09 小豆坂
翌日月曜、昼休みになると三廻部が軸屋のクラスにやって来た。印刷した自分のプログラムを眺めていた軸屋が目を上げると、爛々と輝く三廻部の瞳があった。
「見つけたよ。十九日の理由」
不意を衝かれ、十九日って何だっけと思い返そうとしている軸屋を放置して、三廻部は言葉を続ける。
「十二年前の天文十七年の三月十九日にも大きな合戦があったのね。小豆坂合戦っていって、今川義元が織田信秀に勝つきっかけになった戦い。だから義元にとっては『十九日』が縁起のいい日取りだったんじゃないかなって」
「なるほど、ジンクスってやつか……」
「あ、ちゃんと証拠はあるよ。義元の感状が四通残っているから」
「先生、質問」
「はいどうぞ」
「ノブヒデって誰?」
「ええと、義元を殺したとされる織田信長の父親。同じ仮名の三郎、同じ官途である弾正忠を名乗っているから、これは間違いがないよ。跡を継ぐ人はこの辺を継承するから」
「よく判らないが、パパなんだな。それと、義元のカンジョーって何だ?」
「感状は、合戦で手柄を立てた人に送られるもの。これは負けた側でも発行されるから勝った負けたは判らないんだけど、いつ合戦があったか、誰が参加したかは判る。昨夜見せた菅沼や奥平が貰ってた手紙も、感状だよ」
「なるほど、確かにこれだけ十九日が出てくると、そう思いたくなる」
「一通だけだけど、天文十四年九月にも『十九日』が出てくるよ。これは全然別の戦いだけど、ここでの戦局も義元にとって大きな出来事だった」
意気込む三廻部に反して、軸屋の反応は鈍かった。
「うーん。でもさあ、ジンクスだけで延々と十九日に動くかなあ。縁起説は疑問符付きじゃないかな」
三廻部は少し顔を歪ませて言葉に詰まると、やや考え込んでから情報を追加する。
「羽柴秀吉にも三月一日という吉日があったらしいんだよね。これにのっとって、九州や関東に出陣する日取りを合わせている。この時代の人って本気で縁起をかついでたんだと思うよ」
と、掴みかかるような勢いで、軸屋に詰め寄った。目不足で充血した目が軸屋の眼前に近づいてきて、なかなかの迫力だった。それでも彼は何とか踏みとどまる。
「まあちょっと冷静に考えよう。とりあえず情報をまとめてみようか」
軸屋は膝の上にさっとノートPCを広げて、素早くメモを取る。
「昨日の話も含めて『十九日』ネタをまとめてみた」
●昨日の
事実・永禄二年十月十九日に大高城補給で今川方の菅沼久助・奥平監物が戦った。
事実・永禄二年十一月十九日に大高口で今川方の鵜殿十郎三郎が戦った。
事実・永禄三年五月十九日に大高口で今川方の鵜殿十郎三郎が戦った。
推測・今川方は永禄二年十月以降、毎月十九日に活動していた。
推測・毎月十九日の理由に月齢・潮汐は想定できるが、現実性は低い。
推測・毎月同日作戦で敵を挑発したにしては、苦戦している。
●今日の
事実・天文十四年九月・天文十七年三月にも『十九日』の合戦が出てくる。
推測・縁起を担いで『十九日』を選んでいた?
推測・秀吉も三月一日を吉日として意識していた。
知識・織田信長の父親は織田信秀。
知識・感状は合戦での功績を表彰したもの。
そして、その内容を三廻部に確認させると同時に、自分の机の上に広げられた彼女のノートを閉じる。
「あ……!」
彼女が短く声を挙げるが、彼はその青白い顔を見上げ、真顔で訊く。
「三廻部さん、ちゃんと寝てる? あと、飯は食べてるか?」
「え、えっと、そういえば、どうだったかな……」
「まあ俺も言えた義理じゃないが、ちゃんと生活しろよ。今日は歴史の話はおしまいだから、学校終わったらまっすぐ帰って食べて寝ろ。また明日な」
「あ、ちょっと待って。まだ刈谷城の話が……」
「おしまい!」
「うーん……じゃ、じゃあノートを置いていくから読んでおいて!」
三廻部は悔しそうに言い置くと、ふらふらと去っていく。教室の戸の向こうには心配そうな江間の姿が見えた。
三廻部の突撃のあと、教室はしばらく静まり返っていた。しかし日常の空気は速やかに復活するもので、午後の授業が始まるまでにまだ少しの時間があったのもあって、軸屋の席に久瀬がやって来た。
「ミコちゃん、倒れそうじゃないか? 大丈夫か?」
心配そうに尋ねる久瀬に、軸屋も苦い表情で答える。
「かなりやばそうだ。でも、話を聞かないと押し問答で余計時間かかりそうだしな」
「集中力だけで持ってる感じだよなあ。一回休ませたほうがいいんじゃない?」
「まあそれは俺も同感だ」
軸屋が頷いていると、教室の離れた場所から様子を伺っていた男子生徒が三人連れ立ってやってきて、からかい出す。
「軸屋、あれC組の三廻部さんでしょ? 何か盛り上がってたけど、お前ら付き合ってんの?」
「可愛い系だよなあ。いいなあ。で、どこまで進んだんだよ?」
「あれだろ、置いてったのって交換日記? それか、デートの写真とか?」
口々に訊き囃してくる連中に、軸屋は三廻部ノートを広げて見せた。覗き込んだ集団は、久瀬も含めてぎょっとする。
「……」
そして、妙に痛ましいような表情をしたまま、各々無言で自席に戻っていった。