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07 筆舌

 三廻部が古文書の文面を見せると、軸屋がのけぞる。

「だから、こんなもの見せられても判らないって!」

「あー、じゃあちょっと待ってて」

と言うや、三廻部はテーブルにノートを広げ、さらさらと現代語に置き換え始める。女性にしては角張った文字が鉛筆で綴られていくのを、目を丸くして彼が見守っていた。


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古文書一


●解釈


この度の合戦について、早々にお尋ねいただき本望です。義元がお討ち死にしたので、諸勢を討ち取ったのは数え切れませんでした。ご推量下さい。その立願については、詳細を与三郎殿に申しました。少しの相違もありませんように。


追伸:さらに、お祓いと桃・熨斗(のし)五把をお送りいただきまして、めでたく拝領しました。お初物としてカツオ三十匹ばかりをお送りします。またあとの便りでも申し入れましょう。

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あっという間に書き上げると、ノートを彼に示した三廻部が問いかける。

「これでいいでしょ。宛先は伊勢神宮の人。お祓いの札とかを送ってもらったお礼にお返しを送るよーって書いたあとに『今度の合戦のこと早々のお尋ねをいただいて本望です。義元がお討死したので、色々な軍勢を際限なく討ち取ったこと、ご想像下さい』と書いている。そして続けて『その願掛けについて、詳しくはご使者に言いました』とつなげている」

鉛筆を額にこつこつと当てる彼女は、うっすらと頬をこけさせて体調の悪さを窺わせていた。しかしその視線はひたむきで熱を帯びている。その様子に少し驚きながら、軸屋が尋ねる。

「願掛けってのは、義元を殺せますようにってことか?」

「多分。願掛けした伊勢神宮から、結果を訊かれて初めて報告した」

「ふーん。あまり自慢はしなかったのか」

「たまたま残っていないだけかも、なんだけど。でもこの時代って、負けても『勝った』って嘘をついたりするし、勝ったらもうそれこそ誇大広告ぐらい騒ぐのが多いのに。ちょっと引っかかるんだよね」

「じゃあ犯人は別にいるとか?」

「うーん……前後の状況から考えて敵は信長だと思うんだけど。まあこういうところが史料だけだと難しいんだよね」

三廻部はノートをめくる。

「で、次が場所。桶狭間山で義元が敗走して、その辺りで殺されたというのが『信長公記』なんだけど、当時の文書には、尾張(おわり)三河(みかわ)の国境付近としか書いていないのがほとんど。ただ『鳴海原』で討たれたと、義元の息子である氏真(うじざね)が書いているものがあるの」

「オワリ? ミカワ? どこ?」

「ざっくり言うと、今の愛知県の、西半分が尾張、東が三河。その間というと、名古屋と刈谷の間くらいの辺かな。鳴海は知多半島の西側の付け根の辺り。氏真はずっと東の駿府、今の静岡駅の北側辺りにいたのね。土地勘がなくて、あまり細かい場所は気にしていなかったのかな」

彼女は地図を広げて、それぞれの場所を指さしていった。軸屋はぼんやりとそれを見て、

「結構遠くまで行って殺されたんだな」

と呟いた。


 三廻部はさらにノートをめくって指し示す。

「でね、義元が殺された時に居合わせた人が、そのことをちょっとだけど書き残していたんだ」


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古文書二


○原文


預御札候、厥以来者、遠路故不申通候、仍不慮之仕合、義元討死無是非次第、不可過候御推察候、拙者儀者、最前鉄鉋ニ当、不相其仕場候、雖然、至于只今存命失面目候、就中当屋形、可有御音信之旨候、拙夫于今三州在陣之儀候条、帰国之上令披露、久遠寺江委細申入候、殊私分音信快然之至候、兼又久遠寺次目判形之儀、則可申調候、不可存疎意候、就中従方々報之儀、去比茂有子細、不及其儀候、御心得奉頼候、恐惶謹言、

           朝比奈丹波守

     八月十六日       親徳

妙本寺

   参尊報


戦国遺文今川氏編一五六八「朝比奈親徳書状写」(安房妙本寺文書)

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「だーかーら、読めないっての。わざとか?」

「えー、これは臨場感たっぷりだから読んで楽しいのにー」

「いいから内容だけ教えろ」


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古文書二


●解釈


お手紙頂戴しました。あれ以来は遠路でご連絡しませんでした。不慮の出来事により義元が討ち死にしたのはどうしようもないことです。ご推察いただければと思います。拙者は、直前に鉄炮に当たり、その現場にいませんでした。そうは言っても、今も生き長らえて面目を失いました。ともかく、今のお屋形様からご連絡があるでしょう。私は現在三河国に在陣していますから、帰国してから披露し、久遠寺へ事情を申し入れます。とりわけ、私への音信は嬉しい限りです。かねてからの久遠寺への相続保証書は、すぐにご用意しましょう。おろそかには扱っていません。あちこちからの知らせがあった頃には、事情があって、対応できなかったのです。お心得いただけますように。

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再び現代文に置き換えた三廻部が解説を試みる。

「これは、義元の部下だった朝比奈親徳(あさひなちかのり)という人が八月十六日になって書いたもので、親しくしている千葉県のお寺に宛てた書状なのね。で、ずばりの部分だけ説明すると『私は直前に鉄砲に当たって、その場に居合わせませんでした。今生きているのが面目ない』って」

「その場にいなかったんじゃん」

「直前まで一緒にいたけど、この人は鉄砲で負傷しちゃって義元の戦死現場には同行できなかった。ここまで近くにいた人の証言は、今のところ他にないよ」

「ふーん。義元たちはまず鉄砲で撃たれたわけだ。で、義元は逃げたけどこの人は置いていかれたと」

「そう。また別の時に詳しく話すけど、松井宗信(まついむねのぶ)という人も義元と一緒に逃げて、こっちは同じ場所で殺されているみたい」

「あー、思い出したぞ。雨の後に、泥の田んぼでみんな逃げ惑って皆殺しになったみたいに書いてあった気がする」

「うん。でも、実際には義元だけを執拗に狙って、ほかは放っておいたっぽい。あと、当時の鉄砲は火縄銃だったから、暴風雨には弱い。だから実際は晴れていた確率が高いよ」

「にわか雨ぐらいは降ったんじゃないか?」

「ふっ。そこも調べました。『勝山記』っていう、今の富士五湖の辺りにあるお寺の日記には、この年はずっと日照りで六月からはずっと長雨だったんだって」

「距離は離れているけど、その鳴海原も五月いっぱいはカラカラだった可能性が高いってことか。まあ、そもそもあの変な文章自体が当てにならないからなあ。暴風雨なんてなかったと思っておいた方が無難だな」


 軸屋はいつの間にか取り出していたノートPCに文字を打ち込んでいたが、くるっと回して三廻部に画面を見せる。


事実・今川義元は五月十九日に殺された。

事実・誰が殺したかは、敵のデータがほとんどなくて不明。

事実・最初に鉄砲でやられて、義元は逃げた後で殺された。

事実・怪我して動けなかった部下は生き残った。

推測・当日の天候は不明。ただ雨が降った確率は低い。


「こんな感じか?」

「うん。そうそう。まとめるの上手」

「無駄な部分を削って最適化することが多いからな」

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