暗黒竜と仲良くなれるかな!? 後
暗黒竜こと黒曜バーニングドラゴンラブリーブリリアントスィーティー――スーは、暖かで堅牢な檻の崩壊とともに目覚めた。
身体が痛い。苦しい。気持ち悪い。内側から激しく傷つけられているようだ。
だが、放してはいけない。約束をしたから。そして自分も、この役割を全うするために永い眠りについた。
ぼんやりとした寝起きの頭でスーはひたすらに苦痛を抑え込もうとする。だが、抵抗は次第に激しくなり――『それ』はずるりとスーの身体から逃げ出した。
苦痛は消えた。だが、それはいけないことだ。苦痛を和らげるために深い深い眠りについていたから。
逃がしてはならなかった。
追いかけなければ。
なにを?
ご主人に伝えないと。
さみしい。
ここはどこだ?
眠くてたまらない。
寝ぼけた頭では状況を理解しきれない。
自分が千年以上封印されていたこともまだ知らない。
眠気が晴れずぐずりながらスーは飛ぶ。大好きなひとたちを呼ぶが返答は返ってこない。
どれくらいの間そうしていたのか。
『こんばんは〜!』
元気な挨拶が遠くから聞こえた。
『今ちょっといいかな!? こっち来てほしいな! 怖くないよ〜!!』
ひとだ。ひとが竜の鳴き声を真似し、魔法により増幅した声を出している。
大好きなひとたちではないが、何か知っているかもしれない。スーは声の方へ向かうことにした。
軽々と王城の敷地を抜ける。下の方から小石を投げられたような感触がしたが、攻撃だとしても取るに足らないのでスーは無視した。
眼下の街は、以前よりもぎっしりと建物が連なっている。
時計台のほうでちらちらと動くものがある。ひとだ。手を大きく振っている。満面の笑みの知らないひとというのは、なんだか怖い。
『よく来てくれたね! ありがとう! 感動して涙出てきた……』
竜の言語を使ってヒトは話す。
実のところヒトの言葉をスーは理解できているので真似してもらう必要はない。だがあまり自分について開示する必要もないと考え、スーは教えなかった。ちょっと気持ち悪かったし。
『誰?』
『ぼくはこの街に住んでるただのヒト族。きみに会いたくてさ、へへっ、まさか来てくれるなんていい子だね、暗黒竜チャンかわいいネ……ッ』
封印から目覚めたての暗黒竜に会いに来た!?
スーは驚愕とともに恐怖を覚える。あとだいぶ気持ち悪い類のヒトだ。そういうのと遭遇したときは逃げなさいと大切なひとたちに言われていたのを思い出す。
『そうだ、お名前を教えてもらいたいな!』
『やだ……』
『ああ~知らない人に名前教えないの偉いね! あ、匂い嗅ぐのはいい? なんちゃって! うそうそ! まずはお友達からはじめようね、んふふ』
会話にならない。
そっと後退するスーに慌てて相手は言う。
『待って! 悪ふざけしちゃったのは謝るよ! きみ、こっからどこ行くの?』
『大切なひと、封印、されてるの。迎え、行くの』
相手は考えるように頬に手をやった。
『……もしかして魔王のこと? 彼は今、魔王城にいないよ。動く国へ向かっているはず』
『亀の、国?』
『そう。天才! すごい! かわいいねえ~。ちょっと舐めていい?』
頬に手を当ててうっとりとこちらを見てくる相手が非常に怖かった。
スーはこれ以上の対話は無理だと判断し、というかもしかしたら悪夢の延長だったのだろうと思いなおす。
まだ求愛やらなにやら騒ぐヒトを完全に無視し、スーはゆるゆると国の外を目指した。
空飛ぶ暗黒竜の前では城壁など意味をなさない。
苦も無くパルメリア王国を出て、スーは夜闇の中に消えていった。
〇
「あー、暗黒竜行っちゃう暗黒竜行っちゃう」
「スイセン」
残念がる同期を座らせ、アコナは肩を掴む。
スイセンは締りのない表情で余韻に浸っていた。
「可愛かったよね〜」
「そ、そうか!?」
全長5メートルほどの小さな個体とはいえ、暗黒竜を前に気絶しなかった自分を褒めてやりたいとさえアコナは思った。
「それより、なに話していた!?」
「動く国に魔王が行ったってことを伝えたよ」
「……教えて良かったやつ?」
「分からない。でも、行き場所がないよりはいいと思って」
スイセンの真面目な表情にアコナは何も言えなくなる。
酒場でそのような顔をすれば瞬く間に「あちらのお客様からです」とアルコールが積み上げられるだろう。
「他には?」
「へへ、へへへ、聞いちゃう? お友達になりましょうって言った!」
若干涎が出ていた。
仮想のアルコールがすべて片付けられた。
「結果は?」
「スルーだった!」
「だろうねえ」
「恥ずかしかったのカナ!?」
「怖かったんだと思う……」
暗黒竜がいない空に興味を失ったのかスイセンはさっさと中へ入っていく。このあたり研究者だよなとアコナは自分のことを棚に上げて思う。
できるだけ下を見ないようにしながらアコナたちは梯子を降りていく。
誰もいないと勝手に思い込んでしまったのが、彼らの失敗だった。
「あ」
「え」
時計台管理室にいつの間にか客人がふたり立っていたのだ。黒いローブを被っており、わずかに顔がのぞいている。どちらも女だ。
あちらも仰天した様子だったがアコナとスイセンも驚いた。さらに言えば、驚愕した勢いで特に何もない床の上で、動いてもいないのに足を捻ってアコナは転倒した。
「いったあ……!」
「折れてはなさそうだから大丈夫だよ」
「痛い! バカ!」
無造作に足首を掴まれ、アコナはスイセンの頭を殴る。殴ったこぶしも痛んだ。
「……大丈夫ですか?」
客人のうち、長身のほうが声をかけてきた。若い女の声だ。
引き留めようとするもうひとりに「大丈夫」と囁き、近寄ってくる。
そっとアコナの足首に触れると徐々に熱が引き、痛みが薄れていった。治癒魔法だ。
貴族でもめったにお目にかかれない魔法をいとも簡単にこの客人は使用したのだ。
「ありがとうございます。……あなたは、いったい?」
客人は首を横に振った。答えたくないということだろう。
フードから覗くは、炎のような橙の瞳。
ひとの容姿に、世間の噂にもう少し関心のある者であれば彼女の正体を看破できたはずだ。しかしアコナたちは世間とは少しずれた場所で己の興味関心を満たしていたので目の前の彼女が誰なのか分からなかった。
それでよかったのだ。
下手に彼女の名前を呼んでいれば、後ろにいるもうひとりの客人が――顔のただれた女が、隠し持っているナイフで命を奪っていただろうから。
互いの出方を探り合っていると、外で憲兵たちが靴底を石畳に叩きつけながら歩いていく音がわずかに聞こえる。
スイセンは「あっ」と口を覆った。
「まずい、施錠壊していたのバレるかも」
「やっぱあれきみかあ……」
「大丈夫です」
橙の瞳の女は言う。
「一時的に『問題なく閉ざされているように』見える魔法をかけています。朝までは持つでしょう」
「それは助かりました。……会話の流れとして聞きますが、何の用でこちらにいらっしゃったのですか?」
おおかた憲兵の目から逃れるためだとは思うが。そうでなければ女ふたりとはいえ鍵の壊れた場所に飛び込んだりはしない。誰がどんな目的でいるかも不明な危険な場所なのだから。
女は目を伏せた。代わりに顔のただれた女が口を開く。
「あなたがたも、施錠された鍵をわざわざ壊してこちらで何を?」
「暗黒竜を見に」
「はい?」
「暗黒竜を見に。ついでに喋るために。特等席でしたよ」
スイセンの熱っぽい言い方に顔のただれた女は黙った。これ以上触れるとめんどうだと察したのだろう。
アコナはさすがに引いたかと思ったが、橙の瞳の女は違ったようだ。
「暗黒竜をどう説得して、国を守ったのですか?」
「説得? いいえ、あの子は最初からそんなつもりはありませんでしたよ。誰か大切なひとを探して、行ってしまいました」
「なにも破壊せずに? 暗黒竜にとってこの国は亡ぼすものではないのですか?」
スイセンは首をかしげている。魔獣の気持ちは分かるが、ひとの気持ちには若干乏しいのだ。
代わりにアコナが聞く。
「国を破壊したかったのはお嬢さんなのでは? だから暗黒竜に己の願いを投影しようとしたけれどそうはならなくて困惑しているのですね?」
アコナも大概ひとの気持ちが分からなかった。
顔のただれた女が前に出ようとするのを留めて、橙の瞳の女は苦笑いした。
「……そうかもしれません」
「気休めですが、暗黒竜に頼らずともそのうち亡びるとは思いますよ。この国」
国を守る存在の聖女はここにはいない。遠いところでユニコーンに襲われている。
意味が分からないが事実なのだから仕方がない。
「なんといっても暗黒竜の封印が解けるぐらいですから、他の守りも――……」
口にして、改めて思う。
この国の現状がだいぶ不味いことに改めで気づいてしまった。
聖女に依存していたあらゆる結界や魔法が綻びかけていることになる。瓦解まであとわずかだろう。
「地下はまだ、守られていますよ」
ぼそりと橙の瞳の女は呟いた。
それから下を覗き見る。
「憲兵は遠ざかったようです。私たちはもうしばらくここにいますが、あなたがたは?」
言外にお前らは出ていけと言われている。
後から来ておきながらずいぶんな言いようだ。だが、アコナたちとしてもそろそろ研究室の様子が気になるので戻る頃合いであった。
「治癒、ありがとうございました。――このことは、秘密にしておきますね」
橙の瞳の女は黙って小さく手を振った。
アコナとスイセンは研究室に戻るなりこっぴどく叱られた。
見た目は美女だが中身は30代の男だと研究室の者たちは分かっているので色仕掛けなどは通用しない。初期のころに乱用しまくって効かなくなったともいう。
暗黒竜に会ったことはその後も何度も話したが――あのフードの女たちについてはついに口にすることはなかった。
まわりまわってアラクネット民を救うことになるとは、この時は知る由もなかった。
というより、そうなる頃にはアコナもスイセンも彼女のことをすっかり忘れているのだが。




