姉御と魔王
宿の一室。
ベッドが3つ並び、そのうち左のベッドではパメラが静かに眠っている。
隣のベッドにはグローシェの荷物が無造作に置かれ、残る右のベッドは空のままだ。そのベッドの主は、現在どこかへ遊びに出かけたきり戻っていない。
パメラとグローシェのベッドの間に桶が置かれており、そこに入っているネクタへグローシェはゆっくり水をかける。
ふるふると満足そうに揺れるスライムに微笑んで、持っていた水差しを近くのテーブルに置く。
値段相応の質素な部屋ではあるが居心地は良い。ただベッドはグローシェの背丈には合っておらずどうあがいても足が外へ放り出されるが。
ティトのいないベッドを一瞥して肩を竦めた後、グローシェは部屋の明かりを落とした。完全に暗くなったわけではなく、窓から入ってくるぼんやりとした光がわずかながらに輪郭を浮かび上がらせている。
彼女は自分のベッドに腰掛け、胸元を覆うコルセット――ビスチェの紐を緩めていった。脱ぎ終わると椅子の背にひっかける。
息をひとつ吐き、ベッドに入ろうとした時だ。
「姉御ちゃんさあ、せめてなにか羽織っていてほしいんだけど」
夜の闇に交じってクレハの苦い声が聞こえた。
そちらに目をやるとパメラの眠るベッドの足元部分にぼんやりとした姿が見える。
「……オークはもともと上半身に何も着けない。知らなかったか?」
「知ってはいるけど、目のやりどころに困るんだよね。暗くても見えちゃうからさ、僕の目」
「魔王のくせにおぼこいな」
そう言って笑ってみせると、クレハは分かりやすく機嫌を悪くした。
ひとにはいくらでも文句やおちょくった事を言うくせに、いざ自分がからかわれると気に入らないらしい。ずいぶんと長く生きているようだが、精神面は幼いようにグローシェは感じていた。
「痛くないの、それ」
「なにが? ああ、あんたにぶん投げられて出来た怪我はお嬢に治してもらったから大丈夫だ」
「そんなことじゃなくて」
「そんなことで済まさないでもらいたいが……」
喋りながら、珍しいことだなと内心驚く。
クレハは基本的に自分から会話を振らない。誰かが話している横からいきなり入り込んで皮肉か嘲笑してくるという――下手くそなコミュニケーションの取り方をする。
グローシェもあまり話すのが得意ではないので、現在コミュニケーションが下手なふたりが向き合っているということになるわけだが。
「背中の傷のことだよ」
「……」
「そのコルセットみたいな服を着ていてもちょっと隠しきれてはいないけど。ずいぶん惨たらしい傷だよね」
「……掲示板を見ていたなら、ある程度は傷ができた理由を分かっているんだろう?」
「家族殺しの大罪人へ行われた鞭打ちでしょ? もちろん存じ上げているとも」
いちいち癪に障る言い方である。
ただ、事実なのでグローシェは文句を飲み込んだ。
「しかし容赦がないよねえ。金属片を埋め込んだ鞭でも使ったのかな?」
「よく分かったな」
「長く生きていれば分かるよ。恨まなかったの?」
「誰を?」
「同郷のひとたちのこと」
「いや、当然のことだろう……。やらかしたことがデカすぎるし、村の秩序を守るためにはこういう見せしめも大事だ」
本当はみんな、懲罰を行いたくなかった。
グローシェも分かっていた。
だけどさせてしまった。そうしなければならなかった。
「あのさあ、僕、自己犠牲っていうのが嫌いなんだよね」
「は?」
突拍子もない台詞。いつの間にか話の雰囲気が変わっていた。視界の端でネクタがクレハに威嚇している。
返答に詰まったグローシェをわずかに光る赤目でしばし見つめたのち、クレハは肩をすくめて言った。
「正直、君がそこまでの罰を受けるような罪を犯す勇気なんてないと思うんだよ。どう?」
「買いかぶりすぎだろ。……いや、バカにしすぎだろ」
「だからさ、」
これは会話ではなく発表だとグローシェは気づいた。
聴衆の反応を見ながら淡々と話しをしているだけ。
理解されようとする気もない、虚しい押し付け。
「誰かの重罪を姉御ちゃんが代わりに負ったんじゃないかなと思って。その誰かさんは今も生きてるのか死んでいるのか知らないけど」
「……」
「殺害のきっかけはひととの関係性かな。諍いの末に手をかけた誰かさん、それを見た君、なんらかの責任を感じて君が悪者となり自白した。こんなところ?」
――姉が。姉の罪が、暴かれる。
知らず手が震える。
言わなければ分からない。ティトにも話したことはない。だから大丈夫なはず。
そもそもバレたところでなんだというのか。わざわざ故郷に言いに行くこともしないだろう。そんな徒労をかけるべき事実ではない。
だけど、これは誰にも知られたくない事柄だ。
「……何が言いたい……」
「殺気出さないで。聖女ちゃん起こしちゃうでしょ」
まるで常識人のような振る舞いでクレハは言う。
事の発端はお前が色々言うからだろうとグローシェは思う。
当のパメラは深く眠っているのか目覚める気配はない。
「というのもね、姉御ちゃんは他者同士の関係性を気にしすぎ」
「は?」
「気づいていない? 僕と僧侶くんの小競り合いのとき、君はずいぶんと気に病んだ顔をしているしすぐ止めに入るよね」
「……」
「どうにか仲を取り持とうとしているのは見て分かるよ。仲良くしてほしいんだね。仲間だから。そうだね、一緒に平和に旅をしたいよね」
うんうんと頷いたあと、動きを止めてゆっくりと口端を歪める。
「甘すぎ。僕、君らのことマジで殺そうとしたんだけど? そんなのと『仲良くなれ』はどうかと思うよ」
「お嬢に封印されてるじゃないか……」
「だから何? それで僧侶くんの溜飲は下がるのか? 彼ああみえて引きずるタイプだよ」
鼻で笑ったあとにふと真面目な口調になる。
「僕らに共通しているのは『聖女ちゃんの旅路に同行する』ただそれだけ。大義もなにもない。聖女ちゃんがいない場所では個々の関係性が必要になる」
「だから、アタシは」
「だから、僧侶くんは」
クレハは言葉を遮る。
「僕との距離を図っている。僕自身もね。互いに越えてはならない線を試しながら言い合ってるわけだ」
「……。じゃあ……、大丈夫なのか?」
「うん」
「殺し合わないんだな?」
「僕はできないし、彼はしないよ。友人にはならないけど隣人ぐらいにはなれる」
いつの間にかネクタがグローシェの膝に乗り威嚇を繰り返している。
グローシェはなだめるようにモチモチと撫でた。
「そんなに根詰めて中立にいなくてもいいよ。君が味方になりたいやつの味方になればいい」
「そうすると……魔王の味方がいなくなるぞ」
クレハは軽く吹き出し、グローシェも薄く笑った。
「たまには味方になってよ」
「善処する」
□
あるオークの村。
その日、頃合いだろうと村の男たちが集まり、埋められた同胞の骨を掘り起こしていた。
オークは死した後、身体は一度土に埋められる。主神ジンネボーグに肉を還すという考え方からだ。そして一定の期間が経つと掘り起こし、ひとつの場所に集められ鎮められる。
丁寧に骨を入れ物に収めている中で、ひとりが「これは……」と声を漏らした。
「見ろよ。イデーリャの骨だけきれいに切られてる」
「ああ……」
「見事なもんだ」
他の骨――両親や恋人の骨は何度も打ったように砕けていたが、一家の長女、イデーリャの骨は細かくされてはいるがきれいなものだった。
このような芸当ができるのは、この村でも数少ない技量を持ったものだけだ。
それは殺害者として村を去った、次女グローシェも含まれている。
「なあ、やっぱりグローシェは……」
「……あいつは自分で全部殺ったって言ってただろ」
「……」
「聞いてやるしかなかった、あの剣幕じゃ」
「あの泣き虫がなぁ」
それから骨の入った容れ物に封をしようとしたときだった。
黙って見守っていた長が懐から粗末な布に包まれた一対の牙を取り出して容れ物の一番上に乗せる。グローシェの牙だ。通常、罪人の牙は村から離れた崖から投げられる決まりであった。
周囲はざわめいたが、無言の長の圧に次第に静かになり、粛々と儀式は進行される。
そこから先、誰もグローシェの名を出す者はいない。




