32 被留
軸屋がうめき声を挙げる。
「久しぶりに見るが、やっぱりえげつないな。漢字ばっかり」
「そうかなあ。あたしだと、古文書を見るだけでストレス解消になるけど」
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古文書十三
○原文
過書銭之儀、当■殊外上之由申条、三人前急度可納所、塩荷被留候条、只今まて上候荷物之儀可納所、為其小者秋若遣者也、仍如件、
永禄十年卯
八月十七日
(印文「万歳Ⅲ型」)
鈴木若狭守■
武藤新左衛門尉殿
芹澤玄蕃允殿
戦国遺文今川氏編二一四一「葛山氏元朱印状」(御殿場市萩原・芹沢文書)
●解釈
通行税のこと、今月はことのほか上るので、三人分を取り急ぎ納付せよ。塩荷をお留めになっているので、現在まで上った荷物のことを納付するように。そのために小者の秋若を派遣する。
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三廻部の嬉々とした説明が始まる。
「これは今川氏真の部下が、関所で通関税を取り立てている現場に送った命令。この『塩荷被留』が塩留の根拠みたい。『被』は敬語で使われるのが圧倒的に多いから、塩を留めたのは目上の人間、つまり氏真だったの」
「通行税を納める時に、塩を除外しろってこと?」
「そう。『上がる』と『上った』っていうのは、今でも使っている『上り・下り』の『上り』だろうとも取れるけど、あたしはちょっと違うと思ってて」
「ああ、税金の話だから『計上する』のほうか」
「うん。だから後半は『塩荷が混み合ってて時間がかかるから、今計上できている関税だけ納付しろ』とも読めるんだよね。秋若という人をお使いに出しているのって、この現金を運ばせるためだろうし」
「なるほど。最初のほうでもまず通行税のことって書いてるしな」
「とはいえ、『被留』が氏真の指示だったとするなら『塩荷はお留めになっているから除外しておけ』という意味にも取れるのよね」
「でもそれって変じゃないか? そもそも塩は運べないんだから『念のため言っておくが、計上以前に運ぶなよ』って言い方のほうが自然じゃないか? あくまで通行税の話なんだし」
「うーん。まあ、ゆるゆるの書き方をするケースもあるからなあ。ひとまず『被留』の用例を調べてみるね」
午後も再び作業をこなし、閉館後の二人はぐったりした様子でいつものファストフードに入る。軸屋は馴染み深い席につきながら辺りを見回す。
「ここも久しぶりだな。しかし、今回の調査で進路変えるって、本当に大丈夫なのか?」
その向かいに座った三廻部はのんびりした様子で答える。
「うん。前から史学科に行こうかなっていう気持ちは正直あったから、ここではっきりさせたいんだよね。それに、気になって仕方ないから、調べないとかえって頭の中が仮説でいっぱいになりそうだし」
「願書の締め切り、ぎりぎりじゃないか?」
「来週には出さないといけないから、それまでに決着をつけたい」
「そんなこと言ってもなあ。今週中で結論は出せそうか?」
「事例は四つ見つかったんだ。穀物・兵粮・木綿、それにそのものズバリの塩」
「へえ。あれこれ規制されてたんだな」
「内戦状態だからね。で、穀物の場合は『森山表穀留之事』、兵粮の場合は『西上州兵糧留之儀』ってなってた。この一文しか情報がないからここでは全文は見せないけど、どっちも戦争中に食料を動かさないための指示書。で、一番細かく表現されてたのが木綿だったの」
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古文書十四
○原文
急度令啓上候、仍今度三河商人、此方山中木綿通申候処、四本衆被押留候、自先規きわたなと被留候事、一切無之儀候、四本衆之儀も此方領中上下被仕候付而、別而入魂儀ニ候、我等も対四本江、雖不存如在候、新儀被申条如此候、被加御分別、於無異■者、可為恐悦候、猶早水勘解由左衛門尉可被得御意候、恐惶謹言、
拾月十六日 有吉(花押)
愛知県史資料編一一―四〇「千草有吉書状」(今堀日吉神社文書)
●解釈
取り急ぎ申し上げます。今度三河の商人がこちらの山中で木綿を輸送していたところ、四本衆が抑留なさいました。先の規則より木綿などは留められることは一切ありませんでした。四本衆のことも、こちらの領中で上り・下りで通行していますから特別に親しくしております。私も四本へわだかまりはないのですが、新しい規則だと言ってこのように適用させるには、ご分別を加えて異論がないようにしていただけると幸いです。さらに早水勘解由左衛門尉が御意を得るでしょう。
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「なるほど、ここだと『被留』が使われてるってことか。これを見る限り『塩荷被留』は塩留ってことだな」
「うーん。どうかなあ。この例だと『被』は珍しく『受け身』として使われている感じ。『木綿をお留めになられた』というより『木綿が留められた』って読むべきだと思う。ただ決定的ではないかなあ。あとは、塩に関するほかの例が二つ。これは並べてみるね」
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古文書十五
○原文
其地無事之由肝要候、仍去廿一夜、出伏兵塩荷通用之者、数多討捕之由、因茲敵往復相留段、誠馳走無是非趣、相州へも可申届候、弥無由断被申付専一候、各へ異見尤候、恐々謹言、
六月廿五日 氏真(花押)
大藤式部少輔殿
戦国遺文今川氏編二四〇四「今川氏真書状」(大藤文書)
●解釈
その地が無事であるとのこと、大事なことです。去る二一日の夜に、伏兵を出して塩荷を運んでいる者達を多数討ち取ったとのこと。これによって敵の往復を止めたのは、本当に素晴らしい活躍です。相模国にも報告しておきます。ますます油断のないように指示するのが最も重要です。
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古文書十六
○原文
塩荷可押所定事、
栗崎・五十子・仁手・今井・宮古島・金窪、かんな川境牓示ニ可取之候、然者、深谷御領分榛沢・沓かけ并あなし・十条きつて、しほ荷おさへ候事、かたく無用候、為其、重而申出者也、如件、
猶以、半年者、忍領分ニて少も不可致狼藉候、以上、
辰
十二月朔日
(朱印「翕邦把福」)
長谷部備前守
戦国遺文後北条氏編二二〇二「北条氏邦朱印状」(長谷川文書)
●解釈
塩荷を押収するように定めたこと。栗崎・五十子・仁手・今井・宮古島・金窪で、神流川を境にして取るように。であれば、深谷ご領分の榛沢・沓かけ・あなし・十条で切って塩荷を押収するのは、堅く禁じる。そのために再度発令するものである。
追伸:なお、半年は忍領分でも狼藉をしてはならない。
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「最初のものは今川氏真が出しているので例の塩留に関係しそうなんだけど、ちょっと事情が違うんだよ」
「ふーん。何か、戦っている最中のことみたいだけど?」
「そう、この時はもう武田と今川は戦っていて、後北条から援軍で入った大藤という人に氏真が与えた感状なの。伏兵を置いて敵の塩荷輸送部隊を討ち取った。それで敵の輸送を留めたぞって内容」
「これはあんまり参考にならないなあ。だって、あの塩留は戦争する前の嫌がらせなんだろ?」
「確かに。で次が、北条氏邦という人が部下に『塩留しろとは言ったが味方にまでするな』って命令したやつ」
「ん? これは『留』が使われてないな」
「そうだね。『押』になるかな。『しほ荷おさへ』は『塩荷押さえ』だし。今でも『押収』っていうけど、この名残りかもね」
「そう思って木綿のやつを見ると、『留』のほかに『押』があるよな。で、塩留論拠の文書に両方があれば確定でいいと思うが、あっちは『押』がない……」
「あ、そういえばそうだよね。うーん。こうなってくると、あったにしろなかったにしろ、何か決め手を欠く感じ」
「ま、歴史なんてそんなもんだろ」
悩みだした三廻部を前に、軸屋はあっさりそう言うとトレーを持って立ち上がる。
「そろそろ帰ろうぜ」




