42 進発
綺麗に話をまとめようとしている三廻部に、軸屋が冷静に突っ込む。
「……これ、さっきの猪飼にはわざと見せなかっただろ」
「うん。だって、これ見たら『また証拠が増えたね、塩留はあったんだ』ってあれこれ言い出しそうでしょ。もう面倒だから黙ってた」
三廻部はそう答えながら、段々怒りがこみ上げてきたらしく、憤然として珈琲缶を握り潰す。
「あー、もう頭来る! みんなの手前我慢してたけど。何だかんだいって結局、史料調べてるのあたし達だけでしょ? 何で相手の分まで調べなきゃいけないの? 江戸時代の史料なんて、読んでて面白くないのに」
アルミ缶とはいえ片手で圧搾されたのを見て、軸屋は瞠目しつつ少し距離を明けた。
「握力、すさまじいな……」
「あ、やっちゃった。本が重いから最近変な力がついちゃって……人前では絶対やるなって文恵に注意されてたんだけど……気をつけなきゃ」
一転してしおれる三廻部を、いたわるように軸屋が言葉をかける。
「それはともかく、これで受験に集中できるだろ」
「……そうだね。早速願書出さなきゃね」
「これから史料は禁止だな。試験が終わったら思う存分読めるんだし」
「おおぉ……あと二ヶ月はあるよー。我慢できるかなあ」
さらに意気消沈し、中の空気が抜けたようになった三廻部。周りの空気も重力を帯びたように沈んでいた。さすがに見かねた軸屋が、魂が半分持っていかれたような相手の顔を覗き込み、
「大学に行けば、しばらくは調べ放題だろう? ほぼ合格できるような口ぶりだけど、用心はしたほうがいいからな。さて……」
と腰を上げると、教室のうしろにあるロッカーに行って機械やケーブルを取り出し始めた。三廻部が不思議そうに訊く。
「何でそんな物があるの?」
軸屋が大きな紙袋に押し込もうとしているのは、太い電源ケーブルやキーボード、ハードディスクといったPC関連のアイテムだった。彼は顔をしかめながらケーブルを束ね直して、
「何だかんだで置きっぱなしだったんだ。よかったら持ってく?」
と、袋に入っている物を指差した。三廻部はそれらをこわごわ覗き込む。
「うーん。よく判らないから……気持ちだけもらっておくよ。って、何でいきなり片付け出すの?」
「ああ、今日でここ来るの最後だから」
「え? ちょっと待って。まだ十二月だよ?」
「年末にちょっとバタバタするのと、一月中旬から始まる期末案件がかなりシビアなんだ。納期と卒業式が重なるってのもあってさ」
「えええ、ちょっと待って。卒業証書とかアルバムとかは?」
「あとで送ってもらうように、さっき段取ってきた」
適当に受け答えしながらあれこれ詰め込んでいた軸屋は、作業を終えると出口に向かう。
「じゃあ、色々頑張ってな」
三廻部は慌ててそれを追いかける。
「えっと、あの、え? 何で? 久瀬くんは知ってるの?」
「いや、特に何も言ってない」
「ほんと? じゃあ言わなきゃ」
「いいって。縁があったらまた会うだろ」
軸屋は昇降口に到着すると、上履きを何度かはたき合わせて袋にねじ込んだ。うろたえながら付いてきていた三廻部がなおも尋ねる。
「卒業の打ち上げは? 来れる?」
「状況次第だが、多分無理だろうな。今回は仕様の切り戻しがやたら多そうだから」
段々事態を飲み込めてきたのか、三廻部はここで怒ったような口調になる。
「候哉くんのその前のめりなところ、今は嫌い。卒業式ぐらい出ればいいのに」
「あのな、三月の納期ってのは本当に深刻なんだぞ。しかも、アパートを借りて引っ越すのもすぐだし」
「え! 引っ越すの? どこに?」
「会社の近所」
そう言って紙袋を取り上げた軸屋は、ふと振り向く。目を大きく開き、少し尖らせた口元に、怒りを漂わせている彼女の姿があった。
「……」
彼は、紙袋から生徒手帳を取り出すとメモ欄を引き破る。そして三廻部の胸ポケットからボールペンをひょいと引き抜いた。壁に紙を押し付けて何かを殴り書きすると、ボールペンと一緒に彼女に渡す。
「はい。三廻部さんのパソコンのその場所に、連絡用のプログラムを入れておいた。必要ならいつでも呼んでくれ」
枯れた声でそう言うと、軸屋は去っていく。「ちょっと待って!」と慌てて声をかける三廻部に、振り向くことなく手だけ挙げて応えた。
◇
三月半ば、仕様の検証が終わりいよいよ組み込みが始まろうとしていた。大きく伸びをした軸屋は会社用のPCを一旦再起動する。肩をほぐすために首を回していると、傍らで広げていた薄型ノートPCでアラートアイコンが明滅していた。私用のそれを手元に寄せ、画面隅のテキストウィンドウを確認する。
@:もしもーし!
@:いないのー? 候哉くん?
*:お、起動できたか。おひさ。
@:合格発表まで起動できないって、ひどくない?
*:区切りだから。
@:けち!
*:けじめ!
@:お仕事どう?
*:面倒くさい。
@:時間ある?
@:また相談したいんだけど。
画面の向こうで目を輝かせているだろう三廻部を想像しながら、軸屋は深くため息をつく。そして笑顔になって返事を打ち込む。
*:いいよ。言ったろ、最後まで付き合うって。
@:善し! じゃあ早速だけど、史料を送るから読んでね!
*:ちょっと待て。ここに貼り付けないで、クリップアイコンをクリックしてファイル添付にして。
というコメントが間に合わず、テキストが大量に溢れてエラー表示になる。
「相変わらずの突進ぶり……」
思わずそう言って苦笑している彼を見て、向かいの席の女性が声をかける。
「お、軸屋くんが笑ってる。何かいいことあった?」
「まあちょっと。高校時代の友達から連絡がありまして」
「ほほう……って、軸屋くんまだ高校生でしょ。卒業式とかいいの?」
「単なる儀式ですから、業務優先です。ところで、ハルノさん預かりの負荷チェック、終わりました?」
「もうちょい待って。でも、いいのかなあ。思い出をちゃんと作っておかないと、青春は二度と返らないよ。お姉さん心配になっちゃう」
ハルノと呼ばれた女性は二十代半ばくらいで、背中までかかった髪を後ろで簡素に束ねていた。細面で目元がきつい印象ながら、その笑顔は晴れやかで人を陽気にさせる雰囲気を醸し出している。ただ、疲れから落ち窪んだ頬が激務を物語っていた。それに対して無愛想な面相に戻った軸屋は、最年少には似合わない嗄れ声で冷静に応じる。
「いや、思い出って結果としてあるものでしょ。わざわざ作るのおかしくないですか? それより、デバッグの要件定義もきっちりお願いします。例のAPIのところ、分岐が心配なんで」
「任せなさい。私を疑うなんて百年早い!」
そう言い切るハルノの手前では、ノートPCの画面にエラーを物ともせずに送られてくる大量のテキストファイルが見える。軸屋は観念したように両手を挙げる。
「参りました。仰せのままに」
胡桃子は小躍りしていた。そのうしろで心配そうに覗き込んでいた江間も喜んで、二人でハイタッチしている。そこは三廻部家の居間で、炬燵の上に置かれたPCを見て久瀬が頭を抱えていた。
「やった! 送れたよ、久瀬くんありがとう!」
「佑佐も役に立つじゃん」
「……いや、俺はむしろストップかけたぞ。エラー無視で送って大丈夫か? アプリの再起動もしないで……まあ、候哉が組んだプログラムならかっちり対処するんだろうけど」
久瀬の心配をよそに、やがて画面に「諒解」と返信があった。送れたことは確かなようだ。上機嫌な江間は、どこかの雑誌の切り抜きを卓上に置く。
「でさ、ミコの原稿、ここに送ってみようよ。歴史エッセイで賞金も出るし、書籍化もあるって」
「へえ。締め切りは七月なんだね。候哉くんと連絡とれたし、頑張ってまとめてみるよ」
盛り上がる二人の横からひょいと覗き込んだ久瀬は、首をかしげる。
「『超史パブリッシング』って、聞いたことないなあ。大丈夫?」
そのつぶやきは、華やかな女声にかき消される。
「ミコ、作家デビューしたらサイン書かなきゃ、練習しないと!」
「おじいちゃんの名前も入れたいなあ。あれだけ物知りなのに本を出してなかったから」
受験から開放された二人の耳に、久瀬の疑問は届いていなかった。
これにて高校編は終了で、明日は補遺として史料をまとめて掲示します。
元からあったストーリーがどうにも納得がいかずで、次の章もほぼ書き下ろしになります。そのため、少し時間を開けての連載再開となる予想です。具体的な日程が見えたら活動報告でお知らせします。




