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38 借銭

 いまだに話の筋が見えてきていない江間・久瀬、議論が始まっていなくて暇そうな軸屋、紙面をじっと凝視している猪飼と、聞き手はバラバラな反応を見せていた。その一方で三廻部は、気にせずその先に進んでいく。

「京都では将軍の義輝が殺されて、その弟の義尋(ぎじん)が一旦逃げ出すのね。そして七月一日、義尋は諸国の勢力に上洛を命じるんだよ。それぞれの紛争をやめて、自分の上洛と将軍就任を手伝えってことで。これは永禄十一年三月六日まで続くの。これがあれこれ影響を及ぼすから覚えておいて」

「氏真は対応したの?」

江間が尋ねると、三廻部が首を振る。

「史料がないけど、上洛援助どころじゃなかったみたい。十月二六日に、部下の朝比奈玄長が、商人松木に借金返済が遅れるって言いつつ、他の被官には催促しないよう依頼してるんだけど、これがまた言い訳の連発。氏真が『御修法中』だから借用書は来月に延ばしてほしいって書いてて」

江間は顔をしかめる。

「うわ、何だか切実になってきてるね」

「この辺のことは、年表に簡単に書いてるよ、ほら」


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古文書三十


小笠原美作守殿へあなたが貸した六五貫文の返済証に、氏真の承認印をもらいたいとのこと。三右衛門がご披露して済ませました。ご修法中は禁止されていますので、来月の四日か五日頃に必ず準備して渡します。とにかく急いで準備しようとしていますが、昨日まで取り込んでいてこのように遅延しました。小笠原与左衛門・匂坂加賀守に催促しないで下さい。我々にお任せいただけますように。そのために申し入れます。

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□十月二十六日:朝比奈玄長(氏真の部下)が、商人の松木に六五貫文の借金返済が遅れることを告げ、他の被官達に催促しないよう依頼。


□十一月二十日:松平家康が、義尋の上洛補助に応じる旨を返信。


□十二月二十九日:松平家康は、『徳川』への名字変更を許諾され、三河の責任者である『三河守』に就任。


 ここまでを読んだ三廻部が、流れをまとめる。

「永禄八年から九年で見ると、商人への借金がかさんでどんどん押されている氏真と、三河を完全に手に入れて、将軍候補上洛の補助に応じたり、名前が『徳川家康』になって朝廷から認められていく松平元康との差が広がっていくのが判るの。そうして、一番大きなターニングポイントになる、永禄一〇年を迎える」


■一五六七(永禄十)年


□六月十二日:小山田信有(晴信の部下)が、須走の芹沢に免税を保証する。


□八月七日:武田信豊とその部下達の起請文が出され、晴信への忠誠が念押しされる。恐らく義信が完全に排除される動きがあり、その動揺を避けるための措置。


□八月十七日:塩留と疑われる朱印状が発行される。


□十月十五日:小山田信有が、須走の芹沢に知行を与える。


 ここで三廻部は、軸屋と図書館で調べた値上げ説を細かく説明した。久瀬が曖昧に頷いている一方で、江間は『押』と『留』の違いに興味を持ち、あれこれ細かく質問する。三廻部は、PCの画面で文書の文面を見せて解きほぐしていった。


 ここで軸屋が質問する。

「俺が訊くのもなんだけど、芹沢って、氏真に通行税を払ってたやつだよな? 何で武田からあれこれ優遇されてんの?」

三廻部は、得たりとばかりに張り切って説明する。

「今川と武田の国境に近いから、以前からやり取りはあったと思う。ただ、信有からの文書で残されてるのはこの二つだけだから、この時期に積極的な接触があって、武田に引っ張り込もうとしてたんじゃないかな」

「義信がいなくなって、武田も氏真に遠慮しなくなったってことか」

「うん。それと、芹沢さんからすると、カネカネってうるさい氏真から離れたいのもあったのかもねえ」

「なるほど。なりふり構わないカネ集めもここまでくると、人が離れてかえって逆効果に見えるな」

「でも氏真は金の亡者をやめないの。これを見て」


□十一月五日:商人尾崎妙忍が茜の売買で独占権を得ていたが、氏真の部下達に排除される。


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古文書三十一


●解釈


茜について、尾崎妙忍に氏真がご判形を下されました。「以前からの筋目がない」と他国の商人よりご訴訟があったところ、お聞き入れになり、それぞれにご判形を下されました。そしてそのお礼の緞子十段・金襴十巻・虎革二枚を献上したので、すぐに披露させていただきました。あとからこのような新役を望む者が現れても、一切ご許容はない旨を現場に仰せ出されました。今後のための一筆としてこのようにしたためます。

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「氏真は尾崎妙忍という商人に茜商売の独占権を与えちゃったらしくて、他の商人との間で訴訟になったのね。さすがにこれは通らなくて、友野・松木と他国商人が勝訴したって氏真の部下が伝えてるんだけど、その根拠が賄賂」

「うわあ」

「お礼に金品を贈るのはこの時代だとよく見られるんだけど、ここまであからさまに書いたのはちょっと珍しいかな。商人が、領収書代わりに品物の名前を書かせたみたいに見える。しかも氏真の保証書ではなくて、部下のほうの証文が残されてるってことから、商人達が氏真を信用していなかったのも判る」


 苦虫を噛み潰したような顔をして一切口を挟まなかった猪飼は、説明が終わるとすぐに反論を開始する。

「お金がないのは、氏真が遊び暮らしたからね。父親の弔い合戦もしないで、毎日どんちゃんやってたってのは『改正三河後風土記』に書いてある。ほら、一五六一(永禄四)年の記述」

と、ノートを開いて手書きの文字を見せた。


<氏真闇弱昏愚(あんじゃくぐまい)にて、君旧盟を変じ給はず、吊軍(とむらいいくさ)をすすめ給ひ、其外日夜苦戦し敵の城々責取給へども、氏真一度も慰労の使を遣はさず、其身父の吊軍は思ひもよらず、明れば蹴鞠、茶湯、暮れば酒宴乱舞のみ(もてあそ)ひ、遊女、白拍子、兵庫踊などに日月を送る>


それを聞いて江間が驚く。

「え、じゃあ節約すればいいのに……」

「一旦ぜいたくに慣れてしまうと、質素な暮らしにはなかなか戻れないもんだ」

それに反応して、なぜか久瀬がしたり顔で頷いた。


 軸屋が素早く質問を入れる。

「猪飼、それはいつ、誰が書いたものだ?」

「江戸幕府の儒学者である成島司直が、一八三四(天保五)年にまとめたものだね」

「……二七三年後って、話にならないだろ」

「史料に変わりはない。問題ない」

と強がる猪飼に、三廻部がPCの画面を突きつける。


挿絵(By みてみん)


「これは氏真が発給した文書の数。父親の義元が一年間で最も多く発給したのは一五五六(弘治二)年の四十五件だから、氏真の最多である永禄四年の九十六通はその二倍以上になる。これだけ政治に取り組んだってことなんだよ」

それを見て江間が感嘆の声を挙げる。

「氏真、超真面目くんじゃない!」

軸屋はさらに確認を続ける。

「そもそも、免税解除だって戦争費用が目的って書いてるんだろう? 三廻部さんに聞いたら戦争の感状もそれなりに出してるし、遊んでたわけじゃないように思うけど?」


 しかし猪飼は動じない。

「自分が遊びたいからなんて、表向きは書かないよ。戦ってるのだって部下だし、文書にしたって下の人間に丸投げしてもいいでしょ」

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