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第二十九話 「決別」


 チョコの病気は、徐々に進行していく類のものだった。

 日に日に身体機能が衰えていき、いつしか立つこともままならなくなるらしい。

 その初期症状として、唐突な手足の痺れや脱力感に襲われることが頻発するようになり、クリムに錬成術の指導を始めてからちょうど半年の時に不調が現れ始めた。


『大丈夫大丈夫、絶対にクリム君とショコラを仲直りさせてあげるから』


 それでもチョコは、錬成術の修行を手伝ってくれると言った。

 本来ならば少しでも病気の進行を抑えるために安静にしておかなければならないはずなのに。

 チョコとしては自分の体よりも、クリムとショコラのことの方が気がかりのようだった。

 ただ、チョコは日に日に容態を悪くしていった。

 幼いクリムにもわかるほどに、目に見えて痩せ細って体が衰弱していった。

 それがあまりにも心配で、ショコラに謝るどころではなくなってしまった。

 ショコラには謝りたい。けれど今はそれ以上にチョコの体調の方が心配である。

 どうにか彼女を助けられないかと、クリムはチョコのことばかりを考えるようになっていた。


『錬成術で治すことはできないの? チョコさんの錬成術なら……』


『傷とか毒だったらね、錬成術で治すことはできるけど、病気だけは仕方がないんだよ』


 病気を治せるのは医療だけ。

 それもチョコから教わった、錬成術の基本の一つである。

 そしてチョコの病気を治すためには、大きな治療院に多額の治療費を払う必要があるそうだ。

 ショコラの父でありチョコの夫のカカオ・ノワールも、その治療費をかき集めるために必死になっていると聞いた。

 だが、田舎村に住む村人程度では到底用意できる金額ではなかった。

 他の親しい人たちも協力しようとしてくれたが、チョコはそれが申し訳ないと思ったようで、皆には『気にしないで』と言っていた。

 同じくクリムもそう言われたが、彼は子供ながらに現実を受け入れられず、それ以上に恩人のチョコに恩返しをしたいと思っていた。

 ゆえに、彼がこのような提案をしてしまうのも当然だと言える。


『それなら僕が、その治療費を稼ぐよ』


『えっ?』


『チョコさんに教えてもらった錬成術で、たくさんの人たちを助ける。それでたくさんお金を稼いで、チョコさんの病気を治してみせる』


 お金がないから治療ができない。

 それなら自分がそのお金を稼げばいい。

 クリムはチョコを助けたい一心でその決意を示した。

 チョコに教えてもらった錬成術なら、たくさんの人の助けになるはず。

 だからきっと治療費を稼ぐことも難しくはないはずだと、クリムはそれを信じて疑わなかった。


『……うん。それなら私は、クリム君がもっと錬成術が上手になるように、精一杯錬成術のこと教えてあげるね』


 今になって思うと、この時チョコがこう言ってくれたのは、自分の成長のためだったのだとわかる。

 見習い錬成師が多額の治療費を稼ぐなんて絶対に無理だとわかっていたが、それを否定してしまえばクリムが錬成師の道を外れてしまうのではないかと考えたのだろう。

 せっかくの新しい芽を潰してしまわないように、チョコは応援する形で錬成術の指導を続けることにしてくれたのだ。


 クリムはこの日から、れっきとした錬成師になった。

 森や山に一人で素材を採取しに行く。

 採って来た素材を錬成して商品を生み出す。

 それを行商人の父に協力してもらって各所に売ってもらう。

 そうして少しずつ錬成師としてチョコの治療費を稼いでいった。


 とにかくがむしゃらだった。

 ここまでよくしてくれたチョコをなんとしても助けたかった。

 まだまだたくさん一緒の時間を過ごして、もっと錬成術のことを教えてもらいたかった。

 ショコラと仲直りするところを、元気な姿で見届けてほしかった。

 いつか自分に語った『アトリエを開く』という夢を、絶対に叶えてほしかった。




 ――それから一年半後。


 チョコはこの世を去った。


 その知らせに、クリムは頭の中が真っ白になった。

 チョコがいなくなった現実を受け入れることができなかった。

 もうあの人に錬成術を教えてもらうことができない。

 あの人に揶揄ってもらうこともできない。

 あの人の優しさに触れることもできない。

 尊敬するチョコに会うことができないと知った時、同時にクリムは自分の無力さを思い知った。


『僕がもっと、すごい錬成師だったら……』


 チョコの治療費だって集められたかもしれないのに。

 いや、それこそチョコの病気を治せる道具だって作れたかもしれないのだ。

 その悔しさと悲しさから、クリムは自室に閉じこもった。

 何をするでもなく、ただひたすらに泣き続けた。

 たった二年間の師弟関係ではあったが、クリムにとってチョコと過ごした時間はあまりにも濃密なものだった。


 それから数日が経った頃。

 ふと窓の外を見ると、ショコラがいることに気が付いた。

 彼女は青い花を手に、村の教会の方へと向かっていた。

 村の教会にチョコの墓ができたと聞いたので、おそらく墓参りをしに行くのだろうとクリムは思った。

 クリムはいまだにチョコの死を受け入れることができていないため、墓参りには行けていなかった。

 だから母の死にきちんと向き合っているショコラを、文字通り陰ながらすごいと思っていた。


 しかし、すぐに異変に気が付くことになる。

 ショコラは翌日も墓参りをしていた。

 また翌日も墓参りをしていた。

 毎日決まって夕方頃になると、青い花を持って教会へと向かっていた。

 明らかに様子がおかしかった。

 まるで魂が抜けてしまったかのように、常にぼんやりとしていた。

 まともに食事を取れていないのか、日に日にやつれているように見えた。

 父のカカオが止めに入る姿も何度か見た。

 それでもショコラは墓参りをやめようとはしなかった。


 その理由を、クリムは遅れて知ることになる。

 ショコラが供えに行っていた青い花を調べると、それは『夜光花(やこうばな)』と呼ばれるものだった。

 集めると死者の魂を呼び寄せると言われていて、逸話では死者を蘇らせたとも語られている。

 ショコラは母のチョコに帰って来てほしいからと、毎日夜光花を供え続けていたのだ。


『…………やめろよ』


 クリムは墓参りを続けるショコラを見たくなかった。

 諦めないショコラを見ていると、本当にチョコが帰って来るのではないかと思わされた。

 そんなはずないとわかっているのに、ほんの僅かな期待が心中に生まれてしまうのだ。

 何よりも、日を追うごとにやつれていくショコラの姿が、病気で少しずつ弱っていくチョコの姿と重なって見えてしまった。

 だからクリムは、我知らずショコラのことを止めに行っていた。

 墓参りに向かおうとする彼女をせき止めて、およそ二年振りにまともに言葉を交わした。


『そんなことしたって無駄だよ』


『無駄……?』


『ショコラの母親はもう死んだんだ。そんなことしたって死んだ人間は戻って来ることはないんだよ』


 まるで自分に言い聞かせるようにクリムは言った。

 自分が未熟なせいでチョコを死なせた憤りもあって、思わず言葉が強くなってしまった。

 これ以上、墓参りをするショコラを見たくない。

 チョコが帰って来るかもしれないという期待を抱きたくない。

 そんな気持ちから、つい心ない言葉を掛けてしまうと、ショコラは掠れた声でこう返してきた。


『あんたには関係ないでしょ。関係ない奴が、勝手に割り込んで来ないでよ』


 関係ない奴。

 ショコラにはチョコとの関係を話していなかったので、そう言われるのも仕方がない。

 それに繊細な今、心ない言葉を掛けてしまったのはクリムの方なので、非は完全にこちらにあると思った。

 けれど、自分にもチョコとの思い出がある中で、“関係ない奴”と言われるのはすごく悔しかった。

 加えていまだに墓参りを諦めようとしないショコラを見て、クリムはいよいよ彼女の手元から夜光花を取り上げた。


『無意味なことをやめろって言ってるんだ! 見てるこっちが苛つくんだよ!』


『あんたなんかに何がわかんのよ! お母さんのこと、なんにも知らないくせに!』


 なんにも知らないなんてことはない。

 自分だってチョコと過ごしてきた日々がある。

 知っていることだってたくさんあるんだ。

 それをショコラが知らないのは無理もないけれど、クリムは彼女の言葉を許せないと思ってしまった。

 今までのチョコとの修行の日々を、否定された気持ちになってしまったから。


 その日から、クリムとショコラは完全に絶縁した。

 クリムは後になって、ショコラに心ない言葉を掛けてしまったことを申し訳なく思った。

 けれどチョコとの関係を否定するような言葉が許せないのも事実で、再び『謝りたいけど謝れない状況』に陥ってしまう。

 きっとチョコが見ていたら悲しむと思ったので、ショコラとは早く仲直りがしたかった。

 そのためのきっかけを作ろうと思ったクリムは、あることを思いつく。


 ショコラが最も望んでいることは、大好きな母親のチョコが帰って来ること。

 しかしチョコを生き返らせることはできない。

 いくら錬成術を極めたところで、死者蘇生の道具を作ることは絶対にできないから。

 でも……


『……チョコさんがいたってことは、みんなに伝えることができる』


 自分が錬成師として名前をあげたら、師匠であるチョコの名前も同時に広まることになる。

 それでチョコ・ノワールという素晴らしい錬成師がいたということを、世間に伝えることができるのだ。

 生き返らせることはできないけれど、チョコという存在を皆の心に刻み込むことはできる。

 それが自分ができる、チョコへの精一杯の恩返し。

 同時に、ショコラへの罪滅ぼしにもなる。 


『僕は必ず、世界一の錬成師になる』


 それからクリムは、知見を深めるために行商人の父に同行することにした。

 様々な知識を持っていたチョコを見習って、各地を見て回りながら錬成師として腕を磨いていった。

 いつの日か、尊敬する師匠の名前を、皆に知ってもらえるように。


 これが錬成師クリムの、始まりの物語である。

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