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35 氏真

 図書館から出てファストフードに行く道すがら、三廻部は興奮していた。

「候哉くんの貧乏話、あれはすごい読みだったよ。ビンゴだよ」

「貧乏とビンゴは妙に語感がいいな。というか、その言い方だと俺が貧乏みたいだが……」

「いやいや、そういうことじゃなくって! なぜ塩留されたか、判っちゃったんだよ」

「ま、とりあえず席についてから聞こう」

「あたし、アイスティーで! 先に席とって準備しとくね!」

三廻部は小銭を渡すと、小走りに二階への会談を昇っていった。そして、トレイを持った軸屋がゆっくりと席に向かうのを見て、満面の笑みで手招きする。

「さて! これを見てちょーだい」


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古文書二十四


○原文


須走口過所之事、半分六拾貫文爾相定之間、従去正月上荷物を勘定仁合、右之員数相調之、公方へ直爾可納之、如此相定上者、脇之荷物之事一切停止之、万一於相通者、六拾貫文之内可立勘定、然間前々令扶助拾二駄之荷物之事、不准自余、自当月無相違可通之、猶以六拾貫文之内、縦少雖為不足為弁、右之員数之透可納之、雖然境目就忩劇路次於無通用者、可及其断之状如件、

永禄六亥

  三月十九日

(朱印「万歳Ⅲ型」)

    芹沢伊賀守殿

戦国遺文今川氏編一九〇二「葛山氏元朱印状」(御殿場市萩原・芹沢文書)


●解釈


須走口通行税のこと。半分の六〇貫文で決定したので、前の正月から上げた荷物の勘定に合わせ、右の員数を準備して公方へ直接納付するように。このように決めた上は、脇道を抜ける荷物は一切禁止する。万が一にも通ったら、六〇貫文の中で勘定を立てるように。なので、前々から免税していた十二駄の荷物は、他とは異なり今月より相違なく通すように。さらに、六〇貫文でたとえ不足が生じるとしても、右の員数の通りに納付せよ。そうはいっても境目で紛争があって物流が止まったら、それを申告するように。

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解釈文を読み上げながら、三廻部は意気揚々と画面を見せてくる。

「この文書は、塩留疑惑の四年前に出されたもの。場所は同じ須走口で、これまでは葛山氏元という氏真の部下が一旦税金を受け取っていたのを、氏真に直接納付する形にしたのね。直接形式になったので税金が半額になった代わり、決められた六〇貫文は毎月定額を支払えっていう」

「なるほど、毎月の定額収入がほしかったってことだな。でも最後のほうで、紛争があったら申告しろって?」

「この時期にあった紛争は、松平元康との戦いだけ。場所としては離れているけど、上方との交通が分断されたみたいだから、それで輸送品がなくなったりしたんだろうね。ほら、京都の将軍からも『通行の妨げだから早く停戦しろ』って来てる。これは永禄五年の正月で開戦から九ヶ月目だけど、この状態は次の年の三月でも変わらなかったみたい」


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古文書二十五


●解釈


当国と岡崎の交戦について。関東の通行に支障があるので望ましくない。ことの是非はおいて速やかに和睦するのが神妙の至りだろう。詳しくは三条大納言と文次軒が話すだろう。さらに信孝からも伝える。

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「二年経ってもドンパチやってたんだ」

「まだまだやり合ってたね。ちょうどこの前後に、氏真はとんでもない命令を出してお金集めしてて、その理由も『三州急用』、三河との戦争に必要なお金の確保」

「とんでもない命令?」

「この時代、お寺や神社や部下達に『きみは特別だから税金は免除するよ』っていって非課税特典を与えてるのが一般的なのね。税収は減るけど、恩に着せてあれこれ手伝わせたり、敵に寝返らないようにしてた。ところが氏真は、それを変えちゃう。一律で無効にして全額取り立てる命令を出したの」

「いきなり『無効』って言ったのか?」

「この命令自体は残ってないんだけど、いくつか『免税一律解除だけど、やっぱりきみは特別だから免除』っていう文書が残ってるんだよ。だから、一律解除があったって判るのね。でまあ、この命令、みんなの怒りを買ったみたい」

「そりゃ怒るだろ。しかし、税金を直接納めろって言い出すのもそうだが、結構資金繰りに困ってたんだなあ」

「この直後に遠江で一斉に反乱が起きるしね。あ、そうか。武田が侵攻してきた時に防戦できなかったのって、この時に愛想を尽かされたからじゃないかなあ。それと、さっきの文書で『脇の荷物は禁止』って書いてたけど、それをさらに厳密に禁止したものがあるの」


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古文書二十六


○原文


古沢之市へ立諸商人、除茱萸沢、二岡前・萩原お於令通用者、見合馬・荷物相押可取之状如件、

永禄十丁卯

 八月三日

(朱印「万歳Ⅲ型」)

   芹沢玄蕃殿

戦国遺文今川氏編二一三七「葛山氏元朱印状」(御殿場市萩原・芹沢文書)


●解釈


古沢の市へ立つ諸商人で、茱萸沢を避けて二岡前や萩原を通行している者は、見つけ次第荷物を押収するように。

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「古沢の市場っていうのは、須走口から北に行ったところにあったみたい。で、そこに行く商人が、税関がいた茱萸沢(ぐみさわ)を嫌って、別の脇道から荷物やお金を運ぶのを禁止してる。ここでは密輸を見つけたら『馬・荷物を押収しろ』って言って『押』を使ってる」

「氏真、本当に金がなかったんだなあ」

「そうだね。そうして、この直後に例の『塩留文書』が出てくるんだよ」

「カネがない……塩を渡さない……追い詰められるくらいカネがないのに……」

軸屋は藪睨みの視線をさらに強くして考え込む。向かいの席にいた老婦人がぎょっとして俯いた。それに構わずいかめしい視線を浴びせ続けていたが、彼は急にはっとなって問いかける。

「塩荷だけ特別に書かれた件ってさ、塩の関税を値上げしようとして揉めてたんじゃないか?」

「値上げ? いきなり?」

「だってカネがないんだろ」

軸屋の指摘に、はっとした三廻部が答える。

「そういうことね! うん。まあ確かに、塩が取れない甲斐になら値上げは可能だよ」

「氏真は、とにかく金をかき集めないとやばい状況だった」

「実はこの前から、商人から来る借金返済の督促に苦しんでるし、賄賂目当てに独占権を上げて、他の商人から訴えられて揉めてたりでね、大変そうなんだよね」

「ただちょっと無理があるような気もする。一応は同盟国の武田に向けていきなり塩の値上げをするかな?」

「ああ、ちょっと待ってて。それをいうなら、もっとシビアな例もあるよ」

三廻部がキーボードに指を滑らせ、検索結果を見せる。


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古文書二十七


●解釈


安房衆が五〜六〇〇騎にて市川に陣取り、岩付へ兵粮を送っている。しかるに、値段で揉めていて今も留まっている。この時に討ち取ろうと、江戸衆と高城たちが何度か報告してきたので、明日五日当地より、具足と腰兵粮をつけ乗馬し、各自が出撃せよ。必ずや明日昼以前に当地へ到着するように。兵粮がなければ当地で貸与する。もとより三日の用意だから、陣夫は一人も連れずに兵員が集まったら、馬上で鑓を持ち、必ず必ず明日五日の昼以前に到着するように。一戦するのは確実なので、小者であっても元気な者は残らず連れてくるように。土屋・大見衆へこの内容を確実に申し送るように。

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「この時、包囲されて兵粮がなくなってた埼玉の岩付城に、千葉から来た里見氏が支援物資を送ろうとしてたのね」

「ん? 味方同士が値段で揉めてるぞ」

「そんな場合じゃないのにね。で、その隙を衝いた北条氏康に攻撃されちゃう」

「カネが絡むと、いつの時代もシビアだなあ」

「そうだね。で、これと同じことがこの時も起きてたのかな、と。海のない甲斐に塩を高く売ろうとして、ところがというか、当然というか、揉めて滞留した。税関でも扱いかねて滞留が起きたんだろうね。ただこの塩は命令で強制的に留めたり、押収したわけじゃないから『押』は使われなかった。『塩荷被留』は『塩荷をお留めになった』ではなくて『塩荷は留められた』だったと」

メモをPCに入力しながら、三廻部はまとめていく。そして「すごく自然な解釈になった」と目を輝かさせ嬉しそうに手を合わせた。その笑顔を前にわずかにためらいながら軸屋が質問を投げる。

「でも、塩で揉めたら武田は徳川に話に行くだろ。それは変わらないのでは?」

「そこも改めて考えたんだけど、価格の問題だと、そうでもないよ」

「……あ、そうか。運送距離が価格に反映されるのか!」

「うん。だから、武田の本拠地である甲府盆地に最も安く提供できる塩を、それ以外の遠隔地から来る塩と同額か、それよりほんの少し安い価格に設定してしまえばいいでしょ」

「微妙にうまい球を投げたなあ。でも、やっぱりそれをいきなりやったら、揉めるだろうし恨まれるだろうな」

「そう。でも氏真には免税特典のいきなり廃止をやった前科がある!」

「いや、さすがの氏真も懲りるんじゃないか?」

「うーん。それがねえ、このあとの『井伊谷徳政』っていう案件でも、商人から差し出された目先のお金につられて、氏真は部下達と対立したりしてるんだよね。反省して対応を変えるというのはなかったんだと思う」

「なるほどな。とりあえず、嫌がらせで塩留をしたというより、資金繰りが苦しすぎて、塩を値上げした。そして揉めた挙げ句、最終的には武田と喧嘩になったってことか」

「納得だね」

「ああ。ま、俺たちのいつも通りの落ちだな。人間臭くて、微妙に後味がすっきりしない感じの」

「そうだね。でも、おじいちゃんと話した時もこんな感じだったでしょ。これでいいと思うよ。ほんと」

しんみり言う三廻部だったが、軸屋は壁の時計を見て慌てて立ち上がる。

「おっと、もう八時だ! 夢中になりすぎたぞ」

「えー、帰りたくないなあ。図書館に住めたらいいのに」

そう言ってテーブルに突っ伏す史料依存症者を引っ剥がし、目付きの悪い男は店を出た。

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