。馬の気持ちみたいなの」
お前は動物王国のご主人かとツッコミたくなる台詞だが、子供の頃から動物を慣らすのが上手いのは事実である。
数時間おきに止まって馬に水を飲ませたり、馬車と競争したりする内に太陽が天頂に達した。
長めの休憩を取って馬を十分に休ませる間、宮廷料理人が作ってくれたサンドイッチ的な何かと、果汁を水で割ったドリンクで昼食にする。
「果実水に氷入れてあげるよ」
「おー、今日のシィは便利だな。昨日は危険だったけど。そういや筋肉痛は?」
「あたしじゃなくて魔術が便利なの! ちゃんと全身痛いよ!」
「ご愁傷様だし言い方間違えたな。便利な魔法を使えるシィはエライ!」
「よろしい! あー大声出すだけでも全身が痛いよ…」
「シィが男性とこんなに早く打ち解けるなんて珍しいわね」
「そうなん?」
「ほら、あたしって小さくて可愛いでしょ? だから危ない目に遭い易いの」
「なるほどなぁ、イイ笑顔で寄って来て襲う的なヤツか」
「あのさ、自分で可愛い言うなとかないの? 普通に納得されると恥ずかしい!」
「じゃあ言うなよ」
「そうだけど!」
「ふふっ、レイ様が相手だとシィも形なしね」
釈然としない風のシィを御者台に放り投げ、レイはまた馬車と並走し始めた。
ミレアとシャシィは呆れた目を向けているが、レイは妙に真剣な顔つきだ。
そのまま二時間ほど経った頃、シャシィがハッとしてレイに目を向けた。
「どうしたの?」
「レイ様が魔力を循環させてる、と思う」
「えぇっ!?」
相手に触れなければ魔力感知が出来ないミレアがレイに目を向けると、レイは気持ち悪い顔で『ぐふふふふ…』と笑いながら走っている。
ミレアはスバっと天を仰いで太陽の位置を確認し、今更ながらに結構な時間が経っていると気づいた。
幾ら老いた軍馬とはいえ、血統も鍛え方もその辺の馬とは比べ物にならない。
ずっと並足ではあったが、時速一〇キロほどで二時間ならば二〇キロ。
それなのに、レイは汗こそかいているが疲れた様子は微塵もない。
「違う……循環しながら浸透させてるのかも。何で今まで気づかなかったのか不思議だったけど、全く魔力が漏れてないからだよ。魔力強度も異常に高そう…」
「自力で覚醒させた上に身体強化までしている、ということ?」
「そうなるよね。朝からずっとやってたのかも」
「休息には少し早いけど確認しておくべきじゃない?」
「そ、そうだね。停めるよ」
シャシィは手綱を絞って馬の行き足を止めるが、レイは魔力制御に没頭しているため気づかず走り去って行く。
「レイ様!」
「レイ様止まって! レイ様ってばーーーっ!」
「んあっ!? あぁなんだ、止まってたのか」
ピタッと足を止めたレイは、ふざけてるのか素なのか、笑顔の高速バック走で馬車の横へ戻って来た。
「レイ様は、自分が身体強化をしてる自覚があるのかしら?」
「チッ、バレたか。後で驚かそうと思ったのに」
「物凄く驚いてるよ! どうして出来るの!?」
「ミレアと模擬戦した時に体感したのが切っ掛けで、昨日シィが魔力を使った時に雰囲気を掴んで夜に少し練習した。んで、さっき氷出してくれた時に魔力の流れ方を確認して分かった。そんな感じ」
「私の修行は何だったのかしら。強化まで三年もかかったのに…」
「レイ様は異常だよ。本当に人間なの? 耳と尻尾隠してない?」
「誰が獣人だ。あのな、魔力を巡らせる作業ってウォームアップに似てんだよ」
「「うぉーむあっぷ?」」
ウォームアップとは体温と筋温を高め、筋への血流量を増やす作業だ。
それによって筋肉が柔らかくなり、素早く、且つ、滑らかに筋繊維を収縮させることが可能になる。関節の可動域も広がり全身の柔軟性が高まるため、アスリートや格闘家はウォームアップでその日をコンディションを推し量る。
ウォームアップにも熟練度があり、自分の体温が何度くらいか判ったり、血流量の上昇を体感できるようにもなる。魔力供給口が臍下丹田に在ると判っていて、魔力の循環と浸透がウォームアップに似ているとなれば、レイが身体強化を会得するのは時間の問題であったと言える。
余談だが、世の中には静的ストレッチングから始める人も多い。
しかし筋温が低い状態で高い負荷をかけると、逆にダメージを入れる場合もあるので要注意だ。ラジオ体操のような動的ストレッチングがベターである。
「それって、魔量供給量の微妙な調節も既に出来るってことだよね?」
「さあ? 少しずつ増やして限界を探ってる最中だった。ついでだから訊きたいんだけど、魔力が流れる道…つーか管ってさ、太さを調節できる感じ?」
「そんなことまで感知してるんだ…」
「驚異的ね。出来るわよ。魔力路は修練次第で枝分かれして延伸もするわ」
「おぅスゲー。ってことは、訓練を積めば強化の上限も上がるだろな」
「レイ様のどこが愚者なのかしら?」
「子宮が疼くよ。ユア様が羨ましい」
「おま、女の子がそゆこと言うなって」
「レイ様を襲っちゃ駄目よ?」
「殴られそうだからしないよ。たぶん?」
シャシィの不穏な発言にミレアは「やれやれ」と嘆息し、レイは半眼で「もし来たら腹パン入れてやる」と鬼の誓いを立てるのであった。