第九話 悔恨
「聖ミロワは何時如何なる時も、我らも見守っておられます。
良き行い、悪しき行い…その全てに報い、裁くのもそうです。
今、その罪を告白し、報いる時です」
そして端から順に告白が始まった。
「私は南方戦線に従軍し、そこで多くの人間を殺しました…」
「半年前まで、ディミトリ自治区国境線警備隊として、特攻兵の少年少女達を射殺しました…」
それぞれが過去の過ちを打ち明け始めた。
皆違う戦場にいたようだが、告白の内容は似偏っている。
敵兵を何十人射殺した、民間人を誤射した、年端もいかない子供達を犠牲にした…その一つ一つは、レイにも心当たりがあった。
「さぁ、あんたの番だ」
「俺?」
「告白をするためにここにいるんじゃないか?」
レイは返答に窮した。
自分はたまたま居合わせただけであり、参加する意志はない。
しかし胸の内に秘めた物を確実に抱えており、それを否定することは出来なかった。
「…大体はみんなと一緒だよ。敵兵を殺して、民間人を殺して…」
しかし隣の男は首を振った。
「参加するのは初めてだろ? なら、詳しく話した方がいい」
それは勇気のいることだった。
過去の古傷に真っ向から向き合う行為だからである。
しかし彼等がその勇気を見せたからこそ、逃げるわけにはいかなかった。
レイは両手を組み、そして告白を始めた。
「…告白します。
私はディミトリ自治区制圧の為の最前線にいました。
多くの敵が襲って来ました。そして同じ部隊の仲間が一人犠牲になりました。
それだけじゃない、敵味方共に泥沼の戦いが何度も何度も繰り返され、何百人の犠牲が出ました。
その中で、民間人の集落を強襲するという命令まで下され、その報復に来た者たちさえも、我々は殺しました。
大国のエゴに踊らされ…俺は多くの人間を殺した。そんな風に敵を殺せても、仲間を守る事は出来なかった」
何時しかレイは、額を地に押し当てていた。
「神よ…大いなるアドナイ、そして導き手たる聖ミロワよ…私は醜く、脆弱で、矮小で、非力で…何も出来ない人間です。
この虚飾の勇者を、世界から利用されるだけのレイ・デズモンドを、どうかお許しください…」
涙が溢れた。
自らの無力さが呪わしかった。
もうレイの周りには、誰もいないのだ。
エレナも、ライリーも、ジャマールも、リナも、マリアも、皆手の届かない場所にいる。
それを止める事が出来なかった。
気付くとレイの前に、シスターが立っていた。
「…あなたの罪が消えるわけではありません。
そして過去を変えることも出来ません。
ですがその罪を購えるよう私は、そしてここにいる皆は祈ります」
彼女を含めた皆が祈りを捧げた。
それはレイのためであり、そしてそこにいる皆のためでもあった。
しばしの沈黙の後、シスターは立ち上がり、皆に告げた。
「これで告白の時間を終わります。では、聖書の音読に移ります。レイさんは、隣の人を借りてくださいね」
そして礼拝は終わり、皆は帰路に着き始めていた。
「ありがとう、世話になった」
「どういたしまして。あと、専門のお医者様の所にちゃんと行ってくださいね。
私は応急処置をしただけで、専門のアルコール中毒治療をしないと本当に死んじゃいますよ!」
「わかってるよ…ところで、何時もこの時間に礼拝はやってるのか?」
「ええ、そうですよ」
「…また参加していいかな?」
すると彼女は優しく微笑んだ。
「いいですよ。誰にだって、教会の門は開いてますから」
「そうか…ありがとう」
帰り道の途中まで、レイは一緒に礼拝に参加していた男と一緒だった。
別の慰安所にいるそうだが、道順が途中までは同じらしい。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「なんだい?」
「あんたは…あそこに行って、救われたのか?」
どうしても問いたい事であった。
皆一様に傷を抱えてはいるものの、どこか安らかな面立ちだ。
「どうだろうな…シスターも言っていたが、過去は変わらない。
でも向き合って、徐々に折り合いを付けていったやつもいる。
そうしてここを出ていった奴も多い。なんとか普通の世界に戻れたんだ。
だから俺も、できる限りのことをしたいんだ」
「…そうか」
そしてレイは、定期的に礼拝に参加するようになっていった。
教会には同じような境遇の仲間がいた。
それが彼の孤独を徐々に癒していった。
またシスターの言いつけを守り、専門医の診察も受けた。
医者曰く、まだ軽度の中毒で済んだようだ。
この程度なら短期で治療は済むらしい。
徐々にではあるが、レイの中毒症状も治っていった。
そして一年の時が流れ。
レイは徐々に日常生活を取り戻しつつあった。
悪夢にうなされる回数も減っていき、酒に依存することもなくなっていった。
そしてレイは教会のドアを叩いた。
「あら、レイさん。今日は早いんですね」
「ええ、まあ…早く目が覚めたもんで」
そうしてレイは、椅子に腰掛けた。
シスターはそんな彼を微笑みながら見つめた。
「大分顔色も良くなりましたね。
最初に会った時は、血の気が一切ありませんでしたから」
「シスター・アイリのおかげです。
ここに通うようになったから、俺はここまで回復することが出来たんですよ」
アイリ・カミール、それが彼女の名前だった。
常にレイを含めた帰還兵の懺悔を聞き、共に祈りを捧げ、皆の心の傷に寄り添う。
そんな彼女がいたからこそ、レイは立ち直る事が出来たのを自覚していた。
(…従軍しなければ、エレナもこんな風に日々を過ごしていたんだろうか)
いつしかレイは、アイリにエレナの面影を感じ始めていた。
宗教に仕える者という共通点もあってか、その微笑みにエレナにも通じる慈愛を感じた。
(まだ彼女は、眠ったままなのか…)
未だ彼女は植物状態のまま、教会本部に保護されながら眠っているはずだった。
エレナに想いを馳せるたび、心が痛んだ。
「…? どうしました?」
アイリが心配そうにレイの顔を覗き込んでいた。
「ああ、いえ…なんでもないんです」
「また、仲間の人たちの事を考えていたんですか?」
「…お見通しですか」
彼女はレイの隣に腰掛けた。
「あまり思い出しすぎるのも良くありませんよ。
忘れることは出来ませんけど、過去に囚われすぎても何も出来ません」
「わかっていますよ」
「レイさんは、ここを出たら何がしたいとか、ありませんか?」
「…どうだろうな」
皆目見当もつかなかった。
思えば兵役についていた頃から除隊後の人生など考えた事もなかったし、考える時間もなかった。
そもそもこうして第二の人生さえ誰かに与えられたものに過ぎず、最初の人生さえ無目的に毎日を過ごすだけだったのだ。
これからの何をやりたいか、どんな人生を送りたいかを見つけるには、まだ時間必要であった。
「…とりあえずは、悪夢にうなされないようになることが目標ですかね」
「そうですか…じゃあ、今日も礼拝を頑張らないといけませんね」
アイリは微笑んだ。
その顔を見るたび、胸の奥が締め付けられるような感覚に陥った。
レイ自身にも自覚がある、レイはアイリを大切に思い始めている。
そしてその理由が、彼女がエレナと重なるからだという事も。
しかし、その想いを伝える事は出来なかった。
(彼女は、俺だけのものじゃない…)
ここの帰還兵全ての希望である彼女を、自分一人が独占するわけにはいかない。
それ以上に、アイリを愛するという事は、同時にエレナの亡霊を追い続ける事と同義だと感じていたからだ。
きっとアイリがレイを受け入れてくれても、何処かレイは虚無と悲哀を感じながら生きていく事になるだろう。
それはアイリに対しても不誠実に感じられた。




