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39 蹴鞠

 猪飼はにこやかに切り出す。

「氏真は蹴鞠の名手だって話があるよ。上達するために時間を浪費して、実際の政治は部下に丸投げだったってことだよ」

江間が頷く。

「そういえば、さっきの文章にも『蹴鞠』って出てきたね。っていうか蹴鞠って何?」

「僕も詳しくないから大雑把な説明になるけど、一つの鞠を八人で蹴っていって、鞠が地面に落ちたらゲームオーバーって感じ」

猪飼の説明に久瀬が反応する。

「お、サッカーのリフティングか? 運動する遊びなんだな」

「ずっと蹴り続けると結構激しい運動になるらしいね。ともあれ、和歌を読んだり、蹴鞠に熱中したりが氏真の本当の姿なんだよ。史料だけを追っているとむしろそれが見えなくなる。僕はそう思う」

それに三廻部が反論する。

「氏真、蹴鞠は苦手だったんじゃないかなあ」

「それはないよ。『信長公記』にも、氏真の蹴鞠が見事だと知って信長が観戦するくだりがある。知ってるでしょ?」

と、得意げに言う猪飼に、軸屋が横から口を挟む。

「あの記録、義元の死に様では全く適当なことを書いてたぞ」

「あれは『首巻』だから。僕が言っているのは天正三年で太田牛一自筆が残っている正規の記録だよ」

席についてPCを操作していた三廻部がそれを補足する。

「確かに、猪飼くんの言う通り。天正三年に記録はあるよ」


<三月十六日、今川氏真御出仕、百端帆を御進上す。以前も千鳥の香爐・宗祇香爐を御進献のところ、宗祇香爐は御返シなされ、千鳥の香爐は止め置かせられ候へき。今川蹴鞠を遊ばるるの由、聞こしめし及ばれ、

 三月廿日、相国寺において御所望。御人数、三条殿父子、藤宰相父子、飛鳥井殿父子、弘橋殿、五辻殿、鷹司殿、烏丸殿。信長は御見物。>


それを確認すると、猪飼が上機嫌で語る。

「ほら。茶の湯の名器を進呈したり、蹴鞠を披露したりしてる。氏真はこっち方面しか能がなかったからね。だから遊興で財産を使いつぶしたんだよ」

それに感心する江間と久瀬だが、軸屋はどこか距離を置いたように無表情だった。一方、頷きながら聞いていた三廻部が切り込む。

「でもね、猪飼くん。完全に同時期だと思われる中御門宣教の日記だと、全然違うことが書いてあるんだ。『信長公記』は氏真の蹴鞠を信長が見物したことを強調してるんだけど、『宣教卿記』はちゃんと詳しく状況を書いててこっちのほうが信憑性が高いと思う。両方の要点を書き出したから、ちょっと見て」


○信長公記

三月十六日:今川氏真が織田信長に出仕し、氏真が蹴鞠を嗜むと判明

三月二十日:氏真の蹴鞠を信長が見物

四月 六日:若江へ信長が出陣


○宣教卿記

三月十六日:家康と信長が会談

三月二十日:記述自体なし

三月 三日:蹴鞠を信長が見物した際に「駿河ノ今川」が出てくる。その位置は、レギュラー「年寄衆」の下での交代出場となる「若キ衆」の最後尾

四月 四日:信長が同一メンバーで蹴鞠を開催、自身が参加

四月 六日:大坂へ信長が出陣


皆で集まって画面を見たあと、久瀬が思わず言う。

「あとのほうの記録だと、氏真はベンチ補欠のおまけみたいなポジションか。それにしても、信長のほうがノリノリで蹴鞠してるじゃん。これ、できるかと思って蹴らせたら氏真が駄目で『示しがつかん』って感じで自ら見せたってとこか。運動部だとよくある光景」

それを聞いて、三廻部がにこやかに答える。

「蹴鞠の権威である飛鳥井家とは、織田信秀・信長は親子で関わりが深いんだよ。だから、信長のほうが蹴鞠に熱心な可能性が高いと思う。前にも出てきた、山科言継の日記『言継卿記』にあるんだけど、天文二年には尾張国で蹴鞠の巡業があったの。七月九日から八月六日までの二十六日間で、二十二日も蹴鞠を開催。そしてとうとう、八月八日に飛鳥井雅綱が倒れてしまう」

そのハードスケジュールに久瀬が驚く。

「それって、熱中症というか、明らかに過労だよね?」

「この時の主催者は信秀で、やたら張り切って尾張中から色んな人を招待してね。雅綱も頑張って付き合ったんだろうけど、さすがに体力の限界だったみたい。医師が看護してるけど、最後は治癒の祈祷まですることになってしまって……結局そのあとの雅綱は蹴鞠をせず、八月二十日に尾張から帰るんだよ」

江間が呆れたように尋ねる。

「蹴鞠やりすぎ……お父さんがそんなだから、信長も蹴鞠に詳しいってこと?」

「このイベントの翌年に信長は生まれてるから、このことを直接知っているわけじゃないんだよ。でも、関わりは維持してたみたい。これを見ると蹴鞠の伝授にも関わっているし、飛鳥井雅教の弟子だと書いてる」


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古文書三十二


○原文


鞠道門弟候間申候、雅綱弟子勢州中納言、於関東弟子ニ付而、沓・葛袴被剥、隣国被払之由ニ候、又雅親西国下向之時、松下弟子一人有之由候而、沓・袴被剥成敗之由候、御代々綸旨・院宣・奉書并室町殿文書等被見之候、今度尾州ニ松下弟子有之付而、法度之由被理候条、其者成敗申付者也、

   八月五日                信長花押

    飛鳥井大納言殿

増訂織田信長文書の研究五二七「織田信長判物写」(『蹴鞠』『京都御所東山御文庫記録』丙四十九『土佐国蠧簡集』五『古証文』四)


●解釈


鞠道の門弟ですから申します。雅綱弟子の勢州中納言が、関東において弟子を取って、沓・葛袴を剥ぎ取られ、隣国に追い払われたとのことです。また、雅親が西国に下向した時に、松下に弟子が一人あるとのことで、沓・袴を剥がれて処分されたそうです。代々の綸旨・院宣・奉書と室町殿(将軍)の文書を拝見しました。今度尾張国において松下が弟子を取ることを禁止されるとのことですから、その者の処分を命じます。

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 それでも猪飼は言いすがる。

「でも、それじゃあ何で氏真の蹴鞠が有名なんだよ? 何か根拠があるはずだ」

対する三廻部が冷ややかに応答した。

「それは猪飼くんが調べてみて。あたしが調べた範囲では、確実な史料から氏真と蹴鞠に深い関係はないよ。ただ、さっき言ったイベントで『今川竹王丸』という少年が出てきて蹴鞠をするから、そこから江戸時代の誰かが連想したのかもね」

その言葉に江間が素早く反応する。

「おっと、少年登場。それが氏真くんだった?」

「うーん。年代も場所も違うから、氏真ってことはあり得ない。尾張にいた今川の分家だと思う。一五三三(天文二)年七月二十三日に、今川竹王丸は織田与三郎達種・平手助次郎勝秀と一緒に弟子入りして、その日から蹴鞠に参加してるんだ。この時に竹王丸は十二歳と紹介されてる。年齢から言うと、氏真の父親世代かなあ。ちなみに、氏真の父親の義元も蹴鞠との関わりはなくて、祖父の氏親が免許皆伝をしてる。この日付は一五一五(永正十二)年五月二十七日だから、信秀イベントの十三年前だね」

三廻部が語り終えると、しばらく座が静まった。猪飼は専門家の本をとっかえひっかえして何かを調べていたが、やがてそれを見つけたらしく自信満々に切り出す。

「『言継卿記』の中に、義元・氏真が言継と蹴鞠をしたって。ほら、ここに書いてある」

それを聞いた三廻部が、露骨に顔をしかめた。彼女は何やらPCで表示をし、再び皆を集める。

「鞠をプレゼントしただけね。その本を書いた人はちゃんと読んでないんじゃない? これを見て。言継が駿府から京に帰る時に、別れの挨拶をした記録」


『言継卿記』一五五七(弘治三)年


三月二十九日(抜粋)


<次太守、五郎殿、朝比奈備中守、大方等へ暇乞に罷向、申置了、牟礼長門守、甘利等同道了、次蒲原右衛門尉、自太守為使鞠一足被送之、勧一盞了、次太守礼来儀、太刀千疋被送之、五郎殿各和為使太刀被送之、>


<次に太守(義元)、五郎殿(氏真)、朝比奈備中守(泰能)、大方(氏親室=寿桂尼)に暇乞いに行き、(帰京を)申し置きした。牟礼長門守・甘利が同道した。次に蒲原右衛門尉が、太守からの使いとして鞠を一足お贈りになった。一杯勧めた。次に太守の挨拶が来て、太刀と現金十貫文、五郎殿からは各和が使いとして来て太刀をお贈りになった>


三月三十日(抜粋)


<林際寺之禎主座聚分韻二部被送之、次斎藤弾正忠暇乞に来、華撥円三貝遣之、蒲原右衛門に三貝言伝了、次自蒲原右衛門方使有之、五郎殿に申鞠一足送之、次自御屋敷大方、浜納豆一筥賜之、次矢部縫殿丞木綿二端送之、次神尾対馬入道暇乞に来、沖津鯛一折、鳥目三十疋送之、中御門へ華撥円三貝言伝了、次牟礼備州、甘利佐渡守等送に来、勧一盞了、次朝比奈左京亮来、太刀二百疋、父備中所労云々、太刀千疋送之、勧一盞了、>


<林際寺の禎主座が聚分韻(辞書の一種)を二部お贈りになった。次に斎藤弾正忠が暇乞いに来たので、華撥円(薬)を三貝渡した。蒲原右衛門への三貝も預けた。次に蒲原右衛門尉から使者があり、五郎殿に言って鞠一足を贈ってきた。次に御屋敷の大方より浜納豆一箱を賜る。次に矢部縫殿丞が木綿二端を贈ってきた。次に神尾対馬入道が暇乞いに来て、興津の鯛を一折、現金三百文を贈られた。中御門への華撥円三貝を預けた。次に牟礼備州・甘利佐渡守が見送りに来たので、一杯勧めた。次に朝比奈左京亮(泰朝)が来て、太刀と現金二貫文を贈られる。父の備中(泰能)は所労とのことで、太刀。現金十貫文を贈られる。一杯勧めた>


「義元がわざわざ鞠を贈っているのは、言継が蹴鞠好きだと知っていたからだと思う。それと、蒲原右衛門尉が餞別に鞠を贈っているのも同じ。ただ、右衛門尉は鞠を持っていなかったらしくて、氏真からもらったものを渡してるけど」

三廻部が話を結ぶと、江間が拍子抜けしたように問う。

「え? それだけ? 蹴鞠自体の話は?」

「言継が駿府に滞在している期間、一回も蹴鞠は行なわれていないよ。氏真に至っては、直接鞠を贈ることすらしてない」

久瀬が顎をさすりながら、

「それって、二人とも蹴鞠は苦手だった感じがするな。蹴鞠好きの貴族が帰るのを見計らって、鞠だけ進呈してごまかしているとか」

と言うと、江間が反応する。

「その苦手な蹴鞠を氏真にやらせるって、信長の嫌がらせ?」

「怖いなー、それ」

横でそのやり取りを聞きながら考え込んでいた三廻部が、推測を開陳する。

「そこははっきりと言い切れるわけじゃないけど、コミュニケーション的な、何かの不運があったのかなあと思う。『宣教卿記』だと、十六日に信長と会ったのは徳川家康なの。その席で家康がうっかり『氏真は蹴鞠が得意』とか吹いてしまって、それを聞いた蹴鞠マニアの信長が『じゃあ見たい』ってなっちゃったとか」

それを聞いた久瀬が大きく頷く。

「ああ、それでやらせてみたら『何だこりゃ』ってことか……うわー、ありそう。というか、実物見たことあるな。前評判と全然違ってて、野次の集中砲火で萎縮してた他校のやつがいたっけ。なんて気の毒な話なんだ」

この話にむっとしたのが猪飼だった。それまではなんだかんだあっても柔和な笑みを崩さなかったのが、真顔になる。

「父である義元を討った男の前で蹴鞠を披露させられたという、信長の驕慢、氏真の屈辱を扱った場面だよ。そんな卑近な話と一緒にしちゃ駄目だ!」

久瀬と江間が「そんなこと言われても」と固まる横で、軸屋がジャッジする。

「どっちにせよ、氏真と蹴鞠は関係が薄そうだ。やっぱり、芸事以前にカネがなかったんじゃないか?」

ばっさりやられた猪飼は、一瞬険しくなった表情を柔らかく戻していたが、若干のこわばりは残されていた。それでも主張は変えない。

「通説からこんなに乖離するのは、史料を調べ切れてないからだよ。もっとちゃんと調べれば、通説に近づくはず」

「でも猪飼、それって、通説に近づけるのが目的になってないか? データを素直に読んで、合理的な仮説を組むのが本当の目的だろう?」

「そうじゃない。先行して築き上げられた研究には、それなりの論拠がある。僕らはそれに気づいていないんじゃないかってことだよ。もっとちゃんと調べて考えないと」

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