第二十五話 「底知れぬ悪意」
「うぅ、さぶっ……!」
早朝のブールの森はかなり冷える。
もっと厚着にしてくればよかったと思いながら、私は傷薬の素材採取をしていた。
昨日は本当に失敗続きだったので、今朝はその遅れを取り戻すために朝から素材採取をしている。
まさかババロアのせいであんなに心を乱されるとは思わなかったなぁ。
クリムにも申し訳がない。
ただ、一晩寝たら気持ちがリセットできていたので、もう調子の崩れはないと思う。
試しに少しだけ武器錬成をしてみたけれど、問題なく錬成ができたし。
だから昨日の遅れを、今日中に一気に取り返そう。
「……早いとこ終わらせよ」
そして私は早くアトリエに戻るために、手足を忙しなく動かして素材採取を急いだのだった。
と、その時……
「……?」
なんとなく、後ろの方を振り返る。
別に、これに何か特別な意味があったわけではない。
気配や視線を感じたからとか、横目に何か見えたからとか、物音がしたからとかそういうことではない。
本当にただ、なんとなく、気まぐれに私は後ろを振り返った。
すると、そこには……
バンダナとマスクをした、見るからに怪しい男が立っていた。
「――っ!?」
茂みに隠れていたらしいそいつは、突如として大腕を広げて背後から襲いかかって来る。
間一髪で反応した私は、咄嗟にその場から飛び退いて男を躱した。
奴はこちらに視線を向けながら、マスク越しでもわかるほどの笑みを浮かべる。
「へぇ、結構すばしっこいじゃねえか」
「……だ、だれ?」
目を見張りながら驚いていると、今度は傍らの茂みが激しく揺れた。
そこから同じバンダナとマスクを着けた、体格のいい男が飛び出して来る。
私はその男もなんとか躱して距離を取ると、男たちを警戒するように身構えた。
人攫い? この森にそんなのが現れるなんて聞いたことないけど。
多大な違和感を覚えながら緊張の糸を張り巡らせていると、すぐに私の予想は間違っていたと思い知ることになる。
ある人物が、男たちの背後から姿を現した。
「ここにいたのか、ショコラ」
「……ババロア」
先日再会したばかりのババロア・ナスティ。
奴が登場したことによって、私の中にあった疑問がいくつも解消された。
突然現れた野蛮な男たち。
こいつらは不自然なくらい気配と足音がしなかった。
間違いなく“特殊な力”を使ってこちらに忍び寄って来たと思われる。
そういった類の魔法は知らないので、おそらく錬成武具を使っているのだろうと私は考えた。
怪しいのはあのバンダナとマスクだろうか。
しかしただのごろつきがそんな特殊な錬成道具を用意できるとは思えなかったので、ババロアという回答が出て来たことで私は人知れず納得した。
ババロアの差し金なら、特殊な錬成武具を持っていても何ら不思議はない。
おまけにババロアの後ろには同じような男たちが何人もいて、各々下品な笑い声を漏らしている。
「……どういうつもりよ、ババロア」
「聞き分けが悪いお前に、少し灸を据えようと思ってな」
ババロアは金髪を掻き上げながら、呆れたように肩をすくめた。
「素直に言うことを聞いていれば、このような強引な手に出ることもなかったんだがな。今ならまだ、地べたに頭を擦りつけて謝れば許してやらんこともない」
「昨日も言ったでしょ。私はあんたのアトリエになんか絶対に戻らないって」
改めてババロアを拒絶する。
私はなんと言われようともあのアトリエに戻るつもりは一切ない。
ごろつきをチラつかされて脅されても、私は確固たる意思でかぶりを振り続けた。
「なら仕方ないな。自らのその愚かさを痛感するがいい」
ババロアはそう言いながら、不意に懐に手を入れる。
そこから取り出されたのは、銀色のアクセサリーのようなものだった。
よくよく見ると、それは花模様がついた首飾りで、見覚えのあるそれに私はハッと息を呑む。
「それって……」
前にババロアが錬成術で作っていた『銀華の首飾り』だ。
確か、不本意な性質が付いてしまって売り物にならなかったものが一つだけあった気がする。
その性質の名前は……『呪縛』。
◇銀華の首飾り
詳細:銀切華を素材にした首飾り
美しい銀色の輝きが特徴となっている
身に付けている者に良縁を呼び込むとされている
状態:最良
性質:呪縛(S)
呪縛の性質を付与された装備は、装備者の意思で着脱ができないようになっている。
それを手がけた錬成師の意思でのみ取り外すことが可能で、普通の装飾品として扱うことができない。
さらには錬成師の意思に応じて、装備者に呪いを付与することもできるそうだ。
だから一般的にこの性質は、捕らえた魔物や動物を大人しくさせるために使われることが多い。
それが依頼品の首飾りに宿ってしまったばかりに、売り物にすることができなかったのだ。
ババロアの意思で苦しみを与えることができる、着脱不可能の呪いの首飾り。
「……それで私を脅すつもり?」
「脅す? 何を勘違いしている。これは躾のなっていない飼い犬を大人しくさせるための“首輪”だ」
ババロアはその首飾りを指にかけて、指先でくるくると弄ぶ。
そして不気味な笑みを浮かべると、鋭い目つきでこちらを射抜いてきた。
「これをつけて、一生俺の元で飼い慣らしてやる! お前は俺のために素材を集めるだけの忠実な犬なんだよ!」
瞬間、ババロアの声に呼応するように、バンダナとマスクを着けた男たちが迫って来る。
その光景を目の当たりにした私は、静かに拳を握りしめて呟いた。
「……そう」
こいつらはおそらく、ババロアに雇われたならず者たちだろう。
自分一人では私を捕らえられないと思ったから、確実に捕縛するために応援を用意したのだと思う。
いや、そもそもこのようなことに手を貸している時点で咎人であることに違いはない。
だったらもう、遠慮は無用だ。
私は握っていた右拳を開いて前に向けると、全力で迎え撃つことを決意した。
「【鋭利な旋風――反逆の魂を――すべて切り裂け】――【風刃】!」
刹那、右手を中心に緑色の魔法陣が展開される。
中央から新緑の光と風の刃が吹き荒れると、ならず者たちに向けて高速で飛来した。
「うっ……!」
奴らは服や髪を掠めながら、紙一重で風の刃を回避する。
一部、連中の持っていた剣や槍などを切断し、その威力に奴らは笑みを捨て去った。
「な、なんつー威力の魔法だよ……!」
「気を付けろお前ら! こいつただの女じゃねえ!」
ババロアも驚いたように目を丸くする中、私は続け様に式句を唱える。
「【地を揺らす落雷――見上げる愚者どもを――まとめて消し飛ばせ】――【雷槍】!」
今度は右手に黄金色の魔法陣が展開される。
そこから超速度の稲妻が迸り、前方に立っていたならず者たちを瞬く間に貫いた。
「ぐああああっ!!!」
バチバチッと全身を痺れさせながら、男たちが地面に倒れていく。
装備を見る限り、錬成術で作られた錬成防具だと思う。
だからある程度は魔法の威力を軽減できると思って全力で放ってみたが、その予想は当たっていたようで程よく鎮圧することができた。
「な、なんなんだ、この強さは……!? なぜショコラに、これほどの力が……」
ババロアは理解が追いついていないように頭を抱えている。
私はその様子を見て思わず呆れてしまい、嘲笑まじりにババロアに返した。
「『なぜ』って、あれだけ魔物討伐させられてたら当然でしょ。私がこの三年間、どれだけの数の魔物と戦ってきたと思ってるのよ」
それを知らないババロアではあるまい。
私に過剰な魔物討伐を強制させていたのは他でもない、このババロア本人なのだから。
今さらごろつき連中に遅れを取るはずもなく、私は鋭い視線でババロアたちを睨みつけた。
「全員容赦しないわよ。このことを教会で裁いてもらって、全員牢獄に叩き込んでやるから」
「くっ――!」
改めて右手を構えると、奴らは怯えるようにして顔をしかめた。
私は全員を無力化するべく、魔法の式句を唱えようとする。
しかし、その時……
ガサッ! と遠くの方から音が聞こえてきた。
振り向くとそこには、森の道を進んでいる馬車がある。
その馬車には男女の二人組と十歳前後の少女が乗っていた。
おそらく子連れの商人夫婦だろうか。
と、思ったその瞬間には、一人の人物が動き出していた。
先ほどまで焦燥した顔をしていたババロアが、不敵に笑いながら子連れ夫婦の元に走り出している。
いったい何を……と考えている間に、ババロアは商人夫婦のうちの女性の方に腕を伸ばし、彼女を連れ去って馬車から距離を取った。
そして女性の首を腕で締め上げて、同時に反対の手でナイフを構えると、血走った目で私の方を睨みつけてくる。
「この女を殺されたくなかったら、大人しく俺の言うことを聞くんだショコラ!」
「……ババロア」
よもやそこまでするかと驚愕してしまう。
まったく関係のない人物まで巻き込んで、人質にするなんて。
そうまでして私を従わせたいのか。
もはや後戻りできない場所まで来てしまい、暴走しているようにしか見えない。
「だ、誰ですかあなた……!? いったいどうしてこんなことを……」
「つ、妻を放してくれ! 積み荷だったらいくらでもやるから……!」
「黙れ! お前たちも大人しくしておくんだ!」
ババロアは聞く耳を持たず、怒り狂ったように息を荒々しく吐いている。
激昂したあの様子からすると、本当に何をするかわかったものではない。
早く助けてあげないといけないが、この距離から魔法を撃って女性を無事に救い出せる保証はない。
下手をすれば何かの拍子でナイフを刺されてしまうかも……
そう思うとこの場から動くことができず、私は固まってしまった。
「さあ、この首輪をかけて、俺のアトリエに戻って来ると誓え! 一生俺の奴隷としてつき従うと言うんだ!」
ババロアが首飾りを放り投げて、私の足元まで寄越してくる。
すぐ近くに落ちた銀華の首飾りを見下ろしながら、私は密かに奥歯を食いしばった。
これをつければ、今後私の意思で着脱ができなくなる。
そしてババロアの意思で呪いによる苦しみが襲いかかってくるようになってしまうのだ。
まさに対象を苦しめてつき従わせることができる『奴隷の首輪』。
とてもじゃないけどつけられたものではない。しかし……
「ほらさっさとしろ! この女がどうなってもいいのか!」
「……」
この首飾りをつけなければ、関係のないあの女性が傷付けられてしまう。
私のせいで、見知らぬ誰かが……
「お母さん……! お母さん……!」
「――っ!」
女性の娘さんと思われる少女が涙声を響かせて、私は唇を噛み締めた。
母親を幼い頃に亡くしている私にとって、この状況はひどく苦しいものに感じてしまう。
「私は、まだ……」
あのアトリエで、やらなきゃいけないことがあるのに。
あの天才を、もっと近くで見ていたい。
あの人からしか学べないことが、きっとまだまだたくさんあるはずだから。
しかしその願いは叶わないと言うように、ババロアの不気味な笑みが私の視界に映り込む。
これ以上はババロアの気が持たないと思った私は、致し方なく首飾りに手を伸ばした。
冷たく細い銀色の鎖が、私の首にゆっくりと迫っていく。
刹那――
目の前に、“氷”の景色が広がった。
「えっ……」
森の奥から迸った“氷”が、周りの草木を一瞬にして凍りつかせた。
それによってババロアの体も氷で縛られて、とらわれていた女性が唐突に解放される。
女性の体を避けるようにしてババロアの体が凍ったため、女性は慌てて家族の元へと戻って行った。
親子連れがお礼を言いながら逃げ去って行く姿を見ていると、森の奥から一人の青年が歩いて来る。
「随分と賑やかなことになってるね」
中性的な顔立ちと銀色の髪。
くっきりとした碧眼に長いまつ毛。
白を基調としたコートを靡かせながら、青白い輝きを放つ長剣を持つその青年は……
「僕のところの手伝いに、何か用か」
私の幼馴染の、クリム・シュクレだった。