エルフと悪巧み
真っ白な上着を羽織る少女と、法衣を来た青年、そして球体のスライムが森の中を歩いていた。
まだかろうじて陽がある時間だがここはすでに暗い。しかも木の根や岩などで足場が悪く、魔法光で照らしながらでないと危険だ。
本来ならば迂回して行きたいところであったが周囲も谷や流れの早い川であり、一番マシなのがこのルートだった。
「変身ってもうちょっと簡単に出来ると思っていましたけど、スライムはぜんっぜん出来ませんねえ〜。やはり単細胞の不定形生物には難しイテッ石投げてきた」
『!!』
「ネクタは頑張っていますよ。しかし変身が難しいのはなにが問題なのか……」
雑談をしながら中へと進む彼らを木の上から見ている者がいた。
◯
エルフ。森の祝福を受けた長命種。華奢な体躯に美しいかんばせを持ち、他種族にですら価値のある姿かたちと言われるほどだ。
そんなエルフがふたり、太い枝に座っている。
「思ったよりも貧相というか小さいというか。乳臭いガキって感じだな、『聖女』サマは」
緑髪のエルフ――ルッカはつまらなさそうに呟き、左横だけ編んだ髪を弄りながら思案する。片方だけ髪を編むのは半人前という意味だ。
その隣で同じ髪色と左右対称の髪型をしたキッカは魔導小板を見ていた。
「なぁキッカ」
「……」
「キッカ! またニチャニチャ動画見てる! 聞いてんの!?」
「聞いてる聞いてる。『聖女』って……まさかアラクネットのスレの?」
「それ以外に何があるんだよ」
アラクネット掲示物――ただでさえインターネットのカスどものたまり場と化している場所の、さらに深淵。
カテゴリ名は「狂悖」。悪意の煮凝りのようなカテゴリと言われているが、荒れているときの政治カテゴリとどっこいどっこいである。
そこに半年以上前、ヒトの聖女が安価スレを立てたことでエルフのルッカは日課として眺めていた。
この森は北の海と『魔王の国』と語られる土地の間に位置するため、もしかしたら来るかもしれないという期待で普段はサボりたい見張り番も率先して行っていた。
そして、今日。
まさかとは思っていたが、ルッカたちの暮らす森に聖女たちが訪れたのだ。
「よかったじゃん。挨拶してくれば?」
「バッカお前、挨拶なんて生まれて数十年したことねーよ」
「しろよ。……じゃあなに? 一目見るためだけに見張り番をずっとしてたの?」
「オレがそんないじらしいと思うか? もっと面白いことだよ、面白いこと」
「なんだろう、引き伸ばさないでもらっていいですか?」
キッカは会話に飽きてニチャニチャ動画の検索欄に『忙しいひとのための』と打ち込み始めた。
「分かった。聞け」
「はぁ」
「ヒト狩りしようぜ!」
夜の闇の中でも分かる爛々とした目にキッカは呆れ顔をした。
「ダメだろ。ジジイどもが騒ぐぞ」
「それは行商人の場合だろ? アイツらは『断りなく森へ踏み入った異教の聖職者』だ」
「立派な大義名分まで用意しちゃって、こういうのには抜かりないなあ……」
「で? やるのか、やらないのか?」
ルッカの問いに、キッカは口角を釣り上げた。
「やる」
話がまとまれば動きは早い。
弓矢を持つルッカが狩り役、キッカが周囲を警戒するサポート役となる。
足音を消す魔法と風の音に紛れて一行を追跡していく。
「手順は?」
「スライムはクソザコだから後。先に『僧侶』を狙う」
「『聖女』じゃないのか」
「生身のヒトがここまで生きているんだ、それなりには強いはず。だから先に潰す」
矢をつがえる。『僧侶』の肩に狙いを定めて指を離した。
空気を切り裂いて矢は飛び――彼の肩にぶつかり、落ちた。ダメージは入っていない。
失敗と気づいた瞬間ルッカたちは上へ登り葉の中に姿を隠した。
「え、なんで? キッカ、あれなんなの?」
「うすーく自分の身体に防御魔法かけて身を守ってんだな……。難しいしずっと気を張らないといけない代物だぞアレ」
「ワンチャン行ける?」
「俺なら襲われた直後からしっかりした防御張る」
姿の見えない敵襲にその場から離れたほうがいいと判断したらしい。一行は駆けていく。
ルッカはその様子を鼻で笑い、矢をもう一本用意した。すぐに放たれたそれは葉のあいだを抜け、『聖女』の背中に刺さる。
倒れそうになるのを堪え、移動は止めないままに『僧侶』に矢を抜いてもらっているのを確認し、ルッカは大げさに顔をしかめた。
「『聖女』は防御しないんだ。てか、カエシのついた矢なのにあんな無理矢理抜いちゃって痛いだろうな〜」
「それよりこのまま行かせたら祭事の広場だぞ。さすがに不味くないか」
「じゃあとっておきだな」
矢筒の中で一本だけ他と違う矢がある。
矢じりに布が固く巻き付けられているのだ。これは毒を染み込ませた布をくくりつけて毒矢としている。
矢じりを直接毒に漬けてもいいが、摩擦により毒が剥がれていく可能性があるのでこの森のエルフは布を使うのが主流だ。
使われている毒はロコックという実だ。非常に危険な代物で、栽培場所は厳重に管理されている。早急に対応しなければならない敵と対峙したときのために見張り役には一本支給されている。
「毒にやられた『聖女』の前で狩りの成果を見せつけてやるか」
〇
森に入った当初はできるだけ真っ直ぐ進むように気をつけていたがそうも言えなくなった。見えない敵に狙われていることが判明したからだ。
一本目はティト、二本目はパメラ。
動く的に当てるのは難しいはずだが、襲撃者はよほど弓に自信があるらしく、致命傷にはならない場所を狙ってくる。
「完ッ全に遊ばれていますね、俺たち。他の森で会ったエルフは警告してくれましたし、敵対者はこうやって執拗に追いかけません。一撃で殺します」
右手で聖女の手首を、左手でネクタを抱えながらティトは言う。
「なのでパメラ様、反撃してよろしいかと。森の土地神になんと言われるか分かりませんが、こっちにだって言い分はあります」
「……」
「パメラ様もだいぶ息が上がっていますしね」
パメラは眉をひそめたが事実であった。
ティトが引っ張る勢いに合わせてどうにか足を動かしている有様である。怪我に、体力の増強、疲労の軽減――持久的な逃走のためにはあらゆる魔法が必要であるが、パメラは対応ができていない。
「反撃は、しましょう。でも、殺すのは、無しです」
「言うと思いました。でも平和的に終わるとは思えませんよ?」
「こういう、ばかばかしい、どうしようもない、相手の手の届かない場所からの、底辺ないたずらは慣れています」
「……おや、そうですか」
木の根を飛び越える。
「私が、よく、していたので。先生たちの対策を、参考に、します」
「あ、そっち」
一息置いてパメラは言う。
「同じ目線にしましょう。まずは――」
〇
森の中にはぽっかりとした丸い空間が存在する。
めったに使われはしないが、祭事のときには必ずここに集められる。だが今、この神聖な場に足音が迫っていた。
広場に気づくとなにを思ったか『聖女』は『僧侶』を森の中に押し留め、彼女だけが遮蔽物のない場所へ踏み入れる。
『聖女』の意識を後ろ、さらには上のほうへ向けさせたのは、偶然か、なにかのささやきか。
様子を見ていたルッカと振り返った『聖女』の目がかちあう。さすがのルッカもぎくりと身を強張らせるがプライドが息を乱れさせなかった。
骨に邪魔されない脇腹を選ぶ。狙い通りに矢は突き刺さり、『聖女』は足をもつれさせて転ぶ。
「ぐっ……!」
『聖女』が短い悲鳴とともに脇腹を押さえた。皮膚は瞬く間に黒ずみ筋肉が溶け神経は壊死していく。
「この毒で死なないのかよ……」
驚きを越え、畏怖するように隣りにいたキッカは呟く。
「死んだほうが楽なときに死ねないのは不幸だよな」
再度矢をつがえ、ルッカは次の的――『僧侶』を狙おうとして、それがいなくなっていることに気づいた。『聖女』に押しのけられだところまでは確認していたがそれ以降は見ていない。
ではどこに、と視線を下げ――ふたりはヒュッと息を吸った。『僧侶』が彼らのいる木の下で、ハイライトのない瞳で見上げていたからだ。
わずかな認識阻害の魔法の残滓が彼の周りに漂うが、それに気づくほどエルフたちは余裕がない。
まだこちらが有利だ。矢もあとは打つだけで、なにより地の利がある。そう思おうとしたが、しかし『僧侶』の指が木の幹にめり込んだのをみて自信を削がれる。
「あはっ」
毒による苦痛で冷や汗をこぼしながらも『聖女』はなぜか笑っている。いたずらが成功したように、晴れ晴れとした笑みだった。
ゾッとした。
切り札があったのだ。自分が標的になっていることを逆手に取り、状況を好転させるための一手を!
後ろで気配を感じる。
振り向けばそこにはスラリと伸びた足とプリケツがあった。プリティでケツケツである。
臀部からつま先までの姿であり、上半身はない。ほんのりと青白く光る半透明の物質からソレがスライムの変身体だと分かった。
「あっちが陽動で……こっちが本命か!?」
ルッカの言葉に正解とでも言うかのようにスライムは跳ねる。
いくら木の上での活動が得意とはいえ飛び蹴りされて耐えることは不可能だ。ルッカたちは渾身の一撃をいなすことができず地面に落下した。ルッカは倒れる『聖女』のそばまで転がり、キッカはすぐ下に落ちた。
受け身を取ったものの衝撃が強くすぐに起き上がることができない。
「ようやく間近で話せますねえ? ツラも拝みたかったんですよ。ああ失礼、これじゃ見えないな」
『僧侶』はうつ伏せのキッカの背中を踏みつけた。場所は肋骨。折れれば心臓や肺に刺さる可能性がある。
呻くキッカへ冷ややかな視線を送り、そのままの温度でルッカに移した。殺すぞ。目はそう語っている。
「っくそ……」
ルッカは起き上がりながら高速で頭を回転させる。
――体勢を立ち直すか? そのためにはキッカを一旦見捨てる必要がある。『僧侶』は知らないが少なくとも『聖女』は博愛のゲロ甘女だ。死ぬようなことはしないだろう――
そこまで考え、ルッカは逃走を決意した。その時だった。
「バカエルフどもが……」
がしりと抱きつくように胴を掴まれる。
後ろで倒れていた博愛のゲロ甘女に。
「え、あ、なに? 冗談なんだけど? まさか怒っちゃった感じ? 冗談を冗談って思えない頭が硬いひとってことなのかな? 大人気ないだろこんなので――」
「私も、私に毒矢を撃ち込んだことは、まあ、許しまします。ですが――ここまでの一連のことは本当にムカつくので痛い目を見てください」
「よ、よく喋るなぁ〜」
毒によって呼吸ができなくなっているのだろう。ひゅうひゅうとパメラの喉から笛のような音が鳴っている。
それでも離すまいとする力強さと執念に、ルッカは恐怖を覚えた。
「ティトさん!」
「はい! スライム!」
球状になったスライムがひと跳ねして『僧侶』の腕に飛び込む。感触を確かめるように手のひらでネクタを叩いたあと、『僧侶』は思いっきりぶん投げた。
彼自身の腕力、付加された速度、スライムの強度。
それらがルッカの腹に直撃する。
「がっ……!」
直前に防御魔法を敷き、ダメージは減らせたものの勢いは殺せなかった。
背中にいた『聖女』ごとルッカは後ろに吹き飛び――
――なぜかそこにあった祠を、破壊した。




