表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

126/147

2.持てる者、持たざる者


 その大男に案内されるまま、イブラヒムは奥の方まで歩みを続けた。そこら中に奴隷を収める檻は散らばっており、その静けさは却って不気味に感じられた。


「あんた、貴族の坊ちゃんだな」

「…わかるのか?」

「身なりで分かる。しかも相当良い身分だな。あんた、いいタイミングで来たよ」


 奴隷商と思しき大男は、その威圧的な顔にニヤニヤと笑みを浮かべた。


「さあ、ご覧くだせぇ。こいつぁ亜人奴隷の中でも、滅多に見ることが出来ねぇシロモンだ」


 奴隷商がベールを剥がすと、そこにあったものにイブラヒムは我が目を疑った。そこに入れられていたのは、獣の様な耳も角も持たない、ほとんど純粋種の人間と変わらないような女だった。唯一彼女を亜人たらしめるものといえば、腕や背にいくつか残る鱗のようなものだった。鈍く輝くそれは、まるでガンメタルの蛇の皮膚に近かった。

そしてその首筋には、奴隷としての紋章があった。まだ刻まれて間もないのだろう、火傷の様に少し膨れ上がっているようだ。


「こいつは…」

「亜人の中でも特に珍しい、有鱗族…つまりドラゴンの遺伝子が入ってるってやつだ。こいつの生命力は筋金入りで、寿命は200年を軽く越える。

 身体能力や魔力、魔力係数がドラゴン並みに高いから、用心棒に使うも良し。なかなかの美人だから、夜のお相手につかうのも自由だ。ウロコにさえ目を瞑れば、そこらへんの上物の女と変わらねぇ。楽しめますぜ」


 奴隷商の言うとおり、彼女は控えめにも見ても相当に美しいとイブラヒムは感じた。長く黒い髪に緑色の両眼、抜けるように白い肌、すらりと伸びた四肢は息を飲む程だった。


「確かに上玉の女のようだな…で、値段はどのくらいなんだ?」

「そうだな…金貨50枚でどうだい?」

「ああ、いいぞ。なんだ、たったそれだけで良いのか」


 イブラヒムは、金貨が優に100枚以上は入った麻袋を奴隷商に手渡した。そのずっしりとした重さに、奴隷商は呆気にとられたような顔をした。


「釣りは要らないぞ」

「こ、こりゃあ…いいのかい?」

「構わないさ。この女にはその位の価値がある。間違いはないよ」


 イブラヒムは折の中でじっと蹲っている彼女を見つめた。


「お前、名前は何だ?」

「……ユーリ・カミールです」


 彼女は静かに、そう答えた。その声色からは一切の感情が消え失せたようでもあった。


「よし、決まりだな! 行くぞ、ユーリ。おい、彼女をこの檻から出してやってくれ」





 二人は表通りを歩いていた。主人であるイブラヒムが前を歩き、後ろにユーリが控えている様は、典型的な貴族とその奴隷の構図であった。ユーリはその間ずっと俯き加減で、全くの無表情だった。


「もう俺に買われたからには、心配いらないぞ。そんなボロ切れ同然の服よりも、もっと上等なものを用意してやる」

「…そうですか」


 イブラヒムの横に付き従えている間、ユーリは一切表情を動かさなかった。まるで一切の感情が彼女の中から抜け落ちてしまっているような、側から見ればそんな印象さえ覚えた。そのことにイブラヒムは違和感を覚えつつも、得意満面の笑みを浮かべ続けた。


「まぁいい。今に俺を選ばれた事が、どれだけ幸運かということが今にわかる」

「……」


 ユーリの顔は固まったままであった。





「おい、帰ったぞ」


 イブラヒムが帰ってくると同時に、主人を出迎えるために、一瞬にして数人のメイドが駆けつけた。主人に付き従う奴隷の身分としては、当然のことであった。しかしこの日だけは、イブラヒムは少しだけ違和感を覚えた。出迎えるメイドの数が、いつもに比べて少々少ないようだった。


「…? おい、なんか数が少なくないか?」


 そう問いかけると、メイドの一人が沈痛な面持ちで俯いた。


「はい…4人ほど、昨日の晩に倒れました。もう二日間ほど何も食べておりませんでしたのと、ほとんど眠っておりませんでしたので…」

「ちっ…使えない。さっさと直さないと、殺すぞと伝えておけ!」


 イブラヒムは不快感を露わにしながら、舌打ちした。奴隷というのは一応生物に区分されるので、酷使し続ければ倒れてしまう。しかし奴隷の面倒を見て体調を維持させるのも、殺して新しい奴隷を購入するのにも金は掛かる。それ故に貴族社会に於いて、奴隷を維持し続けることは常に付き纏い続ける課題だった。


「とりあえず、こいつは新入りだ。俺の専属だから、新しいドレスに着替えさせた後、俺の部屋まで連れて来い」

「はい、イブラヒム様」

「さぁ、こっちよ…」


 亜人のメイドに手を引かれ、ユーリは別室へと連れ去られていくのだった。




 数十分の後に、イブラヒムの自室のドアをノックする音が響いた。


「私です…ユーリです」

「お、準備ができたか? 入って来い」


 ドアが開き、すっかり小綺麗になったユーリが現れた。創造していた通り、彼女のすらりと伸びた手足には、上質な布のドレスは非常に映えた。シャワーも浴びてきたのだろう、体の汚れも全て落とし切り、今や体から石鹸の香りすら漂わせていた。


「見違えたじゃないか。ほら、そこを見な」


 イブラヒムは部屋の端の方を顎でしゃくった。そこには簡素ではあるがベッドがあり、その上にはイブラヒムたちが口にしている程では無いが、なかなかに豪華な食事がドレーの上に並べられていた。


「普通の奴隷だったら、絶対に口にすることが出来ないぞ。それに、大体の奴隷は地べたで寝てるんだ。さぁ、早く食べな」

「…はい。ありがとうございます」


 その食事が並べられた所に座り込むと、ユーリは少しずづ食事を取り始めた。


「うまいか?」

「…はい」


 言葉とは裏腹に、ユーリの顔には一切の感動が無かった。眉一つ動かさないまま、ただ黙々と食事を口に運び続けるだけであった。

 その様子に、イブラヒムは徐々に苛立ちを覚え始めていた。


「…おい、さっきから何故そう無愛想なんだ」

「嬉しくも何ともないからです」

「な、なんだと⁉︎」


 イブラヒムは立ち上がった。自分が食事や服、寝床に至るまで用意してやったというのに、この女はどれだけ恩知らずだと言うのか。すぐにユーリの元に駆け寄り、顔を平手で叩いた。


「貴様…これだけ俺がモノをくれてやっても、何とも思わないのか⁉︎」

「はい」

「奴隷の分際で、傲慢な!」


 イブラヒムは再びユーリを平手打ちした。


「なら問いますが、食事や寝床や服を恵んでやれば、私が心から貴方を愛し、股を開くとお思いですか?」

「…⁉︎」


 ユーリは冷たい目をイブラヒムに向けた。


「どれだけ与えられても私は奴隷…"人間”ではなく"物”として扱われるのです。今は寵愛を受けていても、他にまた美しい奴隷が現れれば、私は用済みとばかりに捨てられるでしょう。奴隷が生かすも殺すも、持ち主次第なのですから。

 どれだけ恩を着せられても、私は奴隷に過ぎない。ただ誰かの為だけに生きる道具に変わりはない。そこに人間としての尊厳は無い…そんな状況で『ご主人様、ありがとうございます。心よりお慕い申し上げます』などと言えると思いますか?

 結局のところ、私は奴隷で貴方が主人であり続ける限り、私が貴方に心を開くなど有り得ない。ご理解ください」

「こ…このっ、生意気な口をっ‼︎」


 イブラヒムは、力任せにユーリのドレスを引き千切った。ユーリの艶やかな肌と、宝石を散りばめられたような色鮮やかな鱗が剥き出しになったが、それでもユーリは動じなかった。


「私を穢したければ、どうぞ。殺したければ殺して頂いて構いません。でも、いくら貴方が貴族でも、私の心までは奪えない。私は人間です。誇りと尊厳を持った、一人の人間なのですから」

「ふざけるなっ!」


 今度は握り拳でユーリの頬を殴った。彼女の体は倒れ、口の端からは血が出ていた。


「誰か来い! こいつを懲罰部屋まで連れて行け‼︎」


 すぐにメイドが駆けつけ、ユーリをすぐに引っ張っていった。その間、イブラヒムは怒りで肩を震わせていた。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ