45☆ 弦の魔術師~中編~
-Side 亮平-
シトシトと降る4月の雨。梅雨時の雨や、夏の夕立とは違う、静かな雨だ。先輩の歩幅と俺の歩幅は当然ながら違うわけで、俺は先輩の歩幅に合わせて歩く。先輩は先輩で、俺が歩幅を合わしていることに気づいているのか、時々早足で歩こうとする。
信号が赤になった。宮部先輩が住んでいるのは七海市の市役所から南西へ行った、大海町だ。俺は反対、北東へ行った関宮町。
「ゴメンね」
宮部先輩が呟いた。
「三宅くんの家、私の家と反対方向なのに」
「いえ」
俺は先輩と話をすると、自然と顔が柔らかくなる。
「困っている人がいるのに、放っておけないじゃないですか」
「……ありがと」
先輩の顔がたちまち赤くなった。
信号が青に変わったので歩き始める。会話が続かないまま、雨の降る音と俺たちの歩く音だけが響く。仮に俺たちが付き合ったりしたら、こんなぎこちないままで毎日を過ごすのだろうか。
そもそも、宮部先輩と付き合うことになったら、俺たちはどう呼び合うのだろうなどという、無駄なことまで考えてしまう。
俺は由美子先輩って呼ぼうかな。でも、先輩なんてよそよそしいか。じゃあ、由美子? 呼び捨てなんてウゼ~かも……。
由美……じゃない、宮部先輩は俺のことをなんて呼ぶだろう。今はみーやんだ。亮平?亮くん? 亮ちゃん? わかんないけど……想像しただけで照れる。
「ねぇ」
宮部先輩が小声で話し掛けてきた。
「はい?」
「みーやんの友達……」
この間転校した俺の親友。名前は大澤 賢斗。七海市内の高校ではあるけれど、転校した。事情はここでは詳しく言わないし、言いたくない。
「あの子、何か言ってた?」
「……はい」
「なんて?」
「素直に……なれって」
「……そう」
俺たちには先月まで、それぞれ思われていた人がいた。思っていた人ではない。つまり、俺たちを好きだった人がいたってことだ。けれど、その想いは成就しなかった。正確に言えば、成就できなかったのほうがいいのかもしれないけれど。
そして、俺たちはお互いの思いに気づかされた。その頃まで俺たちは、お互いに思い合っていることに気づかなかったのだ。けど、そう気づいた途端、なんだかもどかしい感じになって、逆によそよそしい態度を取るようになっていた。
周囲もそれに気づき、なんとか俺たちを元の雰囲気に戻そうと必死になっているのがわかった。吹奏楽で滅多に合わす練習なんかしないバスパートとフルートパートでセクション練習をしたり(まったく練習にならなかったけれど)、新学年に上がる前に俺たちを同じ係に就かせようとしたり(これも阻止)。俺たちはその行為を怒ることなんてできなかった。みんな、俺たちのことを心配してくれているんだから。
それでもなお、気まずい雰囲気が続いていたところに今日の雨だ。チャンスだと思った。
また信号で立ち止まる。
「先輩……」
傘を傾ければ、俺たちの姿は見えなくなる。幸い、周囲に人は少なかった。
「先輩は……俺のことを……」
言え。
言うんだ、三宅 亮平……。
-Side 由美子-
「先輩……」
突然だった。ただでさえカッコいいみーやんの顔が、さらにキリッとしたものに変化した。私の心臓がこれでもかと言わんばかりに、ドキドキと鳴る。
「先輩は……俺のことを……」
その時だった。私の右手から大きなダンプの音が聞こえ、水を思い切り弾きながらすごいスピードで走ってきた。
「危ない!」
水がもの凄い勢いで撥ねられ、私たちに向かって飛んできた。166センチの私と、173センチのみーやん。7センチ差は結構大きかったようで、みーやんが傘と彼の体で水が飛んでくるのをほとんどカバーしてくれた。
「……!」
「あ……」
そのせいで、私たちは抱き合う形になった。
「……。」
うそ。
みーやんの顔が……近づいてくる……?
と思ったけど、そこはみーやんだった。寸前のところで止めてくれた。
「濡れましたか?」
「ううん……でも、みーやんが……」
「平気です。家へ帰ればすぐ着替えられますし」
ニコッと笑う彼。
「早く行きましょう。雨も少し強くなってきたし」
みーやんは傘を持ち直すと、歩き始めた。私はその歩調に合わせてまた、歩き始める。
5分もしないうちに、家へ着いてしまった。
「じゃ。また明日」
「あ……」
私は聞きたい。あの時、君が何て言おうとしていたのか。
「み、みーやん!」
その後に出てきた言葉は、私の意志とは異なるものだった。
「ウチで着替えていきなよ!」
私がドアを開け、お母さんを呼んでからみーやんを入れると、お母さんは目を丸くして驚いていた。
「後輩の、三宅 亮平くん。今日雨降って、傘に入れてくれたの……」
「あらあら……まぁまぁ! あ、私、由美子の母親の宮部 久美と申します」
「ちょ、ちょっとお母さん!」
みーやんも慌てて姿勢を正して「三宅 亮平と申します。はじめまして」といやに堅い挨拶合戦を繰り広げた。
とりあえずお風呂を沸かし、みーやんに入ってもらう。ウチは私一人っ子なので、男の子の服なんて持っていなかった。
なので、急いで電話を掛ける。私の家から一番近い知り合いの男子、大海町に住んでいるのは日高くんと冨岡くん。失礼だけど、日高くんの背ではみーやんは服が小さすぎて入らないだろう。そういうわけで、事情を説明して冨岡くんに服を貸してもらうことにした。別に、みーやんの家へ電話すればいいのだけれど、そんな勇気は私にはなかった。
「みーやん」
「は、はい!」
緊張しているのが分かった。しょうがないよね。まさか、先輩の家に連れ込まれて裸になってお風呂入るなんて、思わないよ普通。
「服……ここに置いておくね」
「え? でも先輩どうやって……」
「あ! 冨岡くんに服、借りたの。私の家の2軒隣だから」
「そうだったんだ……わかりました。ありがとうございます」
「ううん。じゃ、上がったらリビングに来てね」
「はい」
脱衣場のドアを閉めてからも、私はドキドキが収まらなかった。普段何気なく生活している家に、みーやんがいる。そう考えただけで、もうこのドキドキが収まらない。
20分後、みーやんが上がってきた。
「ありがとうございました……」
「ううん。それより、雨上がったよ。もう6時半過ぎてるし、そろそろ帰るよね?」
「はい」
お母さんが「夕食、召し上がっていけば?」と言ったけど私から「三宅くんが困るじゃない!」と却下した。
お母さんがいつまでもしつこいので、私は強制的にみーやんを玄関から外に出した。
「ゴメンね。お母さん、うるさくって。私が滅多に男の子なんて連れてこないもんだから……」
「いえ。優しいお母さんですね」
私は次の言葉にドキドキする。
「宮部先輩がお優しいのも、わかる気がする」
ズルいなぁ。この子……。
「先輩」
「うん?」
それは突然だった。
「俺、やっぱり、先輩のコトが好きです」
「え……?」
「俺、本当に先輩が好きです。返事は、急ぎません……。先輩が俺をどう思っているか、教えてください」
「……。」
答えは決まってるの。私は……。
「私は……」
「待って」
みーやんが私の言葉を遮った。手を膝に乗せて、俯く。
「明日……早くても明日にしてもらえますか?」
その姿勢のまま、上目遣いで見つめられた。
「わ、わかった……」
「それじゃ、失礼します」
それだけ言うと、すごい勢いで走って行った。
「……恥ずかしい!」
返事なんて決まっているのに。私、どんどんみーやんにドキドキさせられてる。
「ヤバいなぁ……魔術師だよ、みーやん……」
返事は明日。
まるで、魔術をかけられたみたいに私の心はみーやんへの想いでいっぱいだった。