36♪☆ 叶うことのない者たち
「切ないですね……」
メグちゃんが呟いた。完成した綺麗なチョコレート。
「そうだね~。なんか、ノリと勢いで作っちゃったけど……寂しいねぇ」
私も呟く。とりあえず、作るだけ作ってみたかった。
メグちゃんのチョコレートには『春くんへ』の文字。私のチョコレートには『かけるくんへ』の文字。届くことのない想いを詰めた、チョコレートだ。
「だいたいさぁ、なんでバレンタインデーなんてあるのかな」
私の爆弾発言に、メグちゃんが目を丸くする。
「なんででしょうね。先輩。あたしもよく知らないんですよ」
「なんでだろう……。そういえばさ、なんか聞いた話だけど、バレンタインデーでこんなに大騒ぎする国、日本だけらしいよ?」
「えっ!? そうなんれすか?」
メグちゃんがお母さんの出してくれたおせんべいを頬張りながら喋る。うまく舌が回っていない。
「そうなの。なんか、チョコレート上げる風習とかもないらしいし」
「そうなんですか~! 日本もそんなだったら良かったのに!」
「そうよねー! チョコに時間も体力もお金もかけなくていいし!」
「ですよねぇ! 第一、なんで女の子が頑張らないとダメなんですか。男子も頑張れっつーの」
「でもさぁ、アメとかマシュマロを男子に作れって言っても無理だよね!」
私もおせんべいを一枚手に取った。
「あぁ、言えてますね! 佐野先輩とか、川崎先輩がアメとか作っても絶対ベットベトになってなんか溶けた砂糖の塊になってそう!」
「アハハハハ! 言うねぇ、メグちゃん!」
笑いが止まらない。こんなに笑ったのは、久しぶりかもしれない。
正直言うと、バレンタインデーに佐野くんに渡そうかどうしようか、迷った。告白なんてするつもりはなかったんだけど、どこかで佐野くんへの気持ちを消せない自分がいた。わかってるつもりだった。陽ちゃんにだって悪い。もう、二人の仲を引き裂くつもりなんてなかった。
そうなると、私の気持ちはどこへ行くんだろう。当てのない私の気持ち。それは、このチョコレートの『かけるくんへ』の文字にそのまま出ていた。
メグちゃんにはまだ言っていない。部活でも知っている子は、ほんの一握り。私は3月に、大阪へ引越しをする。家の片付けもまだしていないから、メグちゃんが気づくはずもない。でも、押入れには新品の段ボールが眠っている。
「先輩?」
「え?」
「どうしたんですか? 元気ないですね……やっぱり」
メグちゃんがコップを置いた。
「先輩。あたしね」
急にメグちゃんが真剣な顔つきになった。
「バレンタインデーが嫌いとか言ってますけど……正直、バレンタインデーはいい区切りかなって思うんです」
「区切り?」
「はい」
メグちゃんは一旦会話を切って、お茶をすすった。それから続ける。
「私と春くんって、幼なじみなんですよ。家も、すっごく近い」
それは私も知っていた。それが、私は羨ましかった。
「でも、幼なじみは幼なじみ。いつか、恋人になったりしないかな?なんて思ったこと、数え切れません」
「……苦しいよね、そういうの」
「正直、すっごくしんどかったです」
沈黙が続いた。時計の針の音が響く。
「でも、気づいたんですよ」
「何に?」
「春くん、橋本先輩にしか見せない表情があるんです」
「エミリンにしか?」
「あたしが体育から帰るときでした。春くんのクラスは、北館で体育をしてたんです。あたしたちは、校庭で。春くんのクラスの男子は北館5階の体育館、橋本先輩は3階の体操室で。その帰りだったと思うんですよ。春くん、バスケで背が低いのにシュートなんか入れちゃったとか言って喜んでました」
目を細めて笑うメグちゃん。きっと、彼女の瞳には水谷くんがどんな風に話しているか、アリアリと目の前に浮かんで来るんだと思う。
「そのとき、どんな風だったかっていうのを、体全身で表現してるんですよ。あたしと話すときなんか、ちょっと手で再現するくらいなのに。あたしに見せない表情がたっくさんあるんです」
すごく寂しそうだった。
「でも!」
メグちゃんは笑顔だった。
「あたしにしか見せない表情もたくさんあるんだなぁって思いました」
「たとえば、どんなの?」
「先週の日曜日なんですけど……」
メグちゃんの話だと、先週の日曜日。家が向かい同士だというメグちゃんと春くん。メグちゃんが友達と9時に七海駅で待ち合わせをしているから、8時40分過ぎに家を出たらしい。そのとき、新聞を取りに出てきたのが水谷くん、というわけだ。ところが、その格好というのが想像もできなかった。
寝癖はそのまま、パジャマ(しかも、晴れマークや雲、傘マークとかが描いてある、やたらと可愛い)で、眠そうに目をこすりながら。
「そんなの、絶対橋本先輩の前では見せない表情ですよね!」
確かにそうだと思った。合宿のときも、水谷くんはいつも完全な状態で朝食に来ていた。あのオシャレに関心がある佐野くん、川崎くん、冨岡くんですら油断したのか、佐野くんは寝癖爆発、川崎くんはジャージのまま、冨岡くんはヘアピン付けたまま食堂に登場した。みんな意外な一面だと大爆笑した記憶がある。
「あたし、告白はしないままでいます」
メグちゃんがうなずいた。
「いいの? それで……」
「今さら、春くんはあたしを彼女や、恋愛の対象として見ることは無理だと思うんです。無理強いはしたくないなって思って」
「そっか……」
きっと、佐野くんだって同じだろう。告白はしたことあるけど、もう、それは過去のこと。佐野くんは私のことを、恋愛の対象として見てはいないだろうな。
突然だった。
ポロポロと、メグちゃんが泣きだした。
「メ、メグちゃん!」
私もこれにはビックリした。
「ゴメンなさい……。心の中ではもう……踏ん切りつけたつもりだったのに……」
とりあえず、ハンカチを私は渡した。「ありがとうございます……」と言って、10分ほどメグちゃんは泣き続けた。
「踏ん切りつけるのって……大変ですね……」
「うん……」
それは私も同じだよ。
4時過ぎ。私は、提案した。
「いつまでもさ、同じ人に引っ付いてたら、私たちダメじゃないかな?」
「えっ?」
メグちゃんが目を丸くする。
「私ね……」
言おうかどうしようか迷ったけど、言った。
「転校するんだ」
「……いつですか?」
「3月」
「……。」
ビックリしたのか、メグちゃんは何も言えずにいた。
「ゴメンね。ビックリしたよね」
「はい……」
「できれば……私、こんな想いを遺したまま、七海を出発したくないの。だから」
私は作ったチョコをメグちゃんに渡す。
「これ、食べて」
「えっ……。で、でも……」
「誰かに知ってもらうつもりなんてなかったんだけど……。私ね、佐野くんに告白できて本当に良かったと思うの」
「……。」
「だから、このチョコを渡すつもりないの」
「……。」
私はチョコに書いてあった「かけるくんへ」の、クリームで作った文字を指で伸ばして消した。
「あっ!」
「いいの! これでもう、普通のチョコだもん」
「先輩……」
「はいっ! 二人で食べよう!」
私はチョコを割った。本当は文字を消すのも、チョコを割るのも勇気がいった。でも、やってしまえばどうってことはなかった。
チョコを食べる。無言で。
「先輩」
「何?」
「勇気……いりますよね?」
「うん?」
「丹精込めて作ったチョコ……割るの」
私は部屋の天井を見上げた。
「そうだな~。辛いのはでも、一瞬だった」
「そうなんですか?」
「もちろん、フラれたときはキツかったけど、今はもう……平気って感じ」
「……。」
メグちゃんが、彼女のチョコを見つめる。
「先輩。あたしのチョコも……」
「ダメ」
「えっ?」
「メグちゃんは、水谷くんにちゃんと気持ち、伝えた?」
ブルブルと横に首を振るメグちゃん。
「じゃ、伝えなきゃ」
「でも! 絶対フラれるに決まって……」
「やってみなきゃわかんないじゃない!」
メグちゃんの目が一際大きくなった。
「ほら! 頑張ってこなきゃ!」
私はチョコを強引に渡した。
「……はい!」
「行ってこい! 加藤 愛実!」
「いってきます!」
叶うことはないのかもしれないけど、怖がって、何もしないよりはずっといい。そうすれば、前向きに行ける。
私も前向きに行こう。
私は立ち上がって、メグちゃんの分のコップも片づける。下へ降りると、お母さんがいた。
「雪子。そろそろ……」
「メグちゃんなら帰っちゃった」
「あら? そうなの?」
「うん。あ、お母さん」
「何?」
「私、今から引越しのために部屋整理するから」
「……どうしたの、急に」
ニコッと笑う。大丈夫、前を向いていけばいい。
「ちょっと前向きになりたいから」
お母さんは「?」を顔に浮かべていた。いいの、別に。今の言葉は、自分への応援メッセージだから。
「あっ……雪だ」
私の名前と同じ漢字の入った雪が、降っている。雪の結晶ひとつひとつでは、すぐに溶ける儚いもの。でも、積もればそれはみるみる形になっていく。
私もいつか、そんな漢字に相応しい恋をしたいな。
そう、思った。