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45 廃嫡

 胡桃子が久しぶりに早めの帰宅をすると、いつものように江間がいた。ただ、大抵は台所であれこれ作業をしているのが、居間の卓袱台に紙を広げてブツブツと呟いている。まだ新年度が始まったばかりだから、試験勉強というわけではなさそうだ。その熱量を見てそのままやり過ごそうとした彼女だったが、江間が気配を察して顔を上げたことにより退場の機会を逸した。

「あ、お帰り」

「ただいま。急に勉強始めちゃって、どうしたの?」

「ちょっと資料整理をね。ミコは断ったけど、私は本を出してみたいなあと思って」

「本って、小説を?」

「そう。高校時代にちょっと書いてたでしょ。あの頃はファンタジー系ばっかりだったけど、今度は歴史ものにしてさ、ミコ達の話を小説の原案にできたらって思いついたのよ」

「へえ、じゃあ今川義元が主人公ってこと?」

「うーん。あの話も面白いんだけど、戦争は描ける自信がないなあ。で、前にみんなで話した、名前が変なお姫様の話とかどうかなあと」


 その言葉に興味を惹かれて、胡桃子は江間の隣に腰を落ち着け、広げられたノートや本を眺めだす。二人が延々と話し込むことになった結果、遍の夕食は「どっかでお弁当買ってきて」になったのだった。


 ◇


*:そういや、本を出すって話、どうなった?

@:あれはキャンセル。

*:ん? 喜んでたのに?

@:編集の人と相談したんだけどね、「あんな細かい話を読者は読まないよ」って言われて。だからやめ。

*:面白いと思うけどな、あの原稿。

@;あたしも自信はあったんだけどね。改変すれば出せるって言われて少し迷った。

@:でも、おじいちゃんと候哉くんとで一緒になって調べたことを曲げるのは嫌。

*:それでいいの? 俺はともかく、おじいさんの名前を出すチャンスでは?

@:高三のあの時、候哉くんが「自分が何をしたいか考えろ」って言ってくれたでしょ。

@:その前に、実はお兄ちゃんからも同じことを言われてたんだよね。でも、候哉くんに言われたのが大きかったんだよ。お兄ちゃんはいい加減だけど、候哉くんって納得できないことは絶対に認めないでしょ。そんな人に意見を聞いてもらって、理解してもらえたから。

*:いや、そんな大層なもんじゃない。

@:大事なことだよ。あの時本当にぐらついてたから。

@:あれがなかったら、あたしは妥協して変な本を出しちゃったかもしれない。

*:俺でも役に立つことはあったか。

@:うん。それで今は、文恵が小説を書いてる。

*:え、そうなの?

@:ああ見えて文学少女だったから。前にうちで鍋を食べたことあるでしょ? あの時に話したことを色々脚色してるんだって。

*:ええと、何だっけ?

@:徳川家康の奥さんの話。『関口瀬名』ってあり得ない名前だって話したでしょ。

*:ああ、何となく思い出した。ありもしない結婚式とかか。

*:あんなのが小説になるの?

@:あたしからしたら史料がなさすぎて何も言えないんだけど……。

*:どうやって死んだのかも不明だっけか。

@:文恵の仮説の取っ掛かりは、息子の信康が廃嫡、跡取りから外されたところからなんだ。

@:ちょっとこれ見て。家康の息子達。この下にもっとたくさんいるけど、年上三人を挙げてみた。


長男 信康 一五五九(永禄二)年三月六日生まれ

次男 秀康 一五七四(天正二)年二月八日生まれ

三男 秀忠 一五七九(天正七)年四月七日生まれ


@:長男の信康だけ年が離れてるでしょ。満年齢でいうと、家康が十七歳の時の子供が信康。三十二歳のが秀康、三十七歳のが秀忠。

*:随分と間があるなあ。

@:まあ子供ができるかどうかは、何とも言えないところだから。長男の信康は永禄十年に結婚してるから、ちょっとした親子ぐらい差があるんだよね。

@:相手は織田信長の娘。

*:八歳で結婚って、早いな!

@:まあ同盟のための結婚だから形だけでしょうね。十五歳になるくらいでちゃんと夫婦になる感じかな。

@:で、天正七年に信康は追放されてしまう。

*:親父と揉めてたのか?

@:この時の史料はあまりなくて、信頼できる『家忠日記』でもお家騒動の兆候は全くない。

*:いきなりか……。

@:うん。文恵は、この長男が追放された時の状況を満年齢にしててね。


信康 二十歳

秀康 五歳

秀忠 生後三ヶ月


*:あ、江間さんが言いたいことが判った。秀忠が生まれたから外されたってこと?

@:そう。家康の本当の息子が二人確保できたから、父親の怪しい信康が消されたんだろうって。

*:結構話が飛ぶなあ。どういうこと?

@:順を追って説明してみると、家康の奥さんは『築山殿(つきやまどの)』って呼ばれてたみたい。ただこれは後世の史料だけど。

@:で、文恵は、家康とつながりの深かった大浜という場所で『築山』という地名を見つけてきたの。

*:大浜? どこ?

@:家康の本拠地の岡崎から南東に二十キロくらい行った港町で、家康の父親の頃からつながっていたところ。信康が生まれる前に家康が三河に度々出張していたのは、確実な史料で確認できるよ。

@:で、文恵説だと、三河に出てきた家康が現地で奥さんにしたんじゃないかなってこと。

*:関口さんちの瀬名姫よりは現実味があるかな。どっちもあやふやな話ではあるが。

@:でね、成長した信康の顔が家康と全然違ってて、しかも家康が出張時に通い婚していたことから「築山殿が他の男との間に作った子供じゃないか」って、家康の部下が騒いだんじゃないかと。

*:そういうことか。「長男は全然父親に似てないぞ」って疑ってたら、次男が五歳で父親そっくりだった。その弟も生まれて、と。

*:でも、長男は同盟相手の娘と結婚してるんだろ? 今更って感じじゃないか?

@:そうそう。さすが候哉くん。あたしもそこが気になるんだ。部下達が騒いだってのは、家忠日記からも窺えないし。

*:じゃあ家康自身が疑い出したとか?

@:ああ、そうね。そっちのほうが信憑性が高いと思う。

*:言っておいてなんだが、そうなの?

@:家康の周りって、結構不可解な出来事があるんだよね。天正三年には水野信元が切腹させられてるんだけど、この真相は全く判らない。この人は家康の伯父さんで、今川から離反した時も支援しているの。前に話した牧野右馬允の息子の件でも仲裁してた人。とはいえ徳川家の人じゃなくて信長の部下。なので、家康とは競合関係にあった。

@:そして、天正六年には今川氏真が突如追い出されてる。氏真は、奥さんの実家にいられなくなって、家康のところにいたのね。この時は信長から指示されて駿河国に復帰できそうだった。なのに、謎の解任。

@:そして、息子を追い出したのがその翌年なんだよね。信長の婿でもあった信康が岡崎を追われてる。

*:信長絡みばっかりじゃないか……家康は信長から離れようとしてたとか?

@:それはないと思う。この頃の信長は急速に成長しているし、天正三年五月は武田勝頼を長篠で破ってる。その優位が確定してから、次々に信長関係の人達が排除されてるんだ。

*:じゃあ、信長がトップなのは確定として、その下でのライバルを蹴落としたか?

@:それのほうがありかも。若い頃に世話になって頭が上がらない伯父の信元、信長から駿河国を与えられそうな元上司の氏真、信長の娘婿の信康。彼らが健在なら家康の存在感は低かったはずだよね。

@:うん。

@:そっちかも。

*:本当なら怖い話だな……長男坊自身はどう考えてたんだろう。

@:本人が残した史料はないけど、信長が信康の介入を阻止したものはあるよ。


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古文書三十七


○解釈


二十五日の手紙が今日二十八日に到着し、拝見した。武節が落居し、本当に早く入手したことは感悦極まりない。それは油断なく注意したからだろうと思う。珍しいことだし重要なことだ。そして岩村にすぐ出陣することは、もっともで然るべきことだ。とても嬉しく思う。度々送っているように勘九郎は若いから、万事支援することに専念してほしい。それについて、松平三郎が出張することは、こうなった上では不要だ。ご遠慮申し上げるというのが然るべきだろう。我々は昨日二十七日に京都へ着いた。岩村方面は折々に報告するのが大切だ。

追伸:暑い時期で、皆には苦労をかける。

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@:これは信長が部下に宛てた書状。勘九郎は信忠で、信長の長男。

@:この時は「息子は若いからあれこれ教えてやってね」と書いているように、信忠は初陣に近かった。で、そこに『松平三郎=信康』が割り込もうとしたけど、やんわり断られているんだよ。

*:信忠って、信康より年上なの?

@:二つ上。

*:年齢が近いな。こういう場合、複数の要素が絡まっているのかもなあ。

@:自分の子かを疑っている家康からしたら、次男と三男が生まれてそれに拍車がかかってた。とはいえその長男は、信長の娘が奥さんだからなかなか手は出せない。

*:ただ、それを感じ取った信康が「家康の息子というより信長の婿」として出世しようとした。信長が上に来るのが確定してるとすれば、妥当な判断だろう。

@:そうか。それが家康を刺激して、信元・氏真と同じように排除しようとした。

*:親子だからむしろ、お互い譲れなかったんだろ。

@:ああ、それなら、家忠日記で部下達が全然関与してないのも判るね。信康追放後に、家康は信長にそれを報告してる。これ、徳川家康から堀久太郎に宛てた書状。


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古文書三十八


○解釈


この度左衛門尉によって申し上げたところ、色々と親切にしていただいたこと。その段取りをご調整いただいたからでしょう。本当にありがたく思います。三郎は覚悟がなかったので、去る四日に岡崎を追い出しました。さらにその内容は小栗大六・成瀬藤八が申し上げるでしょう。

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*:宛先が信長じゃないよ?

@:実質信長宛てってことでいいの。こういうのは当時よくあるんだけど、ややこしいんだよ。信長に取り次いでくれた堀久太郎にお礼を言ってることから、家康が信長に「三郎=信康」の件を報告したって判るんだよ。

*:ふーん。

*:で、これに巻き込まれて築山殿が死んだと?

@:それは判らないけど、記録に出てこないから連座して死んだのかなと思う。夫と息子の板挟みになってたとしたら、何とも気の毒だね。

*:彼女の視点から見ると、やりきれない悲しい話だな。

@:文恵にこの話をしていい?

*:それが参考になるなら。

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