チビ暗黒竜
暗黒竜。
艶のある黒い鱗を持つ竜。
何十年にも渡り、巨体でいくつもの国を破壊し、口から吐き出した炎で森を焼き、鋭いトゲの生えた尻尾で山を崩す存在である。
当然、様々な種族が危険極まりない暗黒竜を打ち倒さんと討伐にいったが――勝敗は、ここまで暗黒竜が生存していることから分かるとおりだ。
その暗黒竜は今、身体を真っ二つに切断されて息絶えていた。
あたりの地面はえぐれ、焦げ、魔力の残滓がそこかしこに残っている。激しい戦闘であったことは誰の目にも明白だった。
昼前に始まった戦闘は夕方に終わった。トードリナからちからを与えられた者が3人揃っていても数時間がかりだ。他の討伐隊は文字通り一瞬で終わってしまっていたのだろう。
いろは達は暗黒竜の近くでぐったりと座り込んでいる。勝利の喜びもあるがそれ以上に疲労感がひどく口も開いていられない。
くれはがコテンと倒れると他のふたりもそれに習い寝っ転がる。ごつごつとした石の感触を背中に感じながら空を眺める。
「……僕ら、レベルアップしたかな?」
「知らね。試してみるか?」
いろはは手を空へ伸ばし「ステータスオープン」と呟く。何も起きない。
見ていたくれはは顔を真っ赤にして抗議する。
「だから、それやめてよ! あのときは僕も混乱していたし! もういいじゃん!」
「いやでもさあ……。異世界に来たと分かった瞬間にステータスを見ようとするお前、わりと怖かったぞ」
この世界に飛ばされてきたとき、状況を飲み込めない中で突然くれはが叫んだのだ。
気でもおかしくなったかと思うのは至極普通の感想である。
「たしかにいきなりステータスオープンされたときはびっくりしたけど、わたしも悪役令嬢になっていないかしばらくビクビクしていたからお互い様かな……」
「お前らウェブ小説の読みすぎ」
「そんなこと言っていろはくんも詳しいじゃない」
「自発的に見ているわけではなくて、くれはがアニメとか漫画を押し付けてくるんだよ。感想をリアルタイムで共有したいとか言って」
「厄介オタクだ……」
「僕が面白いものはいろはも面白いってなるやつだから! なんでも押し付けてはない!」
「押し付けてる自覚はあったのね……」
いろはは息を吐いて起き上がる。
「よし。討伐の証拠を取ってさっさとこの地から離れよう」
「僕今日は動けない。ここで一泊しよ」
「このまま夜が来ると暗黒竜を食べに来る魔獣がいるかもしれない。デザートに頭からバリボリ食われてもいいなら寝てろ」
「冗談だよもう……」
のたのたと動き出す。
切り落とされた暗黒竜の生首の前に立ち、くれはは圧縮の魔法を唱える。三メートルは超える大きな生首が瞬く間にサッカーボールほどに縮んだ。
布に包み、近くの棒を拾って先端にぶら下げた。
「重い……」
「代わりばんこに持ちましょう」
「くれは、円美、ちょっと見てほしい」
胴体を間近で眺めていたいろはがふたりを呼んだ。
近くへ行き指さされた方向を見れば鱗が傷ついている。
「……いろはくんの剣でも、くれはくんの魔法でもない……?」
「なんかこれ、銃痕みたいだ。魔法によるものじゃない。それこそ機関銃みたいな……」
「くれはくん見たことあるの?」
「動画で」
いろはは頷く。
「妙なんだよな。見た範囲では文明的には近世ヨーロッパや江戸にちかいのに、何故か井戸の横に蛇口がある国とか、呪術と薬草の民間療法が広く伝わる中で開腹手術が行われているとか、チグハグすぎないか?」
「たしかに発展の順序が違うんじゃ? っていうのはわたしも思う」
「トードリナは俺たちの他にもこの世界に呼んでいるんじゃないかと思うんだ。それで、いわゆる知識チートで発展している」
3人の他にも地球から呼び寄せたものはいたのか問いかけたことがある。
創世神トードリナは答えなかった。
「なんか変なのは僕も思う。ボードゲームひとつとっても、囲碁や将棋と同じルールだし、トランプはあの4つのマークがそのまんまある。そうだよね?」
「ああ」
「疑問だらけね。トードリナは何を考えているのかな」
「神さまの考えることなんて分かんないよね……」
3人のように異世界から連れてこられたのならば、無事に役目を果たし帰ることができたのか。
それとも――……
「俺は元の世界に帰る。絶対に」
はっきりと言い切るいろはを見て、少しだけ伏せ目になりながらくれはは頷く。円美は「そうだね」とだけ言った。
いろはは自分の両頬を叩き、ぱっと笑顔になる。
「ま、今はパレミアム国の借りてる部屋に帰ろうぜ。早く屋根のある場所で寝たいんだわ」
「巨大な鳥に突かれて起きるのはもう懲り懲りだもんね……」
「大きいカブトムシを見たときは本気で終わったと思ったわ」
生首を担ぎ、いろはは歩き出す。その後ろを円美が追いかけ、最後にくれはがついていく。
ふと、くれはは気配を感じて振り向いた。彼の魔力探知力がなければ気づかなかっただろう。
トカゲほどの大きさの、暗黒竜と全く同じ色合いの竜が岩陰で鳴いていた。親子にしてはサイズが合わないがこの世界では珍しいことではない。
親を亡くしたチビ暗黒竜はこのまま飢えて死ぬか、片手間に食われてしまう運命だ。びぃびぃと庇護を求めて声をだしている。
気づかなかったふりをしてくれはは踵を返し――チビ暗黒竜の下へ走り、学生服のポケットへ隠した。
「くれは? どうした?」
「え? あー、ちょっとね、なんか見えた気がしたんだけど気のせいだったみたい!」
目を泳がせ、上ずった声でくれはは誤魔化す。
「嘘をつけ。なんかポケットに入れただろ、動いてるぞ」
秒でバレた。
「なんにもいない! なんにもいないったら!」
「諦めなさいくれはくん! さもなければ暴力に発展するわよ!」
円美は拳を固めた。
治癒魔法使いがしていい動作ではない。
「くれは、お前昔から野良猫とかザリガニとか拾ってくる前科があるからな……。改めさせてもらう」
「ギャー! 出ちゃダメ!」
「出すんだよ。オラッ出てこいお前の友達」
引っ張られたポケットからチビ暗黒竜が顔を出す。パチリといろはと目が合う。
「野良猫よりやばいの拾うんじゃねえよくれはァ!」
「お願い! ちゃんと面倒見るからママ!」
「誰がママじゃ!」
「どうすんのよ……。連れて行くつもり? まあそのつもりだからこっそり捕まえたのね……」
「ま、まだちっちゃいし育て方次第でいい子になるかもしれないじゃん? ね?」
「甘すぎんだよくれはは……」
チビ暗黒竜は短い手足を動かしながらいろはの手によじ登る。
顔の前に掲げてつぶらな瞳と見つめ合った。
「こーんなちっちぇーのがあんなデカいのになるんだなぁ……」
小さな口を開けてチビ暗黒竜は火を吹いた。
ライター程度の大きさではあるがいろはの前髪を焦がすには十分だった。
「今夜の具材はお前に決まりました……!」
「落ち着きなさいいろはくん、でけえ悶着を起こさないで」
凄まじい表情になるいろはにチビ暗黒竜は逃げるどころかビィビィと鳴いた。
「わ、笑いやがった……」
「感情豊かでかわいいねえ」
「感情はなんでもいいけど……どうするの?」
「お願い! いい子に育てるから!」
キュルンとぶりっ子ポーズをするくれはを一回殴った後にいろはは深く息をついた。
生首の入った布をちらりと見たあと、自身の片割れに視線を戻す。
「くれはがこんなねだるの珍しいしな……。害があればすぐ殺す、いいな?」
「う、うん! ありがとう!」
「なんだかんだ甘すぎるんだよねえいろはくんも……」
くれはのポケットに戻ったチビ暗黒竜は頭上のやり取りをただ不思議そうに見ていた。




