特別編◆音楽室のエリーゼ(3)
「来ないなぁ……」
翌日。どれだけ待っても雛子さんは来なかった。いつもは6時くらいに合流できたのに、今日はもう6時45分。外もすっかり暗くなって、今日は本番前ということもあって遅くまで練習しないようにしている。なので、部員のみんなもほとんど帰ってしまった。
「7時まで待ってみよ」
けど、7時になってもなかなか来ない。今日は用事か何かあったのかな。
「あれ? 徹っち」
思わずビクッとしてしまった。振り向くと、佐野先輩。
「さ、佐野先輩」
「何やっとんの?」
「いえ……」
「誰かと待ち合わせ?」
「ま、まぁ……」
ヤバい。こんなタイミングで雛子さんが来たらどうしよう。絶対バレる。ヤバい。顔がきっと真っ赤だ。
「徹っち?」
「……。」
来ないでほしい。顔、真っ赤だもん。恥ずかしい。
「どないしたん……あ」
最悪。
ガン見された。
「え……あ……えっと……」
「すいません!」
いづらくなったので帰ろうとしたら、先輩が思い切り手を引いてきた。
「……照れんでいいやん」
「あ……で、でも……」
「好きな人の一人くらい、おって普通やって!」
「……はい」
今日ここにいたのが佐野先輩でよかった。それからいろいろ話をした。どういうキッカケで会ったのか、どこが好きになったのか……。きっと俺の顔、真っ赤だけど佐野先輩は茶化すこともなく、真剣に聞いてくれた。
「めちゃめちゃ好きなんやなぁ」
ダメ。もう、熱出そう。
「今日も来てくれるん?」
「約束をしたわけではないんですけど……きっと……」
「……ほんじゃ、オレ帰ったほうがえぇかな」
「え!? あ、そんなつもりじゃ……」
「いいからいいから! 頑張れ」
「……はい」
カバンに入っているプレゼントがバレたみたいだ。先輩は人懐っこい笑顔を浮かべて音楽室を出ようとした。そのときだった。
ガラガラガラッ――。
引き戸の開く音。
「!」
「ちょ、オレおったらアカンやろ……」
嫌でも心臓がドキドキする。今日決めたんだ。
俺、雛子さんに告白する。
佐野先輩がいてもいい。俺、言うって決めた。
「あ……れ?」
入ってきたのは東先生と見慣れない女性。
「なんだお前ら。まだいたのか」
「あ、まぁ、ちょっと……」
佐野先輩がなんとかごまかそうとしてくれているのがわかる。俺は恐る恐る東先生のほうを見て、後ろにいる女性を見てビックリした。
「似てる……」
「え?」
東先生と佐野先輩が俺のほうを振り向いた。
「あの!」
俺はいても立ってもいられず、女性のほうへ走り寄った。
「すみません……お名前、教えてもらえませんか?」
「私の?」
「はい!」
「えぇ……私、倉科と申しますが」
「……!」
似てるわけだ。倉科という苗字はそうそうない。
「あの……失礼ですが、娘さん……のお名前、雛子って言いますか?」
「え? あなた……雛子知ってるの?」
「はい! 昨日一昨日とお会いして、とっても楽しく過ごさせていただいて……」
「昨日? 一昨日?」
倉科さんも先生も、キョトンとした様子だ。
「どうかしましたか?」
「あなた……いつ雛子に会ったの?」
「だから……昨日と一昨日」
「富士原。そんなハズはない」
「なんでですか?」
「これを見ろ」
倉科さんの写真を見て俺は言葉を失った。
写真……いや、遺影に写るその人は、雛子さんだった。
「え……? ど、どういうことですか?」
佐野先輩が動揺を隠せない感じで先生に聞いた。
「倉科は……先生が教育実習を受けに七海高校に来たとき……病気で、音楽室で……」
聞きたくなかった。
「亡くなったんだ」
10年前の2月16日。吹奏楽部に在籍していた倉科さん。持病を持っていたそうで、その持病が音楽室で一人きりになったときに悪化し、誰にも看取られぬまま、翌日遺体となって発見されたのだということだった。
「今日は命日だから……。毎年、生徒さんが帰られた後にこうしてご迷惑なお願いだけど、お花を供えさせてもらってるの」
「……。」
佐野先輩と俺は話を聞くだけしかできなかった。倉科さんは話を続ける。
「あの子、好きな子の一人くらいいなかったのかしらね。恋をして、いつか結婚したい!とかいう人を連れてきたりするんじゃないかしらとかいろいろ考えたんだけどね……」
いま生きていれば、28歳。俺と会うことはまずなかっただろう。
雛子さんはこの世にもういない。でも、まるで、ついさっきまでここに一緒にいるような感覚になった。
「あの……俺も」
一歩前へ出る。
「俺も、一緒にいいですか?」
倉科さんは微笑んでくれた。
「えぇ」
初恋を教えてくれました。
初恋なんて、淡いもの。
でも、君との二日間はまるで……俺の人生の中では1年もの時間が経過したようでした。
ありがとう。
そう、心の中で言った。
「……。」
「……。」
帰路に着いた。まるで、夢のような出来事だった。佐野先輩は何も言わない。
「先輩」
聞きたかった。
「なんや?」
「叶わない恋なんて、ありますか?」
先輩はしばらく間を置いて答えた。
「ないよ」
嬉しい答えだった。
「……そうですよね」
別れ際、最後に先輩は言った。
「雛子さんさぁ」
「はい?」
「俺、『エリーゼのために』を演奏してる音だけ聴いてんけど……姿見たのは徹っちだけやな」
「あ……そういえば」
「……きっと、雛子さん、徹っちに心許したから、出てきはったんちゃう?」
「……そうかな」
「そうやで」
「そうだと、嬉しいな」
交差点で先輩と別れる。一人きりになった。いつもこの交差点は帰宅の路につくサラリーマンや学生で混雑する。
信号が青になった。
「……あっ!」
雛子さんらしき姿が見えた。けど、姿は見えなかった。
「気のせいか……」
振り向いた瞬間だった。温かい感触。あの、雛子さんの香りがする。
「ありがとう。大好きだよ」
「……。」
交差点の真ん中で突っ立ってしまった。クラクションが鳴る。一気に喧騒が戻ってきた。
あの3日間は、誰にも話していない。佐野先輩、倉科さんのお母さん、東先生だけが知る、俺の3日間の初恋。
またいつか、きっと、会える。
俺は、そう、思います。
またね。
雛子さん。