第二十六話 黒鯨革命
首都ベインから北上する事、約4時間ほどの場所にエレナ達は軟禁された。
そこは100年以上前に放棄された戦闘用の要塞であり、恐らくは基地として未だ利用可能である事から、その場所が選ばれたのであろう。
周囲を城壁と無数の警備兵達に囲まれ、また360度に特別な防護術式を張り巡らし、既に立てこもる準備は既にできている様子である。
「よし、全員ここにいろ」
銃を突きつけられながら、教会の人間達は兵士たちの居住スペースらしき場所へ案内された。
「大人しくここにいりゃあ、手出しはしねぇ。ただ、変な真似をしたら、最悪命の保証が出来ねぇぞ」
その言葉に、教会の人間全員が震え上がった。
普段から永久中立勢として、他方からの攻撃などない事を常に保証されて生きてきたのだ。皆が狼狽するも致し方ない事ではあった。
「な、なぁ、頼む! 命だけは助けてくれ、妻と子供が…」
「うるせぇ!」
友愛会医師の懇願を、兵士が銃を突きつけて拒否した。
「あんまり煩くても、痛い目見るかもしれねぇぜ」
一気に水を打ったように静かになった。
「さて、こいつら全員ここに押し込めときゃ良いんですよね?」
「ええ。でも、そこの女だけは違うわ」
イリーナはエレナを指差した。
「そこの女はコーヴィック家の出身よ。なら人質としても価値が一段上になる。一緒について来てもらうわ」
周囲の兵達に警戒しながらも、エレナは立ち上がった。
後ろから銃を突きつけられながら、エレナは廊下を歩いていた。
「教会の人間にこんな真似をするなんて…ただじゃ済まないわよ」
「だからどうしたというの? 私たちモナドは、全世界を相手に戦う力を手に入れた。だから反抗するまでよ」
その口振りも表情も、全てがエレナの知るイリーナ・サラメと一致しなかった。常に無邪気に笑い、年相応の少女のような話題で盛り上がっていた彼女と、目の前の人間を丸で虫のように冷酷な目で見据え、一切温かみのない声色で部下に命令する彼女は、まるで別人に見えた。
通された部屋にはニコラス王子が既に捕縛され、壁に力無く寄りかかっていた。軽く暴行を受けたのであろう、口の端が多少切れ、身体の幾つかに痣があった。
「ニコラス殿下‼︎」
「う…き、君は…コーヴィック家の…」
「大丈夫ですか、今お傷の手当てを…」
軽い治癒魔法で、直ぐにニコラスの傷は回復した。
「おい、てめぇ勝手な真似を…」
「よしなさい。人質はギリギリまで無傷に近い方がいいわ」
銃を突きつけかけられたが、イリーナの制止によって止められた。
「貴女達、正気なの⁉︎ 王族や教会の人間まで人質に取るなんて…王国軍やルークスナイツ全てを敵に回すなんて、確実に全員殺されるわ‼︎」
「我々だって、勝算が無ければここまでの事はしないわよ。さて、中継はつながっているかしら?」
「はっ! 既に準備は整っております」
「よし、始めるわよ」
イリーナの声は、全世界に届けられた。人々の通信術式に強制介入し、モナドの声明は人々の間を駆け巡った。
『人類諸君、ご機嫌よう。我々は旧ティアーノ特務諜報部隊・モナドである。知っての通り、我々はティアーノにいるエレナ・コーヴィックを初めとした友愛会スタッフ、そしてアズリエル王国第一王子ニコラスを手中に収めている。それを前提として、我々の要求を言おう』
一間を置いて、その言葉は発せられた。
『一つ目は西側大陸における全ての戦闘行為の中止、およびアズリエル・シーア連合軍の即時撤退。二つ目は、ティアーノや東アガルタ連合への不平等条約を全面撤回する事。三つ目はアズリエル王国、シーア公国といった純粋種国家を対象とした完全なる軍備放棄。そして四つ目、これが最も重要だ。各国家の元首に亜人を据える、即ち非純粋種による世界の支配である。
これらを24時間以内に呑まない場合、我々はアズリエル王国より押収したありとあらゆる破壊魔法を使い、貴君らを強制的に粛清する。それがハッタリでないことを、この場でお見せしよう』
音声のみであった通信に、突如として映像が映った。それはティアーノに駐留しているアズリエル王国軍の基地が上空から映し出されていた。治安維持を名目とした暴力を日常的に市民に振るっており、ティアーノ国民からは嫌悪の対象である。
『まずは、彼らに償いも兼ねて、我々の本気を示そう』
イリーナはパチンと指を鳴らした。上空に術式が浮かんだかと思えば、突如として映像が一気に光に包まれた。轟音が鳴り響き、映像が眩い光で満たされた。そしてその数秒後には、目を覆うような光景が広がっていた。
爆心地と思しき場所には巨大なクレーターが出来、その周囲は瓦礫の山となっていた。そこにいたはずの人々は亡骸さえ残さず、ただ壁に影のような付着物を残すのみであった。
『これは光の増幅と凝縮を自在に行う事により、広範囲を超高温度で焼き尽くす大量破壊魔法である。アズリエル王国軍はこの魔法を用い、全世界の亜人種たちを焼き尽くそうと企んでいたようだが、そうはいかない。
モナドはその理想に反する如何なる者にも容赦しない。世界の全てを敵に回す覚悟が我々にはある。こちらに抵抗の意思を示した場合、人質は全員皆殺しの上、貴君らへの粛清を即時決定する。命が惜しくば、賢明な判断をする事だ』
そう言い残し、通信は切れた。
猛スピードでティアーノに向かう飛空挺の中、レイとサリーは唖然としていた。
「ば、バカな! あいつら、本当に全世界を敵に回しやがったぞ⁉︎」
「なんて事だ…これじゃあ状況が悪化するばかりだ!」
彼らは間違いなく、自分達以外の全ての国を敵に回した。永久中立国であるアルマ教主国を含めてである。それはかつての南北戦役を超える世界対戦の幕開けであり、それが数え切れないほどの犠牲者を出す事は明白だ。
やがてサリーに緊急コールが鳴り始めた。相手はケルビン・ラマー教皇であり、レイたちは直ぐに対応せざるを得なかった。
『二人とも、ご苦労だな』
「「はっ‼︎」」
レイとサリーを含めた全員がその場に跪き、首を垂れた。
『貴君らも聞いた通り、彼奴らは我々を含めた全てに宣戦布告を行なった。こうなれば私にも止める術はない…枢機卿たちの赴くまま、教会はルークスナイツの全兵力をティアーノへ差し向けるだろう』
「はい…」
レイは拳を握りしめた。これまでの彼の行動は、こうした事態を避けるためのものであった。それが今や、全面戦争へと発展しようとしている。
『サリー。全員ティアーノへ向かう最中であり、到着までは後数刻といったところだな』
「はっ」
『おそらく軍の編成が終わり次第、世界中の軍隊が総力を挙げてティアーノを叩き潰す。そうなればもうお終いだ。今の奴らは何も恐れてはいない。全てを殺し尽くすまで終わらんだろう。
恐らくタイムリミットは日没だ。奴らの魔法は光を集めて、高出力の熱線を照射するもの。ともなれば、最も光が陰る夜にこそ、その魔法を行使するのに大量の魔力を消費するはず…各国の軍の見方も同じだろう。
誰よりもティアーノに近いのは、貴君らだ。日が落ちる前に、何としてもこの動乱を収めてほしい。恐らく、レイ・デズモンドならば出来るはずだ』
「はっ! 何としても、この戦いを止めて参ります」
『頼んだぞ。余計な血を流させてはならぬ。エレナの救出とこの戦いの終結…その両方を行える者は、この世でただ一人だけだ。忘れるでないぞ』
そう言い残して、通信は打ち切られた。
「とんでもねぇ事になっちまったぜ。まさかここまで事が大きくなるとは」
立ち上がり。サリーが呟いた。
「全くだな…俺も想像していなかったよ」
言葉通り、レイも全く想像が及ぶところで無かった。それが後世、それが起こった月、黒鯨の月(三月)になぞらえて"黒鯨革命"と呼ばれる事も。




