特別編◆音楽室のエリーゼ(1)
「徹っち、まだ残ってる?」
佐野先輩に声を掛けられた。
「あぁ……はい。まだちょっと練習してたいんで」
「真面目やなぁ。せやけど、吹きすぎて口バテんようにだけしてや?」
「はい。そのへんは考慮するんで大丈夫です」
「オッケ〜! んじゃ、また明日な!」
「お疲れ様です」
どうも、皆さん。七海高校吹奏楽部トロンボーン初心者であります、富士原 徹です。本日2月12日。みんな練習が終わって帰ったけど、俺は14日にあるバレンタインデーコンサートの曲がまだヤバイので練習……。
音楽室で一人吹いてると何かこう、切ない気持ちになるので俺はいつも一人で練習するときは部室で吹いてる。部室のほうが自分の音が近くで聴こえるし、ちょうどいい。
「あ……」
ふと気づくと、もう7時を過ぎていた。iPodで音源を聴きながら吹いていたので、すっかり時間が経つのも忘れて練習しすぎていた。先生に怒られるかもしれない。
「ヤバいヤバい! 早く片づけなきゃ」
慌ててiPodを切ると、音楽室のほうから楽器の音が聞こえた。
「あれ……?」
俺以外に誰か残ってたかな。フルートといえば今は大谷先輩、宮部先輩、井上ちゃんの3人だけだ。ひょっとしたら真面目な大谷先輩あたり、残っていたのかもしれない。
「……。」
そっと音楽室を覗き込んでみると、髪の長い人が見えた。あの髪の長さ、ちょうど宮部先輩くらいだ。けど、吹いている曲が『エリーゼのために』だ。近々、こんな曲を七海で演奏する予定はない。
「すげぇ……」
透き通るような音色。思わず、聞き惚れてしまった。
「!」
急に演奏が止まった。
「……誰?」
彼女が喋った。宮部先輩ではない。大谷先輩でもなければ、井上ちゃんでもない。
「あ……あの、俺、吹奏楽部の1年で富士原って言います」
「あぁ……富士原くんね」
彼女は俺のことを知っているようだった。
「俺のこと、ご存知ですか?」
「まぁね」
グラウンドの照明が逆光になって、彼女の顔がよく見えない。
「電気点けますね。暗い中練習じゃ大変だし」
「ありがとう」
電気をつけてハッとした。長い髪。優しい笑顔に、大きな目。ちょっと昭和時代の雰囲気こそあるけれど、とても綺麗な人だった。
「どうかした?」
「いえ……なんかこう、スゴい綺麗な方だったので」
「やっ、やだなぁ! 冗談やめてよ」
俺たちは見つめあって笑った。
「ところで、アナタは……?」
「私? 私、この学校の3年生で、倉科 雛子と申します」
3年生か。俺より2つも上だ。
「俺は富士原 徹です。この学校の1年です」
「1年生か〜。それじゃなかなか会わないから、わからないわけだわ」
倉科さんはクスクスと笑った。一回一回の素振りが、俺には輝いて見える。
「い、いつも……ここで練習を?」
「うん。みんなが帰った後に、コッソリね」
「楽器……好きなんですね」
「そりゃもう。たまらないくらい」
どうしてこっそり練習するんだろう。どうせなら、ノビノビとやったほうがいいのに。そう思って俺は倉科さんに言った。
「どうです? これからしばらく、俺と一緒に練習とかしません?」
「え……?」
「ロングトーンとか。一人より二人で練習したほうが音程とかも取りやすいし」
「いいの!?」
「はい。もちろんです」
「ありがとう! スッゴく嬉しい!」
これが、倉科さんとの初めての出逢い。そして、俺の初恋の始まり。
俺は本当に倉科さんと出会うべくして出会ったとか、そんなことも思ったりしたけど……。
現実は、そんなに甘くはなかったんだな。
今はそう思う。でも、倉科さんと出会ったことは全然後悔していないからね。