08 十九日
帰りの電車は空いていたため並んで座れたが、三廻部は鉛筆削りを取り出してガリガリと回し、何やら必死に書き始めていた。軸屋はそれを視界の隅に捉えながら車内を見回す。ドア一つ分向こうに大学生っぽい男女の集団がいてガヤガヤ話し合っていた。彼はその集団と、隣の古文書フリークの少女とを見比べて、少し眉間にしわを寄せていた。
やがて彼女はノートを広げ、熱を帯びた口調で語り始める。
「今川義元の死を伝える、最も早いものが五月二十二日のこれ。三日後ね」
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古文書三
●解釈
去る十九日、尾張口での不慮の出来事はどうしようもないことです。そして左衛門佐殿の比類ないお働きにご感動なさって、感状をお出しになりました。この上は、お城でのご油断がありませんように。更に左衛門佐殿のことは、目下のところ聞いていません。今度のこと、本当にどうしようもないことです。こちらでは最大限の警戒をしていますから、ご安心下さい。ご領地での人質などのことも、ご指示がありましたら内々でお知らせいたします。
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三廻部はもう原文を見せず、現代語に置き換えられた解釈だけを見せてくる。
「義元の息子で、駿府にいて無事だった氏真という人がいるんだけど、その部下が送った手紙ね。宛先は、戦死した松井宗信の父親。これは速報だったみたいで、場所を『尾州口』=尾張との国境路とぼんやり知らせて、松井宗信が比類のない活躍をしたが現在行方不明だとしか書いていない。で、このあとで落ち着いた頃に、戦死した宗信の功績を讃えてリスト化したものがあるの」
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古文書四
●解釈
父の左衛門佐宗信が度々軍功に優れていたこと。
一、東の国境で戦っていた際に、駿河国興国寺口の今沢で、自ら戦って、親類・与力・被官が多数討ち死に。比類のない働きだったこと。
一、三河国に入国して以来、田原城際で味方が敗軍したのを支え、敵を城内へ押し込めて、名のある者四人を討ち取ったこと。
一、松平広忠が織田信秀に味方して、大平・作岡・和田の三城を築いた時、医王山を堅固に守り、そのあとで小豆坂で駿河・遠江・三河の軍隊が一戦し退却して敵が追いすがったところ、宗信が数回にわたり撃退したのは、比類がないこと。
一、苅屋入城の際に、尾張軍が出撃してきて往復の通路を妨害してきた。すぐに攻撃してそのあとも度々一戦に及び、同心・親類・被官などで名のある者が多数戦死して苦労したこと。
一、吉良の西条で味方が敗北した際に、宗信は引き返して敵を置い戻し、同心両人と益田兄弟四人が討ち死にを遂げたこと。
一、大給方面の作戦で、天野安芸守・天野小四郎たちが負傷して危ういところを、宗信が支援して収容したことは、比類がないこと。
一、さる五月十九日、天沢寺殿が尾張国鳴海原において一戦し、味方が敗北したところ、父の宗信が敵を度々追い払い、数十人負傷させた。戦ったといえ敵わずに、同心・親類・被官数人と、宗信は一ヶ所で戦死した。本当に後世への鑑であり、比類がないこと。
右のように、度々の忠節は感悦である。だから、苅屋在城以後は二万疋、近年は一万疋、合計三万疋(三〇〇貫文)を現金支給しているが、今度の忠節によって、その替えとして遠江国蒲東方の松井内膳亮に、三〇貫文を与える。その他既定の控除を差し引き、三一八貫文余りを現金支給として与える。このほかに増収分ができたら、それに相当する税負担をするように。特にあの地は前の山城守が戦死したこともあるから、子孫に至っても相違があってはならない。そして内膳亮が税を滞納していることは、原告・被告双方が負担となったので、今後は滞納分での間違いは一切ないように。合わせて長田・鶴見の二ヶ村のこと、訴訟によって今度改めて代官を命ずる。ただし、合計二〇五貫文のほか、三〇貫文は、先の代官のように、徴税金額以外のものは付与する。どの知行地も不入とする上は、あの土地も準拠させる。このことを守り、戦功を専らにするように。
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軸屋は口をへの字にして不平を漏らす。
「うわ、長いな」
「これは、あれこれ片付いた十二月二日に、氏真本人が宗信の息子に宛てた手紙で、今川義元と松井宗信が亡くなった合戦について『尾州於鳴海原一戦』って書いてあるの。これが、義元が殺された場所を示す唯一の地名。そして、六月時点では不明だった宗信の最後の様子も書かれている。ここ」
<去五月十九日、天沢寺殿尾州於鳴海原一戦、味方失勝利処、父宗信敵及度々追払、数十人手負仕出、雖相与之不叶、同心・親類・被官数人、宗信一所爾討死、誠後代之亀鏡、無比類之事>
<去る五月十九日に、天沢寺殿(これは義元の死後の名前)が尾張の鳴海原において一戦し、味方が勝利を失ったところ、父の宗信が敵を度々追い払い、数十人を負傷させました。敵と組み合ったのですが敵わず、同心・親類・被官の数人が、宗信と同じ場所で討ち死に。本当に後世への鑑であり、比べるものがないことです>
最早ちらりとも古文書の文面を見なくなった軸屋は、取り出したPCでメモを取りながら確認する。
「なるほど、確かにこの宗信という人は義元と同じ場所にいて、敵と戦いつつ殺されたんだな」
「ただこれは本人の言葉じゃなくて、居合わせつつ生き残った人から氏真が聞いたことだと思う。最初は行方不明だって言ってたぐらいだし、かなり混乱した状況だったんじゃないかな」
「じゃあ本当に戦って死んだのかは判らないのか」
「でもね、この手紙で氏真は宗信の功績を箇条書きで七つ挙げているの。義元と一緒に死ぬ前は、不利な状況でも何度も切り抜けたと絶賛しているのよね。きっと宗信は戦って死んでいったんだと思う」
「味方が不利な時に活躍するのが多いんだとすると、最後に投入される撤退のプロみたいなものか。そんな護衛部隊がやられて消息不明になるほどの攻撃って、敵がものすごいたくさんいたような感じがする」
軸屋の感想に、三廻部が頷く。
「実は、義元が殺された日に、鳴海原以外にも合戦があったの。例によって息子の氏真が、鵜殿十郎三郎に出した手紙で『去年の十一月十九日・今年の五月十九日に、尾張国の大高口で二度の合戦があって、負傷しながら頑張った』って褒めてる。これがそう」
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古文書五
●解釈
去年の十一月十九日と、さる五月十九日、尾張国大高口において、二度の合戦の時、太刀をふるって槍で三ヶ所負傷したという。比類がなくもっともで神妙である。ますます戦功にぬきんでるように。
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「これは短くていいな。『大高口』って場所か?」
「場所といえば場所だけど、『大高口』というのは『通路としての大高』みたいな感じ。たとえば、駅の北口とか公園口とかで今でも使われているやつ」
「ん? 十一月も十九日なのか……偶然かなあ」
「そこが何か妙なんだけど、十月にも十九日に大高で戦っているの。今度は義元自らが出した手紙で、二通残ってる」
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古文書六
●解釈
さる十九日、尾張国大高城へ兵員・食料を補充する際に、先行部隊となっていたところ、自身が比類のない働きをした。特に同心・被官が負傷した。神妙の至りで強く感悦した。ますます忠功するように。
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古文書七
●解釈
さる十九日、尾張国大高城へ兵員・食料を補充する際に、先行部隊となっていたところ、自身が引き返し敵を追い込めた。特に同心・被官が負傷した。神妙の至りで強く感悦した。ますます忠功するように。
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「大高城に、人数、つまり戦う人たちと、兵粮=食料を運び込んだ。その時に攻撃されて、菅沼と奥平という人が反撃した。これを上司の義元が褒め称えた手紙だよ」
「なあ、ひょっとして、毎月十九日になると動いてたんじゃないか? だから攻撃されたように見えるぞ。いつも同じ日に同じ行動をしてたら、攻撃して下さいってお願いしているようなもんだろ?」
「ほー、そういう見方もあるのね。確かにそうかも。これは謎だね」
「何か思いつく原因はあるか?」
「この時代の暦、カレンダーは、あたし達が今使っているものと違うんだよね。おおまかにいうと月齢と同じで、一ヶ月は二十九日か三十日」
「あ、だから『十五夜』とかいうのか。新月が月の始まりで真ん中の日が満月になるってわけだ」
「そうそう。だから毎月十九日は月の大きさが近い。夜は暗いのが当たり前の頃だから、夜動くならそんなに悪い日ではないけど、『夜』という言葉が文書で全然出てこないから、ちょっと考えづらい。そうなると、潮の満ち引きかなあ……でも船を使った形跡もないし」
「何にしても、毎月同じ日に動くのはデメリットが大きすぎると思う」
「力を誇示するために、わざと挑発したとか?」
「それにしちゃ、菅沼と奥平が苦戦してるし、最後には大将まで殺されちゃってるじゃん。そういうメリットを求めたにしても、駄目だって途中で気づいて日取りを変えるほうが可能性は高そうだ」
「そうねえ。ほんと、何でかな……」
結局、電車内の時間を丸々使ってしまい、目的駅に到着してしまった。三廻部はここからバスになる。いつもなら改札で別れる軸屋は、フラフラ歩いている三廻部が気がかりで、バスの待ち時間も付き合ってやっていた。
「張り切るのもいいけど、ちゃんと寝ろよ」
「うん。でも、消化不良だと夢に出てきちゃうんだよ。あの史料に当たればいいのかとか、こういう解釈もできるとか」
「危ない兆候だ……」
「いやでも、楽しいんだけどね」
と、真っ青な顔で満面の笑みを浮かべられ、軸屋は渋い顔を返してしまう。
「ほどほどにしてくれよ。今日の電車はずっと起きてたけど、寝起きが余りにひどかったら、もう起こさないぞ」
「誠に是非もなき仕儀にて、ご推量あるべく」
笑って一礼する三廻部だったが、やはり少しふらついていた。軸屋はしばらくの沈黙のあと、ややためらいながら口を開く。
「なあ、大学でも図書館行くんだよな? それ目当てって言ってたし」
彼女は目をしょぼしょぼさせながら、首を傾げる。
「うん。多分、講義は最小限しか取らないと思うけど……何で急に?」
「何となく心配になった。一人で無理しそうだから」
少し目をそらしながらも真剣に言う軸屋に気づき、三廻部は真面目に答える。
「肝に銘じます」