51 兄弟
長男を養子に出すという話に軸屋が愕然としていると、三廻部は画面にスラスラとテキストを打ち出してみせた。
「これは史料で確定できるよ。史料をいちいち出したりはしないけど、まとめてみるとこんな感じ」
■養子決定の時系列(永禄十二年)
国王丸の氏真養子確定 閏五月三日
国増丸の輝虎養子確定 六月九日
氏政室の黄梅院殿死去 六月十七日
国増丸の養子縁組解消 十月十六日
三廻部が表示したこのデータを見て、軸屋は眉を寄せる。
「十月に国増の養子はやめてるんだな。でもその前に母親は死んじゃってるから、彼女はそれを知ることはなかった……夫の判断で息子二人を手放すことになったのがきつかったか」
「しかも養子に行く先が、国を失っちゃった氏真、同盟してもさっぱり動かない不気味な輝虎だからねえ」
気の毒そうに言う三廻部に、軸屋が質問をかぶせる。
「どっちも跡取りはいなかったんだ?」
「氏真の長男はこの時点では生まれてない。あと、輝虎は生涯結婚しなかった」
「え? 昔って世襲制だから、そんなの許されないんじゃないの?」
「そこは不思議なんだけど、奥さんもいないし子供もいないよ。ただ、養子は何人ももらってたみたい」
「うわあ、どっちもいやだな。甲斐性なしのお人好しか、不気味な養子マニアかって感じか」
「他の史料も見ると、どっちかというと、輝虎養子のほうが先に進んでたみたいなんだよね。日付がないけど、こんなのがある。これ、前後がすごーく長いから、養子のとこだけ抜き出してみるね」
手慣れた操作でテキストファイルを操作していく三廻部を、軸屋が興味深そうに見る。二分も経たずに抜粋ができあがった。
「ほら、この二つ」
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古文書四十三
○解釈<抜粋>
一、先年は亡き父氏綱が上意に応じ、下総国国府台にて一戦を遂げ、幸運により御父子三人を討ち取りました。この功績によって関東管領職を与えられています。御内書を両通頂戴していて、この筋目によって考えを言うべきところですが、すでに氏政実子をそちらの跡取りに確定していただいたとのことで、このように親しくなったからには、申し上げることはありません。あなたの考えにお任せします。
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古文書四十四
○解釈<抜粋>
一、愚息を一人お渡しすること。
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「最初のやつは祖父の氏康、次のは父の氏政が書いてる」
「先方とどうしても同盟を結びたいって感じがするな」
「そう、状況から見て後北条が下手に出ているのが全体の流れ。ただ奇妙なのが、この時点では養子に送るのは『氏政の実の息子』としか書かれてないんだよね。誰が行くかは明言しないままでいたんだけど、このあと決まった氏真への養子は最初から『国王』ってはっきり書いてる。多分、国王養子が先に決まったから、輝虎に渡すのが国増になったっぽいね」
「何だか先着順で、どっちでもいいやって感じがするなあ。しかし奥さん、反対しなかったんだろうか」
「氏政は前の年の年末からずっと駿河に出張してて、小田原に帰れたのはさっき書いた六月九日みたい。この時は一族が集まってるから。だから、養子の件は夫婦でほとんど話してないと思う」
「説明もなしだったら、怒るよな。今だったら『実家に帰らせていただきます』って流れだろ」
「その実家が原因でこうなってるからねえ」
久しぶりの長話に二人が夢中になっていると、電車はあっという間に目的駅に到着した。さらに話しながら彼らはバスに乗り込み、席に着くと同時に、三廻部はPCを再び広げる。
「でもちょっと謎もあるんだ。さっきの、何で長男を養子に出すのかってことと関連するけど、十月十六日に国増の養子入りを断る際に、氏政はこんなことを書いてる」
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古文書四十五
<抜粋>
一、ご養子のこと。現在準備しているが、前回陳情したように、五歳、六歳なのを、手元から引き離すことになる。親子の憐憫の情はどうにもならない。陳情にはこれ以外の事情はない。今回の越後(輝虎)からの書状には、甲冑を着けて参戦し大功を立てたなら、ご当家で引き立てられ(家督を)お渡しいただけるとのこと、こちらもよく把握している。であっても、この一ヶ条は父に嘆きすがるつもりなのだ。そちらからも助言してほしい。
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軸屋は文面をじっと見ていたが、呟くように声を出す。
「これ、雰囲気が違うな。どうしても養子に出したくないって感情に訴えて、これまで合理的に判断していたのと全く違うように見える。妙だな……」
「うーん。氏政はこの頃になると同盟を存在価値を疑い出してるからねえ。それで『子供と離れたくない!』ってフリをした可能性もあるかなあ」
「それにしてもちょっと強引な感じがするぞ」
「奥さんを亡くして、どうしても息子を手放したくなくなったとか?」
「亡くなって初めて判ったとかか……だったら切ないな」
軸屋は遠い目をして車窓を見ていた。三廻部はその様子をじっと見ていたが、気を取り直して続ける。
「それはともかく、国増の年齢がここから判るんだよ。文脈からいって幼いことを強調したいだろうから、国増は多分六歳だったと思う。で、逆算すると永禄七年生まれになる。国王=氏直は系図だと永禄五年生まれだから、長男が国王なのは合っているはずなんだけど」
「系図かあ。当てにならないんじゃなかったっけ?」
「うん。あたしもそう思ってる。同時代史料の『顕如上人貝塚御座日記』を見ると、氏直は永禄七年の生まれだと書かれているのね」
「じゃあ、国増が氏直ってこと?」
「国増が源五郎という人物で、氏直でないことは他の複数の史料で確実なんだよ。だから、国王・国増は同い年で、どちらかは氏政の正室ではなく側室が生んだんじゃないかって考え方もできる」
「いや、双子ってこともあるだろ」
軸屋が突っ込むと、三廻部の顔が硬直した。そして、息を呑んでから飛び上がる。
「あ……あー、そうか。そうか。そうだよね! 双子か、気づかなかったよ」
そう言って隣の軸屋に身を乗り出してきた。その勢いに身をのけぞらせながら、軸屋はなだめる。
「落ち着こう。とりあえず、そういう考え方もあるってだけだし」
「いや、多分双子説が一番条件に合うと思う。これなら、国王・国増っていう名前も判りやすいんだ。後北条家の幼名だと、こういう名付けは特殊なんだよね。普通だと、伊豆千代・松千代っという『〜千代』がいて、菊寿・藤菊・菊王という『菊』がつく名前が続く感じ。だから『国~』でくくったのは特殊なんだけど、これは双子だったからって考えたほうが自然だよね」
「まあ……七歳の双子だったら、実質的にどっちを養子に送っても大丈夫って感覚なのかもな。顔も似てたら見分けがつかないし」
「今川と上杉を天秤にかけて、状況次第ではあるけど、手放すにしてもどっちか片方だろうと氏政は考えてた」
「なるほど。ところが、その考えをちゃんと伝える前に奥さんが死んでしまった……もしかして、自殺?」
「実際にいなくなってから気落ちしてたらそうだろうけど……この場合だと抗議するためじゃない?」
「でもさあ、それならむしろ徹底的に生き延びて息子達への便宜を図ったほうがよくないか?」
「そうだね。何だかよく判らないね」
途中まで一気呵成に突き進んだ二人の仮説は、ここで止められた。
「三廻部データベースでも、これ以上は史料がないか?」
「確実な情報はここまでだね、残念ながら……」
そこでちょうどバスは目的地に到着し、二人は黙ったまま降車した。三廻部宅までの道をゆるゆると歩きながら、軸屋が問いかける。
「何か情報がないかな、やっぱりおかしいだろ。何で彼女は死ななきゃならないんだ」
少し熱に浮かされたような彼の口調を受け止めながら、三廻部は静かに諭す。
「判らないことは判らないままに、それもあたし達の流儀でしょ」
ただそれでも、軸屋は何も言わず、じっと考え込んでいた。




