48♪ 母さん
「は……? いま、なんていうたん?」
オレの言葉に、母さんが目を丸くする。でも、オレの意志は固い。
「オレ……島根大学を受験する」
「何を言うてんの!」
バン!とテーブルを叩く音がした。幸い、リビングにはオレと母さんしかおらへん。少々大声を出そうが大きい音を立てようが、大丈夫や。
「何をって……言うたとおりです」
「そういうことを聞いてるんとちゃうの! アンタ、島根大学ってどんなトコかわかってんの!?」
わかってる。島根大学は、国立大学。オレは将来、小学校の先生になりたいって思ってる。そのためには、教育学部にいく必要がある。それやったら何も別に、島根県じゃなくって、関東圏の大学にでも行けばいいって言う人も、いっぱいおった。実際、クラスメイトもそう言うヤツはいっぱいおったし、オレの幼なじみの佐野 修平、竹林 泰徳もそう言うた。それだけやない。吹奏楽部の同期でも、田中っち、大谷ちゃん、宮部っちがそう言うた。でも、オレは島根県やないとアカン。
なんでか?
いま、それを母さんに聞かれた。
「そもそも、なんで島根やないとアカンわけ?」
「……言うても、母さんは反対するに決まってるもん」
「そんな……。初めっからそない決め付けんと、言うてみてよ」
ガクンとうなだれて、母さんは椅子に座り込んだ。
「わかった」
オレは島根大学を受けたい理由を言うた。
島根県だけでなく、他の地域でもここ最近、市町村合併がいっぱいある。島根県も例に漏れず、市町村合併があった。そのうちのひとつが、島根県 桜田市。2007年、今年できたてホヤホヤの新しい市や。
市になるってことは、人口が増えてるってこと。桜田市は特に、マンションや住宅街の建設ラッシュやそうで、子供の人口が爆発的に増えたらしい。新しい高校や中学校、小学校ができるくらいやもん。
そんで、新しい学校には先生が必要らしい。特に今後4年で、今の3割増しくらいに桜田市の人口は増えるって聞いてる。安易な考え方かもしれへんけど、単純に考えると、子供の人口も増加するってことや。
そうなるとやっぱり先生の数も必要になってくる。おまけに、団塊の世代の退職で、先生の数は今後減るらしい。これは確実。やのに、子供の数は増える。つまり、今後先生が必要になってくるっていうわけ。オレはそういう、ホンマに必要とされてるところで、先生になって、子供たちを教えたい。オレはそう言うた。
「せやからって……なんで島根やのん」
「いま言うたやん。オレは、必要とされてるとこで先生になりたい」
「……神奈川じゃ、アカンの?」
「神奈川はいっぱい先生おる。でも、島根のこの桜田市みたいに、必要とされてるところには全然足りてへんねん。せやから……」
「でも、大学から島根に行くんやろ?」
「うん」
「一人暮らしすんの?」
「うん」
「料理とか……どないすんの」
確かにオレが一人暮らしをするって言うたら、佐野家の人間だけでなく、親戚中がビックリすると思う。オレは全然料理なんかできへん。掃除も下手っくそで、自分の部屋には綿ほこりがフワフワ。陽乃と付き合うようになって、彼女を部屋に入れることが増えてからはある程度、掃除するけどすぐグチャグチャ。
前に、電子レンジで卵をチンして爆発させた時にはめちゃめちゃ母さんに叱られた。
洗濯もアカン。洗濯機に任せりゃ問題ないんやろうけど、その洗う物にオレはティッシュ入れっぱなしにしてたり、ゴミ入れっぱなしにしてたりしてよく洗濯物にそれらを絡みつかせてしまう。
オレを一人暮らしさせるくらいなら、ワンちゃんやニャンコを放し飼いにしておくほうが、まだ安全かもしれへん。
これはちょっと言いすぎやけど。
「練習する」
「いつよ?」
「今から」
「勉強はどないすんの? 偏差値、どんだけいるかわかってんの?」
わかってる。全部、自分で調べた。オレと島根大学の教育学部の偏差値は、10ほど隔たりがある。もちろん、オレのほうが下。
「毎日勉強する」
「クラブやってるんでしょ? 晩、帰るの遅いやないの」
「予習復習は最低、するようにする」
「それだけじゃ絶対足りへんよ?」
「夏休み、午前中は補習に参加する。放課後、時間あったら東先生に勉強見てもらう」
「……。」
母さんは呆れて何も言えんような感じになった。
「ほんならね、条件があんの」
「何?」
「島根大学以外、絶対受けさせへんよ」
「……え?」
「滑り止めなんか受けたら、気ぃ緩むからね。他の私立大学なんか受けんと、島根大学の教育学部専願で行きなさい」
「……。」
「それができへんのやったら、神奈川の……」
「やったるわ」
オレはハッキリ言うた。
「そんなもん、オレにかかりゃチョロいからな! 絶対、やったる!」
挑発的な言い方になった。でも、母さんの言い方もオレには気に食わん言い方やった。そんな言い方するんやったら、こっちだって負けてられへん。
「……勝手にしなさい!」
「したるわ!」
オレは思い切りドアを閉めた。廊下の向こう側、玄関に綾音と智輝が呆然と佇んでた。
「……おかえり」
オレは何事もなかったかのように二人を出迎えた。
「ただいま……」
「綾音、お前何やっとん? オレよりとっくの昔に、部活終わってるやろ?」
「うん……」
「はよ上がってご飯食べて……ま、ちょっと勉強しとき?」
「……。」
「やないと、2年後オレみたいに母さんとケンカせなアカンでぇ」
オレは半分自虐的に笑いながら、自分の部屋に戻った。
「……。」
もちろん、勉強なんてすぐに手ぇつくはずがない。なんで、オレはあんな言い方をできるんやろう。挑発的で、可愛くない。
オレの境遇もよくわかってる。ビックリせんといてほしいんやけど、オレは両親と血の繋がりはない。もちろん、綾音や智輝とも、血の繋がりはない。
オレのホンマの両親と兄貴と姉ちゃんは、12年前の阪神淡路大震災で……オレだけを残してみんな、おらへんなった。それからオレを引き取り、ホンマの子のようにオレを育ててくれた。
母さんはお金の掛かる吹奏楽を嫌とも言わず、辞めろとも言わず、むしろ積極的に保護者会の活動とかにまで参加してくれた。
父さんは仕事が忙しいのに、休日でオレの演奏会があれば町内のちょっとしたお祭からコンクールまで、絶対に聴きに来てくれた。こういう演奏は全然わからへんけど、お前が上手いのだけはわかる。これが、父さんの口癖。
中学の時、進路を決めた頃にオレは何気なく、母さんとこんなやり取りをした。今でも覚えてる。
「オレ、ずーっと母さんたちの所から離れへんつもり!」
母さんは笑った。
「それやとマザコン言われるで~!」
「そんなことあらへんわ!」
ずっと、ホンマについこの間まで、そんなつもりでおった。でも、新聞で島根県や鳥取県、石川県など地方を中心に相次ぐ市町村合併で、教員が不足してる。そういう話を聞いたとき、元々先生になりたいと思ってたオレの気持ちがグラついた。
自分の夢を取るか、家族との時間を取るか。オレは、すぐに決めた。
「島根に行く」
そのためにはもっと勉強せなアカンけど、それ以前に母さんたちの了承が必要やった。でも、母さんは全然、納得してくれへん。
「アカンアカン。今はとりあえず悩むより、勉強や、勉強!」
とりあえず椅子に座って、英単語帳を開く。同時に、オレの腹の虫が鳴いた。
「……。」
いつもはご飯を食べてから、まぁ勉強というには微妙な勉強をしてた。せやけど、今日はとてもそんな気分にはならへん。まぁ、別にいいけど。
コトン、と音がした。それからすぐに、ノックの音。
「……?」
しばらく間を開けて、声がした。
「兄ちゃん」
綾音やった。
「うん?」
「ご飯……持ってきた」
「……入り」
「うん」
オレはドアを開けて、綾音を部屋に入れた。綾音が部屋に来るのは珍しい。
「兄ちゃんの部屋汚いから嫌や!」
なーんてヒドいこと言うて、いつも入るのを嫌がる。結構ヒドいですね~。
「母さんに言われて、持ってきたん?」
「ううん……。ただ、あたしが勝手に持ってきただけ」
「ふぅん……」
ウソかホンマかは、メニューを見たらわかった。今日のメニューは、ハンバーグ。
「……ありがとう。とりあえず、食べるわ」
「うん」
綾音はそう言うとすぐに立ち上がって部屋を出ようとした。
「兄ちゃん」
綾音が振り向いた。
「何や?」
「ホンマに……島根、行くん?」
「……うん」
「そっか……」
綾音にしては珍しく、オレに笑顔を向けた。
「頑張って!」
「……おう!」
パタン、とドアが閉まった後、オレはハンバーグを一口食べた。
「……!!」
めちゃ辛いんですけど!?
「お茶、お茶!」
慌ててお茶を飲むのにコップを持ったら、紙がヒラヒラと落ちてきた。お茶を飲んで落ち着いてから、オレはその紙に書いてある文章を読んだ。
世の中、甘いことばっかりじゃありません。
しっかりするように。
「よぉやってくれるな~」
涙が出てきた。
辛さで出たのか、嬉しさで出たのかはわからへんかったけど。
ありがとう。
頑張るわ、オレ。
わがまま言うて、ゴメンな?
ありがとう。
母さん。