暗黒竜と仲良くなれるかな!? 前
アコナは夜の街を走っていた。
成人男性用の外套を頭からすっぽりと被っているが、その下から除くかんばせは誰が見ても美しい女である。
きらめく金髪、大きく丸い緑色の目、バラのつぼみのような唇。さらに今は頬が赤く染まり額に汗がにじんでいることもあり、非常になまめかしい雰囲気であった。
通常ならばならず者に目を付けられるか、親切な通行人に早く帰宅するよう説教されていただろう。
しかし、街は人影ひとつ落ちていない。
理由は空にある。
――暗黒竜が現れたからだ。
強い揺れと共に姿を現した暗黒竜は、いまだに王都の上空を飛びながらときおり鳴き声を上げている。
魔獣討伐部隊は当然王都も備えているが、あそこまで巨大な――しかも狂暴と名高い暗黒竜を前にどれほど動けるというのか。宮廷魔法使いに戦闘力を持つ者はほとんどいないし、居たとしても勅命でない限り前線に出たがらないだろう。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
汗をぬぐい、アコナは近くの壁にもたれる。
もともと体力はないし、走ることなど実生活の中でまったくない。早くも足が痛みを訴えてきている。
それでもアコナは戻るわけにはいかなかった。この非常事態時に外へ飛び出したバカタレを回収しなければいけない。
スイセン。アコナの学生時代からの友人であり、他研究室であるが同期である。奇行が目立つ互いを互いにお守りをしているような関係だ。
当初は仕事場の屋上に行ったのだろうと高をくくっていたが、いざ後輩たちの話を聞くと気づかない間に脱走をしていたらしい。
さらにはバカタレの机の上には周辺地図が広げられており、一番高い建物に向かったことも判明した。自分の研究室の室長への説明は後輩に任せ、アコナは単身追いかけに行っている。
ひとりのほうが身軽というのもあるが、万が一暗黒竜が暴れた際に犠牲になるのはアコナとスイセンだけで済むという冷静な判断も含まれていた。
「異常事態にウキウキするのは分かるけど、ボクたちいい年なんだからね……」
ある程度息を整え、アコナは再び走り出す。
目的の場は時計台だ。このあたりでは一番高い。定期的な見回りと補修をすればいいので常駐する者はいない。
時計台の鍵はすでに先に来た侵入者にこじ開けられ、職務を全うできなかった無念さすら感じる。半開きの木の戸を開けるとひとりしか通れない細さのらせん階段が現れた。
「はー……横移動の次は縦移動か、最悪……」
文句を言いながら頬を叩き、気合を入れる。魔力を注いで使うランプの明かりもつけた。
時々、というより5段に1回は休みながらアコナは上を目指す。汗は滴り落ち、壁についている手は黒ずんでいく。
ようやく鐘のあるところまでついた。
しかし誰もいない。肩で息をしながらアコナはきょろきょろと辺りを見回した。
「あれ? アコナも来たの?」
のんきな声が降ってきた。
見上げると天井に四角く開いた穴から女が顔を出している。栗色のウェーブがかった髪を適当にまとめ、茶色の目を不思議そうに瞬かせていた。スイセンだ。
「きみを追いかけてきたの!」
「あ、そう? ごめんね」
「さっさと降りてきて。帰るよ」
「あともうちょっとしたら帰るから先に行ってて」
それだけ言うとスイセンは引っ込んでしまった。
「おいこら! スイセン! ふざけないで! 大人しく降りてきなさい!」
返事はない。
口端を痙攣させながらアコナは梯子を掴む。恐怖心がないわけではなかったが、怒りのほうが勝った。
がつがつと上がっていき頭を出す。ほんのわずかな空間しかなく、よくもまあこんなところにいれるものだと感心してしまう。
スイレンはアコナが来ることをさも当然のように受け入れ、座るスペースを空けた。ここで帰る帰らないの取っ組み合いはできないのでアコナは大人しく座る。
「ほら見てアコナ。暗黒竜だよ」
「見れば分かるよ。むしろそれ以外であってほしいと思っていたよ、ボクは」
そばかすの散る顔をだらしなく緩めながらスイレンは暗黒竜を眺めている。
王城の周りを旋回する暗黒竜が地上からよりもはっきりと見えた。
「今、魔法の共感覚持ちのひとたちにはどう感じているんだろうねえ……」
「さすがにこの状況で被験者を呼び出すとかやめなよ?」
「きみよりは常識あるからしないよ?」
アコナ・イトム。魔法感覚学の研究者。
スイレン・ダラ・ツゥール。魔獣言語学の研究者。
どちらも美女のすがたであるが、中身は30代後半の男である。
数年前、ポーション研究室に盛られた毒――試作品の影響により性別が反転し、容姿も変貌してしまった。しかも解毒剤も作っていないとのことで彼らはもう長いことこのすがたで暮らしている。
ただ、アコナとしては被験者の緊張緩和にかかる時間が男体だった頃より明らかに下がっており、スイレンは魔獣の警戒心が明らかに低くなった。外見でヤバい一面がオブラートに包まれただけであるが、それでも成果は出たということでふたりはこの状況を享受していた。
暗黒竜が鳴いた。びりびりと鼓膜を揺らす。
耳を覆いながらアコナは友人に問いかけた。
「あの子、なんて言ってるの?」
「ぐずっている感じ。眠いところを起きちゃった~みたいな」
「ああ……」
「あとはたまに……『ご主人』って繰り返している」
どうやらしっかりメモをしていたらしい。
小さなメモ帳をめくりながらスイセンは言う。
「『どこ』『さみしい』もよく出てるかな。寝ぼけているのかも」
なんらかの法則に当てはめて魔獣の言葉を聞き取り翻訳しているそうだが、アコナはさっぱり分からない。分野が違うので理解する気もない。
「魔王でも探しているのかなあ」
「かもね。あ、そういえば聖女さんたちとユニコーンどうなった?」
「姉御がぶん投げてた」
「じゃあ標本は無理かあ……」
心底残念そうだった。
研究室に持ちこまれても周りが困るだけだ。室長は胃薬を瓶丸ごと飲み下すぐらいはするかもしれない。
王城でなにかチカチカと光が見える。推測だが討伐部隊の準備が整ったのだろうとアコナは思う。さすがに長時間暗黒竜を好きにさせていたら国の威信にかかわるだろう。ただでさえ、王の葬儀が終わったばかりだというのに。
メモに何かを書き込んでいたスイレンが立ち上がった。やや斜めに傾いている足場なのでよろめき、アコナの肩に掴まる。
「なに!? 落ちるなら自分だけにしてほしいけどねえ!?」
「いや、ちょっとやりたいことがあって……」
「ボクときみの命と釣り合うもの!?」
「うん!」
屈託ない笑みを浮かべてスイレンは頷いた。
「暗黒竜とお話してみようと思って!」
ぽかんとしたあと、アコナは文句を言おうとした。だがありとあらゆる罵声が一気に喉を通り抜けようとしてつっかえてしまい、結局何も言えなかった。
スイレンがメモ用紙を破り取る。そこには魔法陣が描かれていた。魔法の扱いに慣れていないか、魔力が無いものが魔法を扱うときはこうして直接物体に描きこむことで使用することができる。
顔の前にかざして、スイレンは口を開く。
「――――!!」
咆哮。
「――――!!」
限界が来たのかメモ用紙が焼け焦げ、灰となる。
首をかしげてスイレンは呟く。
「うーん。聞こえなかったかな」
「なに言った!?」
「『ちょっと話したいことがあるからこっち来て~』って」
「バカァ!? 本当に来たらどう――」
懸念は、だいぶ早く現実のものとなった。
暗黒竜がふたりが居る時計台へ向かってくる。何かの見間違いであってほしいとアコナは何度か目をこすったが、残念ながら確実にこちらへ向かっている。
「なんてご挨拶しようかな?」
「まずは命乞いじゃないかな……」




