39☆ If
もしも、なんていう言葉は大嫌いだ。
「ねぇ、もしも返事がOKだったらどうする?」
不意打ちだった。はるかが、そう言った。
「OKだったら? いいんじゃないの、それはそれで。おめでたいんだし」
私が適当にあしらったのにも、はるかは気づいていない。ここのところ、はるかはずいぶん日高くんと仲良くなった。何がキッカケだったのかわからないけど、デコボココンビは今やデコボコカップルになろうとしている。私、ひょっとしたらそんな彼らが羨ましいのかな。
わかんないや。
「久野。今日、朝倉先輩ちょっと遅れるって」
私と同じパートの松尾 勇がぶっきらぼうな口調で言った。
「え? そうなの?」
「うん。漢字のテスト、微妙に点数が足りなかったから、やり直しだってさ」
「ふぅ~ん。災難だね、先輩も」
「うん」
うーん。
もうそろそろ、同じ吹奏楽部で過ごしてきてるんだから、もうちょっと何かこう、会話が生まれてもいいんじゃないかなって思うんですが。
そうだよね~。でも、別に長く一緒にいるからいろんな話をするかって言われたら、それはまた別。私は、朝倉先輩とはよく恋バナとかするけど、佐野先輩としたことなんてない。やっぱり、性別が違うと異性に気軽に恋バナをしよう、なんていう風にも思わないのが普通かもしれない。その人が想い人と親しいとかいうなら、話はまた別だけどね。
話は本当に別のものになるんだけれど。
朝倉先輩がいないトランペットパートというのは沈黙以外の何物でもない。もともとぶっきらぼうな松尾くんに、そう口数が多くない(これでも増えたほうだけれど、朝倉先輩のおかげなのかも)私。この組み合わせは本当にスゴいと思う。一言も会話が生まれないことだってザラにある。今日も同じ流れになるんだろうな。
「……ん?」
パート練習に行くのに、いつもはカバンを持たない松尾くんが珍しく、肩からカバンを提げていた。
「どうしたの、カバンなんて持って」
「え?」
松尾くんの顔が明らかに焦ったものになった。
「あ、えーとほら! 朝倉先輩、今日遅れて来るじゃん? だから、先輩の分も荷物、持って行こうと思ってさ!」
「なぁんだ。そんなの、あたしも手伝うじゃない!」
「いっ、いいよ!」
松尾くんは強引に朝倉先輩の譜面入れを奪った。その拍子に譜面入れが落ちて、楽譜がバラバラになる。
「あー!」
「あぁ!」
松尾くんと私の悲鳴がほぼ同時に部室内に響いた。それを見た水谷先輩とミサッチ先輩が一緒に譜面をかき集めてくれた。
「何やってんの、二人してぇ」
ミサッチ先輩はクスクスおかしそうに笑った。
「すいません、ホント……」
なんか松尾くんらしくないな、今日の彼。
練習場所へ移動するとき、聞いてみた。
「ねぇ、松尾くん。今日、なんか変じゃない?」
「えっ!?」
ほら、またなんかソワソワするし。なんか変だよ? やっぱり。
「そぉんなことないってば! ほら、いつもどおり!」
そのテンションが変。まぁ、別にいいんだけど。私はあんまり関係ないし。松尾くんだって、こんな日くらいあるのかも。
教室に入る。松尾くんは日当たりのいい南側が好き。花粉症の私は、なるべく今の時期、窓の近くに近寄りたくない。窓は閉めているから関係ないといえばないんだけど、なんとなく窓際には行きたくない。
譜面台を置いて、楽器ケースを置いて。何でか知らないけど、その後カバンだけを松尾くんは廊下側の机に置いた。
「……?」
私の変だな、という視線を存分に受けながらも松尾くんはカバンを置いて自分の席に戻った。
そして始まる、沈黙の練習。もしも、という言葉が嫌いな私だけど、この練習時間ばかりはいろんなもしもが浮かんでくる。
もしも、松尾くんがもっと喋る人だったら。
もしも、私たちのパートにもう一人誰かがいたら
そんな大それたことじゃなくてもいい。
もしも、朝倉先輩が今日、居残りじゃなかったら
もしも、今日、岡崎先輩が突然練習を覗きに来たら。
いろんなもしもがグルグル頭を巡ってもう、練習どころじゃなくなってくる。不意に、違うもしもが浮かんできた。一番、可能性のないもしも。
もしも、松尾くんが私を意識してるとしたら――?
「アッハハハハ!」
笑っちゃった。
「な、何。突然」
恥ずかしい! 顔もそりゃあ真っ赤になるわ」
「なっ、なんでもない! ゴメン、いきなり笑ったりして」
「いや……別にいいけど」
それはないかなぁ。
あ、でも……。
(ところで、松尾くん?)
(はい?)
(あれはいつ自己主張するの?)
(ちょ、先輩! その話題はここではナシです!)
あれは……なんだったんだろう。
いろいろ考えてたときだった。
ガタン!と音がして突然松尾くんが立ち上がった。その後、私の目の前に置いてあるカバンから何か、赤色の包み紙を取り出した。
「ん!」
「え?」
「んっ!」
何よ、んって! 意味わかんないじゃない!
「んっ!」
「あ……」
強引に包み紙を渡された。
何か、箱が入ってる。松尾くんは包み紙より真っ赤になって自分の席へ戻った。
「何……?」
カレンダーを見て思い出した。
今日は3月14日。ホワイトデーだ。1ヶ月前のやり取りが思い出された。
(はいっ! 松尾くん!)
(え? 何、これ)
(何って……バレンタインじゃない)
(俺にくれるの!?)
(当たり前でしょ~。パートで唯一の男の子なんだから! あ、もしもお返しくれるんだったら待ってるね~)
もしも……お返しくれるなら……。
自分でもしもが嫌いとか言っておいて、どこかで期待してたのかな……。
「あの……!」
言おうと思った。もしもが嫌いって言ってたのは、自分の気持ちに気づくのが嫌だっただけ。
「もしも……松尾くんが良かったら、私ともっと仲良く」
「やだ」
えぇぇ~……即答ですか?
「それは、俺から言わせて」
へ?
「もしよろしければ、俺ともう少し……仲良くしてください」
えぇ……!?
ど、どうしよう……。
どうしようじゃない。
答えは出てる。
言葉の代わりに、私はグッと松尾くんの手を握った。
松尾くんがたちまち、笑顔になる。
「もしよろしければ……よろしくお願いします」
もし、という言葉も、そんなに悪くないかもね?