孤児院院長と少女
孤児院の院長、ロドラ・ツゥールは1枚の紙を手に嘆息していた。
パメラ・ドゥーの手配書である。
無愛想な少女の写真が載せられその下には罪状が書き連ねている。
やりかねないな、とは思っていた。
◯
約12年前。
王都にある孤児院の一部が爆発した。
様子を見に来た憲兵たちを当時の孤児院院長は「大丈夫だから」の一点張りで帰そうとしたのが逆に怪しまれ、強行的に押し入った。
そこで見たのは、やせ細った子どもたちだ。
院長のお気に入りの子どもたちは丁寧に世話をされていたが、そうでない子どもたちは地下の一室に閉じ込められ十分な食事を摂ることもできていなかった。
それどころか国からの支援金も着服をしていたことも明らかになり、その日のうちに院長は監獄に放り込まれ、甘い汁を啜っていた者たちも罰せられた。
そんな不祥事の後釜など苦労が見えているため誰も孤児院院長をやりたがらなかった。
回り回って、この話にまったく縁のなかったロドラの元へと話が来たのだ。最初こそ断っていたが最終的にはロドラが折れる形で引き受けた。
ただでさえ子どもたちの状態が悪いのに、いつまでも上が揺らいでいてはさらに悪影響が出るという理由で。
現に、閉じ込められていた子どもたちの精神状態は悪く、そうでなかった子どもたちも元院長の所業を知り不安定になっていた。
ロドラは食事に注意を払い、眠れない子どものために薬師を呼び睡眠薬を調合させ、ひとりずつゆっくりと話をした。
半年が経つ頃には孤児院は落ち着きを取り戻したのはそうしたロドラの献身的な行い故だろう。
彼女は熱心な信奉者ではなかったが、実の子をふたり亡くしており、それもあってやや前のめりに育成に力を注いだ。
そんな彼女も頭を悩ませた子どもがいる。
パメラだ。
当時3歳で地下の部屋を魔法で爆発させた犯人。当時は立つこともやっとだったが今は飛んだり跳ねたりするまで回復していた。
とにかく笑わない。喋らない。自発的に動かず、周りの様子を見ながらついていく。
心に傷を負っているのかとも思ったが、関わるうちにどうやら素の性格だということが判明した。
(ドゥーで、魔力があって、まったく可愛げがない……。これから先苦労しかしないでしょうね)
将来を案じるが、それは本人の意識次第だ。まだ情緒も育ちきっていないのだからと一旦ロドラは横に置いた。
目下問題は魔力だ。まるで制御ができていない。
幸いにも他の子どもや修道女は傷つけていないが、部屋の壁に穴を開けたりおもちゃを天井に突き刺してしまうことがしばしばあった。
おそらく、自分自身も魔力により傷ついている。「おそらく」とつくのはパメラはどうやら治癒魔法も使えているからだ。他の子供から怪我をしていたと報告を受け、具合を見に行っても傷ひとつなくケロリとしていることが多かった。
(早急に魔法の使用方法を教えたほうが良さそうですが……。しっかりした講師に依頼するにしても、孤児院の子どもで、ドゥーの姓が生徒では難しそうですね)
ロドラのポケットマネーで講師をつけることも考えていたが、貴族を相手に商売する者たちが快く受けるとは思えない。
どうしたものか、と考えていると修道女から来客が来たと伝えられる。ホールに出向くと仏頂面の女が箱を抱えて立っていた。
ラマリス・ドゥー。ここの孤児院育ちで、元聖女候補。エリザベートという年齢不詳の天才を師匠に持つ修道女。
「……修道院から孤児院へお菓子の差し入れです。皆さんで召し上がってくださいね、と女子修道院のサルベーラ院長より伝言です」
「まあ。お礼を伝えておいてちょうだい」
「はい。それでは失礼します」
表情をひとつも変えずに、というか頭すら下げずに彼女は踵を返した。
その背中を呼び止める。
「あなた、ひとに教えるのは得意かしら」
「……さあ」
この人物の場合、遠回しよりもストレートに伝えたほうが早いことに気づき、ロドラは単刀直入に言う。
「パメラ・ドゥーに魔法の基礎を教えてもらえない?」
「私が?」
名前を出すとわずかに態度が軟化した。
パメラが爆発事件を起こしたと聞いて駆けつけたことからも、何かしら縁は感じているのだろう。
「私は感覚で魔法を扱っていますから、先生としては役に立ちませんよ」
「パメラもだいたい感覚派でしょう」
「基礎もある程度は必要です。ハンデル・ドゥーに頼んだらいかがですか。あれはエリザベート先生が特別に教え込むぐらいには優秀ですよ」
結構あっさり同胞を売ったな、とロドラは思った。
「ふむ……そうですね。彼、感覚的なものは得意ですか?」
「どうでしょう。理屈でものを考えるのが得意なのでそちらは疎いかと思います」
「分かりました」
数日後。
ロドラが各方面に許可を取り、ラマリスとハンデルがパメラの魔法教育を任されることとなった。
当然、当人たちからの不満の声はあったが聞かないことにした。
修道女たちは孤児院の裏で毎回聞こえてくるラマリスたちの悲鳴や怒声、なにか破壊されたり吹っ飛ぶような音に怯えていたが、ロドラとしては選択を間違えていなかったと確信していた。
ヘトヘトになった大人たちと帰ってきたパメラは、楽しそうだったから。
「魔法は好きですか」
「うん」
「たくさん勉強しなさい」
「うん」
パメラは様々な知識を吸い込んだ。
才と知識さえあればどこかで彼女を拾う変人もいるだろう。運が良ければ、愛想がなくても十分に能力を発揮させてくれる場所があるかもしれない。
だから、7歳になったパメラが王子に見出されて聖女候補に挙げられたとき。
ロドラは落胆した。
王妃などという狭い世界に収まることができるはずがない。それでもパメラは律儀に型を合わせようとするはずだ。彼女は未来は潰されるだけ潰されてしまうだろう。
「パメラ。あなたは、愛らしさというものが必要です」
「はい、ロドラ先生」
聖女候補として生活の場を孤児院から修道院へ移す前の晩。
ロドラはパメラにひとつ教えを残した。
どれほど通じるかは不明ではあったが、聡い少女のことだ。いずれは理解するだろう。
「酸味、辛味、甘味、塩味。あなたはこの中でどれが一番食べやすいですか」
「さん……から……」
「すっぱいもの、からいもの、あまいもの、しょっぱいもの、です」
「あまいものです」
「ならば」
ちょうどよかった。
密かに渡す予定であったチョコレートを出し、彼女の手に落とす。
「あまいものを食べたとき、笑いなさい。ひとの目を見てお礼を言い、大事そうに口に入れる演技をしなさい」
「なぜですか?」
「コミュニケーションのひとつです」
「コミュニケーション」
「好物を晒すということは、隙を見せること。すなわち敵意がないと伝えることです」
「ドゥーには敵が多いからですか」
「その通り。弱点があれば、相手は油断します。油断をすれば友好的なり敵対的なり、おのずと相手の態度が見えてきます」
ラマリスとハンデルが取っ付きにくいのは弱点がないことが原因だ。
ガチガチに自分を守り、相手に隙を見せない。
――ロドラのような者たちがそうさせたのだが。
「あなたはまったく食に興味はないですが――その気はなくとも、食事に誘われたり、与えられたりした場合は大げさに喜びなさい」
「分かりました」
こくりとパメラは頷いた。
前々から気にしていたが、自我が薄い。同い年ならもう少しかわいくない文句を言っていても不思議ではないのだが。
「練習してみましょう。食べて御覧なさい」
「はい。いただきます」
チョコレートをまじまじと眺めた後に口に入れ、パメラはロドラへ向けてにこっと笑った。どう見ても作られた笑みだが、それは今後こなれていくだろう。
「おいしいです」
「ええ、それでいいです。……パメラ」
「はい」
こんなことを無責任に言っていいのだろうか。
しかし、祈らずにはいられなかった。
「幸せになりなさいね」
◯
過去に浸っていると、隣で眠っていた怪我人が目を覚ました。
「……ロドラ院長……?」
ラマリスはかすれた声を出した。
視線を動かそうとして、痛んだのだろう。顔をしかめて目を閉じる。
「あなたが弱っているので様子を見に来ただけです。お構いなく」
「構うんですけど……」
数日前、ラマリスは城内で倒れているところを発見された。
鼻や口からは血を流しており、左目は破壊されていた。時間も経過していたため修復のしようがなかった。何があったかラマリス自身も覚えておらず、城の防御魔法が一部改変されていたことも発覚して、防御魔法が誤作動したのだろうという結論に至った。
心血注いで魔法陣を描いた専門家たちは今頃「そんなはずない」と憤っているだろうが――それはロドラには関係のない話だ。
「ハンデル院長があなたの見舞いに来たがっていましたが、あなたの優秀な部下が頑固に止めて争うものですから、何故かわたくしが代わりに来る羽目になりました」
「ご足労をおかけしました。そもそもが男子禁制ですしね……」
「あなた、部下との距離感に気を付けたほうがいいですよ。『院長の傍にいていいのはわたしだけです』とか言ってましたから。拗れた感情を向けられているのでは?」
「ええ……? あの子、私には『別にあなたがどこに行こうと関係ないですけどね、ついていきますけど』とかいうぐらいで、面倒な上司程度の意識しかないと思いますよ……?」
「どうしてそのセリフを聞いてその認識止まりなのですか」
呆れながら手配書を机の上に戻す。
紙が擦れる音でロドラが何を見ていたか分かったのだろう。少しだけ困ったようにラマリスは口を開く。
「ロドラ院長は……パメラを大罪人と思いますか?」
「わたくしが王国に心身を捧げていたら政治犯として通報していましたよ。お気をつけなさい」
「すみません……」
いつもより弱っているラマリスを見て、ロドラはため息をついた。
「あの子が国家転覆なんてつまらないことするわけないでしょう。もしやるとするなら城壁をすべて破壊し、魔獣を呼び寄せ、城を跡形もなく爆破してからがスタートです」
「ですよね……」
最悪な共通認識である。
とりあえずラマリスは言葉を発せられるぐらいには元気であることが分かったのでロドラは立ち上がる。特に用もないのに怪我人に気を使わせる理由もない
ロドラが出ていく寸前、うわごとのようにラマリスは呟いた。
「パメラ、甘いもの食べられているかなあ……」
孤児院院長は一瞬動きを止めたが、何も言わずに静かにドアを閉めた。




