いつかのお茶会の席で
20年ほど前の話だ。
聖女候補たちは将来の夫となる王子と対面する機会があった。
頼りなさそうな男であった。賢くはあるが、いまいち迫力に欠ける。
周りの目を気にしていて、決断ひとつに冷や汗をかかずにはいられない。聖女候補たちが気を利かせて声をかけてもしどろもどろで、少し近寄られたぐらいで慌ててのけぞるような弱気な男。
――それが、聖女候補ラマリス・ドゥーの抱くロディット王子への印象だった。
「大丈夫なんですかね、あんなのが王になるなんて」
ある暖かな日のことだ。
作法の授業も兼ねたガゼボでのティータイム中に、ラマリスはぼつりと零した。
彼女の師匠であるエリザベートはため息まじりに彼女の頭に拳骨を落とす。
「いっつ……」
「思うのは自由だが口にするのは場所を選びなバカタレ」
ラマリスの対面に座るシュリッテはくすくすと笑っていた。
頬を膨らませながら諦めずにラマリスは同意を求めようとする。
「シュリッテだってそう思わなかった?」
「もうラマリス……。先生、音を遮断させる魔法を使ってもいいですか?」
「出来るならね」
シュリッテは立ち上がり、深呼吸をする。意識を集中させ、フォークを杖代わりに魔法陣を展開させる。
3人が居るテーブルのまわりに水色の魔法陣が浮かび上がった。見る者が見ればすばらしいと称賛をしただろう。だがエリザベートは眉間にしわを寄せた。
「甘い。4か所ほころびが出来ているよ。これじゃあ気づかない間に術が解除されて秘密の話が聞かれていましたなんてことになる」
「4か所も? ううーん……ラマリス、お願い!」
「しかたないなあ」
ナイフを軽く振るとシュリッテの展開した魔法陣のさらに外側に紫色の魔法陣が描かれた。まるで子供の落書きのようにシンプルなものだ。
しかしシュリッテは目を輝かせ、エリザベートは「及第点」と言う。
「ほころびはないが大雑把にもほどがある。宮廷じゃ魔法陣は芸術とも言われているんだ、もう少しひとに見せる努力をしな」
「はぁ!? シンプルなのが一番良くないですか? だいたい国にやとわれている魔法使いなんて理論を半分も理解していないバカばっかりですよ、そんなのに理解してもらいたいとか……あ痛ァ!」
2度目の拳骨を食らいラマリスはテーブルの下に沈んだ。
毎度のことなのでシュリッテは今更驚かない。カップに入れられたラマリスの紅茶がこぼれないかを気にして場所をずらした。
「普段からバカバカ言っていると実際の場でもバカと言いかねないから注意するんだね。いいかいラマリス、シュリッテ。正論を言うことだけが正しいとは限らないんだよ」
「あ、先生も同じことは思っていたのですね……」
「当り前さ。魔法の研究は愚か、現在の魔法のこともろくに見ずに暇さえあれば地位だの金だの……。あんな所にいるなら図書館にひきこもっている時間のほうが価値があるよ」
「言いますねえ……」
復活したラマリスは叫んだ。
「ボンボコ殴りやがってこのクッソババア!! 見てろ、絶対に強くなってババアを棺桶に直送してみせ――んぎゃあーーーーッ!!」
「ラマリスは言葉遣いが悪すぎるんだから誰に対しても丁寧な言葉を使えと教えているだろう」
エリザベートに腕の関節をキメられてラマリスは汚い悲鳴を上げる。
さすがに止めたほうがいいと思ったのか席から立ち上がりシュリッテはストップをかけた。
「ああっ、それ以上はいけません先生っ」
「いいのさこの場に治癒魔法使えるのがふたりいるんだから」
「よくないよくない!」
数分後には落ち着きを取り戻し、3人は椅子に座り何事もなかったかのように紅茶を飲む。
遠くにいる見張りの兵は頑なに騒ぎを見ないことにしていた。エリザベート・サトウリンテという老婆には命が惜しいなら関わるな、が暗黙の了解である。
「……さっきの話に戻るんだけどね」
「さっき? 果物の皮のうちどれが一番滑りやすいかハンデルと実験していたやつ?」
「それはもっと前の話でしょう。……ラマリスとハンデル、もう18なんだからもう少し分別つけた遊びをしなさいね?」
「う」
ラマリスは目を泳がせる。
そこにエリザベートが助け舟を出した。
「シュリッテ、遊びに年齢は関係ないよ」
「先生……。いや私のは遊びじゃなくて実験なんですが」
「わしも未だに爆破を起こすことに心が踊るからね」
「遊びって言っちゃダメだろこのクソババア」
「本当に勘弁してください先生、絶対にバレないでくださいよ」
はぁ、と疲れたようにシュリッテはため息をつく。
それから気を取り直して話を続けた。
「ロディット様はね、確かに気弱だけどそれは自信がないだけだと思うの。先代の王……ロディット様のお祖父様が苛烈だったから、自分の意見を言うことが怖いのよ」
先代の王は、シュリッテの言う通り苛烈であった。
戦ではその性格は良い方向に向いたが、政治では短絡的で粗暴が目立ち、さらには女性問題も囁かれたぐらいだ。
優秀な側近と息子である現王がいなければパレミアム国は傾いていただろう。
「じゃあロディット王子が王になるためには何が必要なの?」
「んー……、月並みだけど、守りたいものがあれば強くなる……とか?」
「国?」
「そんな大きいのではなくて、それこそ家族みたいな身近なものじゃない?」
「家族ねえ」
ラマリスはつまらなさそうに繰り返した。
ドゥーには家族がいない。守りたいだとか身近だとか言われてもピンとこないのだ。
「なら、私は無理かも」
「もうラマリス、まだ分からないじゃない。面倒見が良いんだから彼を支える存在になれるはずよ」
「面倒見良くないよ。必要だから見てるだけ」
「なんというか、ラマリスはひとたらしなところあるからそこを活かしてこっ」
「ひとたらしを活かしていいものなのか……」
ケーキを一口食べる。
修道院ではとても味わえない甘さが口に広がった。
「私は聖女になれないよ」
ラマリスは声に出さずに言った。
ドゥーがそもそも聖女の選考外なのは薄々感づいていたからだ。いくら秀才だとしてとも、親が不明である以上王家には加えられない。
だからこの授業も、今まで習ってきたことも無駄だ。だがシュリッテがそれを知れば悲しむのは分かりきっているので表には出さない。
エリザベートもラマリスの心情を察しているのか深入りはしなかった。
数年後、シュリッテは王妃に選ばれた。それを期にラマリスたちとの交流は一切絶たれてしまう。
ラマリスがシュリッテに最後に会ったのは、冷たい雨が降る中で赤ん坊を拾った、あの日だ。
この頃はまだ自我が破壊されているなど知る由もなかった。
◯
「『決断に優れ、いついかなる時も凛々しき王』……」
自室のベッドで新聞を読みながらラマリスは呟く。
城内で起きた原因不明の事故によりラマリスの左目は潰れている。炎症が引くまで休息期間を設けるように医師より伝えられ、安静にしていたが――。
先日、国王が死去した。
休息どころではない。明日にでも院長として動く必要がある。
「シュリッテがいたからあなたは強くなれたのでしょうか……」
鈍く頭が痛む。
額に手をやり、痛みが遠のくのをじっと待つ。そうしているとドアがノックされ、返事を待たずに開けられた。
手に軽食をのせたお盆を持つ女性が入ってくる。
「ラマリス院長、起きていらしたのですか?」
「ええ。寝てばかりもいられませんから」
アンヌ・マリア・ソボ。院長補佐として修道院に入ってきた祭祀大臣の末の娘だ。
夫と死に別れたと聞く。まだ二十代で再婚も考えられただろうが性格にやや難があるので持て余されたのだろうな、とラマリスは考えている。
「もう食堂にも行けるのに、わざわざ持ってきてもらわなくとも……」
「あなたが倒れたら隣にいるわたしが大変なんです」
「なぜ隣に……? あなたがついてくる必要は」
「べ、別にいいでしょ! ついていくことぐらい!」
全然良くないのだが。
こんな感じで反抗的であったり、なにかと突っかかるアンヌに手を焼いてはいた。
しかしパメラに比べれば非常に可愛いほうである。なんせ窓を割ったりボヤ騒ぎを起こさない。
「以前より言っていますが、こんな後ろ盾のないおばさんに気に入られてもなんの役にも立ちませんよ」
「まーたそれですか?」
いつも通りアンヌは聞く耳持たずだ。
左側の顔を手のひらで覆いながらラマリスは考える。
もしかしたら傷を負ったことにより院長の席にいる時間は短いかもしれない。アンヌをここに縛り付けたら彼女のキャリアにも影響が出かねない。
「あなたはまだ若いんですから、もう少しいい場所で働きませんか? 推薦状書きますよ」
ムッとした顔でアンヌは言い返す。
「わたしはっ、ラマリス院長といっしょに働きたいんですっ!」
「アンヌさん……」
「あ、いや、これはその……」
真っ赤になるアンヌに、ラマリスは控えめに聞いた。
「ごめんなさい、そんなに院長補佐の仕事が気に入っていたとは知らず……」
「は?」
「は?」
会話が噛み合わない。
シュリッテならどうしていただろうかと考えるも、なぜか苦笑いしか思い浮かばなかった。




